タイ北部お茶散歩2015(9)メーサローン 故郷を思う正月の爆竹

茶工場と街散歩

茶工場はビラを通り過ぎて、少し行った道沿いにある。8年ほど前に建てられたこの工場、この地域としてはかなり大きい規模を持っている。残念ながら旧正月前で作業は全て停止しており、工場自体も閉まっていたが、なぜか扉が少し開いており、そこから中に入り、見学させてもらった。勿論誰もおらず、ガランとした室内。私は既に3回目で見慣れているが、Gさんはこのような工場を見るのは初めてとかで、興味津々の様子。

工場内に沢山の機械が設置されているが、その殆どが台湾から来たもの。ここメーサローンの歴史的位置づけを象徴するような内容だった。茶師の張さんがいれば、作り立てのお茶などを振る舞ってくれるのだが、今日は彼もいないし、お茶も作っていない。音ががない、稼働していない茶工場の寂しさ、を少し味わいながら、早々に立ち去った。

それから村の中心まで車で送ってもらい、運転手と別れた。広場では旧正月の市場の準備が始まっていた。見てみると、山から下りてきた人向けの服や日用雑貨が中心で、我々の興味を引く物は殆どない。たまにはお茶も売っているが、無造作にビニール袋に入れられており、何だか良く分からない。

むしろ向かい側の商店が立ち並ぶ一帯は土産物屋さんで、殆どがお茶を扱っており、そちらへ向かう。有機緑茶、と書かれた店へ入る。まだ午前中でお客さんはいない。店の人はちょうどご飯を食べていたが、快く試飲させてくれた。主人はこの付近で茶畑をやっており、近年はいいお茶が出来ていると言っていたが、特にピンとくる味ではなかった。紅茶も烏龍茶も何でも作っているようで、畑が狭いので、少量多品種にしているというが、どうだろうか。それでも丁寧に作っている様子は覗える。

それから1₋2軒の店に入るもどれも似たようなもので、疲れてきた。その隣にコーヒー屋があったので、何とそこでコーヒーを飲むことにした。これは逆張りで面白い。皆がお茶を売っているのなら、地元の人向けと合わせてコーヒー屋をやるとは、いい発想法だ。ただお茶とコーヒーを混ぜた商品も売っていたが、それはどうなんだろうか?地元の人がバイクでアイスコーヒーを買いに来る、今後のタイの茶業界の挑戦が始まっているように思えた。

Gさんが疲れたというので、トボトボ歩いて帰る。既に時刻は11時過ぎ。それなりに日差しが強くなっており、アップダウンのある道を歩くのは意外と疲れた。いよいよ正月、というムードが徐々に高まっており、所々で飾り付けが行われ、爆竹が鳴り始める。我々は何という日にここに来てしまったのだろうか。今晩は煩くて寝られないかもしれない。

大晦日の爆竹

30分ほどゆっくり歩いて、何とか宿に戻った。昼ごはんに炒飯を食べて、すぐに部屋に戻り、寝入る。やはり疲れているのだ。だが少し寝ていて思い出したことがある。私は明後日にはバンコックに戻らねばならないが、フライトの予約ができるだろうか。ネットを繋ぐとちゃんとノックエアーのチェンライ‐バンコック線が予約で来た。

ノックエアーの良いところは支払いをATMかセブンイレブンでもできること。手数料が安くて便利。地域LCCのサービスとは本来このようなものではないだろうか。勿論ノックはタイ中心のLCCだから、タイ国内向けのサービスには違いないのだが。それでまた宿を出て、セブンまで歩いていく。この村にもたった一軒、コンビニがある。先ほど歩いていて、トイレを借りたが、快く貸してくれたので、好感が持てた。でももし支払いができないと振り出しに戻る。ちょっと緊張していったが、簡単に払えた。これは有難い。手数料は僅か30バーツ、カードだとタイバーツへの為替手数料も取られるのだが、現金なのでそれもない。素晴らしい!

夕方までダラダラしていると、Gさんが『バイク借りてきた』と言って、一人でバイクに乗り、行ってしまった。こんな山の中で、慣れない土地で、夕暮れ時にバイクに乗るなんて、なんて度胸があるんだろうか、と感心すると同時に、ちょっと無謀かな、と感じる。私の旅は人から見えれば大胆なところもあるが、自分としてはかなり保守的で、危ない橋はほぼ渡らない、だから4年間、殆ど無事故、病気もない。

大晦日の夕飯は餃子かと思ったが、そのような習慣はないという。いつもと同じ、キャベツ炒めと豚肉、で簡単に済ませた。周囲は午後から散発的に爆竹が鳴り響き、結構盛り上がりを見せているのだが、この宿には特に盛り上がりはない。オーナー夫妻も戻ってきていない。お茶を飲み、ネットをやり、日常生活のまま、夜10時前には寝てしまった。

あとで聞くと夜中11時頃、一斉に爆竹が鳴ったそうだ。タイと中国の時差は1時間、中国時間で新年を祝う、このあたりにこの付近の人々の複雑な思いがあるのかもしれない。何も知らず、私はぐっすり寝ていたのだが、きっと皆が中国の方に向けて爆竹を鳴らしていたのだろうと思うと、ちょっと感傷的になった。また昼間見た少数民族の正月、それはまた別なのだろうか。この辺ならソンクランの水かけ祭りが中心ではないのか。一見簡単に見える山の村、その歴史的、民族的背景を考えると夜も眠れない。

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