ある日の台北日記2024その2(5)台湾大学植物標本館、そして畲族

なぜ標本館へ行くのか。それは1935年に谷村愛之助(試験場場長)と持木壮造が中部の山中に分け入り、茶樹の原生種を発見したと言われているが、その原本がここに保存されていることを陳さんが突き止め、見学の予約をしてくれていたのだ。私は以前持木のご子孫からこの時の写真を見せてもらっており、当時の茶業界にとっては非常に重要だと考えていた。

それにしても標本館はレトロだった。レトロというか、昭和というか、日本時代に設立されて以降、何も変わっていないかのように見えた。その重厚な室内を縫っていくと、そこに標本が用意されていた。確かに谷村の文字がある。徐々に自分が興奮してくるのが分かる。まさか90年も前の物を目にすることが出来るとは。

谷村の後、台北帝国大学の植物学者が2度ほど山中に分け入っていた。それも残っている。更には戦後橋本実氏の調査団が収集した標本も保存されており、何とも驚いた。植物学とはなんと面白い学問なんだ。この標本館の中には一体どれだけの標本があるのだろうか。同時にどれだけの資料が残されているのだろうか。取り敢えず日本時代に活躍した植物学者について学ぶ。

標本館を出て次に向かったのは、磯小屋。蓬莱米の磯永吉の研究室が展示場になっている。そこに入ると、案内人が説明をしてくれる。磯が使った物などが残されている。戦後も長く台湾に残ったこともあり、磯の名は知られている。私は磯永吉と山本亮の関連を知りたくて、訪ねてみたが分からない。ただ磯永吉に関する本が出版されており、それを今回ゲットできたのでゆっくり見てみたい。

昼ご飯を食べると為、銀座という店を探した。和食屋かと思いきや、何とベトナム華人が開いたベトナム料理屋。しかも店の看板メニューはカレーだというから驚きだった。混雑する店で何とか席を確保してカレー麺にありつく。店主は3代目で、初代が子供の頃、ホーチミンのショロンに住んでおり、近所にあった日本人経営の食堂で食べたカレーが忘れられなかったとの由来を聞く。

それからAさんとバスに乗る。今日は忙しい日だ。ずっとバスに乗り、木柵まで行く。政治大学でUさんと待ち合わせて、政治大学の先生に会う。Uさんが先日話していた畲族の女性だった。まさか台湾に畲族がいるなんて、本当に思い掛けない出会いだった。だが彼女の専門はモンゴルであり、万里茶路については知っていたが、畲族の歴史は研究したことがないという。畲族とお茶に関しては何も分からないらしい。

それでも台湾には全土に藍氏宗親会が存在し、交流しているという。そして最大の驚きは、先祖が200₋300年前に渡って以降は、ずっと漢族として生きてきており、自らが畲族だと知ったのは、1980年代の改革開放期に、故郷を訪ねて初めて分かったという事実だった。そう考えると台湾に渡って人々の中には漢族だけではなく、少数民族など様々な人がいただろうことが容易に想像できる。そして『台湾人とは一体?』という疑問が大きくなっていく。

まさに衝撃の出会いだった。大学を後にしてもボーっとしていた。突然思い出したのは、この近所に張協興茶行があるはずだった。店は昔と変わってはいない。しばらくすると老板が出てきて、歓待してくれた。お茶を飲みながら懐かしい話をする。彼のお父さんに話しを聞いたのはもう5年も前のこと。残念ながら3年前に亡くなられたというから100歳の大往生だ。またバスに乗り、長い、そして濃い1日を振り返りながら、ゆるゆると帰る。

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