ある日の台北日記2024その1(2)地震直後にミャンマー街へ

花蓮では一部で建物が倒壊するなど被害が報道されていたが、その全体像は分からない。2時間ぐらいそうしていると、何とお向かいの学校の建設工事が始まり、すごい音がしてきた。天気はとても良いので階下を見ると、人が普通に歩いていた。余震はまだ続いている。私は部屋に食糧が無く、腹が減り始めた。地震発生ほぼ3時間後、恐る恐る外へ出てみた。

するとそこは全くの日常だった。下でいつもの野菜を売っているおばさんが『あら、帰ってきたの』と気さくに声を掛けてきた。『地震、すごかったね』というと、『えー、日本人は慣れているでしょう』といって周囲の人も笑っている。いつもの朝飯を食べる店も普通に開いており、皆が普通に食事をしている。地震の話題はもう終わったのか、誰もしていない。帰りに清水廟にお参りして帰る。

MRTもバスも動いており、ランチを求める人々が出てきていた。消防署の前を通ったが、救急車の出動もないようだ。完全に拍子抜けした。午後も余震は続いたが、知り合いに安否確認の連絡をしても、『あ、台湾に来たんだ、いつ会う?』などという普通の会話が帰ってくるだけで、地震の影響を心配する声は日本人からしか聞かれなかった。これは台湾人の強さだろうか。

夕方また外へ出て、いつもの店で魯肉飯などの台湾メシを頬張る。テレビのニュースはずっと花蓮の様子を伝えていたが、既に台北ではまるで何事もなかったかのように、人々が生活していた。それにしても今日の台北は暑い。いや、私がまだ台北に慣れていなかったのだろうか。慣れないうちに慣れない物がやって来て戸惑う。夜中にまた大きな余震有り。

4月4日(木)ミャンマー街へ行く

翌日は新北市の華新街へ向かった。地震のことは気になったが、それ以上に今回の滞在で気になっているのが、ミャンマー・タイからの移住者。昨年この通称ミャンマー街はMさんに案内してもらっていたが、早く行ってみたいと思っていた。MRTも普通に動いており、難なく南勢角まで辿り着く。

今日は清明節の祝日。午前中で人は少なかったが、相変わらずミルクティーを飲んでいるおじさんたちがいる。Aさんとミルクティーを飲んでいると、おじさんを紹介された。喫茶店のオーナーで何と香港出身。ここは元々広東系が多い街だったらしい。話を聞きたかったが、お客がどんどん増えてきて、また次回訪ねることとした。

実は以前私と同じ世代の台湾人に、華新街について聞いてみたら、皆一様に『子供の頃、あそこで食べた点心は美味かった』といっていたのを思い出す。そう、この街は1960₋70年代は広東系移民の街だったのだ。折角なので、我々も街で唯一残っている飲茶の店に入り、美味しい焼売や腸粉、あんかけ焼きそばなどを食べた。ただこの店、20年ほど前からオーナーは福建系に代わっており、広東系は消滅しているようにも見える。

Aさんが、『実はタイ北部に詳しい人を紹介したい』といってくれた。しかも彼はこの街に来ているかも、というので連絡してもらうと、何とすぐに会えた。そんな人いるのだろうか。ちょうど裏通りの店でランチを食べていたというのだ。彼は某大学の職員だという。留学生や教師の日本人は会ったことがあるが、台湾の大学の日本人職員は初めてであり、もうそれだけで普通ではないことが分かる。

それから我々はミャンマー街の話しからタイ北部、果ては回族などの民族についてなど、何かに取り付かれたように話した。喫茶店も変えたが、話は延々と続いた。こんな面白い話を止めることは出来ない。彼は私のほとんどの話題に対応してくれ、しかも的確な情報を与えてくれた。驚きが先走る。

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