ある日の埔里日記2017その5(6)南港の包種茶

10月27日(金)
南港へ

本当は一昨日の午後行くはずだった南港に向かう。S君と一緒に泊まっているので、まずは朝飯をと思ったが、ちょうどよいところがなく、サンドイッチでも食べようと駅近くの店に入った。ホットドッグがあったのでそのセットを頼んだが、いつになってもパンが来ない。忘れたのかと思って聞くと、『パン?ホットドッグはそれだ!』と言われたのは、ソーセージ。台湾では熱狗と書いて、ソーセージと読むのだな。初めて知ったぞ。

 

それからMRTに乗り、先月も行った昆陽駅に向かう。ここから前回同様、ミニバスに乗る。U夫妻も合流し、U夫人はスマホを駆使して、行先をチェックしてくれた。前回は黙っていた運転手も可愛らしい女性が行き先を尋ねると、ちゃんと答えていたのでビックリした!10時半には余さんの家に前で降りられたのでよかった。

 

家に上がっていく短い坂の途中から、いい香りがしてきた。何と茶作りをしていたのだ。前回はいなかった奥さんと二人、作業に勤しんでいるところにお邪魔した。もう一人女性がいたが、近所の人かと思っていたら、後で聞くとお茶の研究者だったらしい。名刺交換していくべきだったと悔やむがもう遅い。

 

前日我々は製茶作業を体験済み。設備は馮君のところとほぼ変わらない感じだ。更に機械には年季が入っている。作業内容もちょうど揉捻から乾燥をやっていたが、それほど変わっているようには見えない。二人は昨日の延長でちょっと作業を手伝ったりしているのが面白い。ただ淹れてもらって飲んでみた茶は、ちょっと違っていた。品種の違いもあるだろうが、いい味出している茶があった。

 

余さんはどちらかというと口下手だが、奥さんの方が販売を担当しているのか、色々と話をしてくれた。ただ製茶技術の話しだけは余さんに口を挟まない。何だかとてもいい雰囲気の茶工場だと、Uさんなどは気に入ってしまい、午前中だけの予定を勝手に延長することにした。

 

道路の向かいの茶畑にも降りていき、茶樹や土壌を確認したりもした。やはり今日は昨日と比べると天気は良くない。気候の変化が重要だ。更に家に戻って桂花茶を飲む。この仄かな香りがなかなか良い。この花はちょうど今がシーズンだという。ただ手摘みは梯子を掛けて小さな花を取る重労働。一人が1日で600gしか採れないというから大変高級な花だと知る。

 

昼になると、奥さんが麺を煮てくれた。初めは大鍋に単に麺を煮ただけだと思っていたが、非常に出汁が出たいいスープで驚く。何と中には肉や海鮮などがふんだんに入っているご馳走麺だったのだ。出てきた漬物もうまい。突然やって来たのに、何とも申し訳ないが、喜んでご馳走になった。

 

かなり楽しい時間を過ごし、ミニバスが登っていった時間に外へ出て降りてきたところを捕まえて、帰った。結局4時間ぐらいお邪魔していたことになる。製茶作業中なのに申し訳ない。そのままバスで南港駅へ向かい、そこから動物園まで端から端までMRTに乗っていた。午後の日差しを浴びて寝入る。

 

木柵へ
当初、午後の予定がなかったので、葉さんに『木柵に知り合いはいないか』と聞いてみると、適当な茶荘を探してくれていたので、ちょっと遅くなったが、訪ねることにした。何しろ私などは木柵自体に行ったこともない。どうやって行くのかさえ、知らなかった。動物園駅からバスに乗る。この辺になるとU夫人が活躍する。

 

10分ほどバスに乗ると大きな大学があり、そこで降りる。すぐそこに目指す張協興というお店があった。中にいると、カウンターがあり、そこに座ると向こうからお茶が出てくる。ここは喫茶店ではないが、昔からこのスタイルのようだ。カウンター越しの商売の交渉をしていたのだろうか。さすが木柵、焙煎の効いた私好みのお茶が出てくる。

 

木柵鉄観音茶の歴史を知りたいというと、オーナーの張さんが語り出す。ただその話は鉄観音に留まらない。何と見せてもらった資料には包種茶も出てくる。『実はこの木柵も鉄観音より前から包種茶を作っていた』と言い、更には坪林などとの商売の様子を記す60年前の出納帳が出てくるに及び、当時の包種茶や鉄観音の価格から、お茶だけでなく、日用品まで売買していた記録を見た。往時茶葉を売った金で油などを買っていたのだ。坪林が交通不便な場所にあったことを示す資料ともいえる。

 

鉄観音茶の生産はどんどん減っているようだ。品種としての鉄観音もあまり見られなくなっており、近年は別品種を他の産地から持ち込み、作らざるを得ない状況だという。この鉄観音の歴史及びその製法などにはとても興味があり、次回機会があれば張さんの焙煎室などを見せてもらうことを約した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です