タイ北部お茶散歩2015(8)メーサローン 茶畑と餅つき

4.メーサローン 夕飯が出てくる

ホテルの入り口を登っていくと、受付、食堂がある。受付には10年前から同じ女性が座っている。老板娘の楊さんが出てきて、懐かしそうに挨拶した。ここでは部屋代がいくらかなど、聞くことはない。鍵が直ぐに出てきて、一番下の景色の良い、いつもの部屋があてがわれる。斜面に作られているこのビラ、上の方が更に景色が良いのだが、一々上がっていくのが面倒なのだ。

確かに宿泊客は見られず、特に混んでいる様子はない。『お腹空いてないの?』と聞かれ、初めて今日は朝飯しか食べていないことに気付く。気付くと猛然と腹が減りだすからおかしい。楊さんが指示を出すとすぐに夕飯が出てきた。スープ、野菜炒め、豚肉、相変わらずどれも美味しい。腹が減っていたからだけではないだろう。ご馳走様。

食事が終われば、夕方の散歩へ。既にあたりが暗くなりはじめたので、近所だけちょこちょこ歩く。このビラの裏手にも茶畑があるので案内しようとしたが、畑がよく見えずに断念。正面のお茶屋もすでに閉店。ここで普通の大葉種緑茶を買おうかと思ったのだが、明日にしよう。

ビラに戻って、お茶を飲む。古株のお姐さんが相手をしてくれ、お茶を何種類か飲んだ。彼女も楊さん同様、ミャンマー出身の華人。普通話で会話できる。Gさんは普段飲みの茶葉が気にいったという。ここの烏龍茶、頑張っているのだが、その時々で出来に差が少しある。それは茶師である張さんも認めていたこと。茶作りを何年やっていても簡単ではない、ということだ。それでも以前に比べれば品質はかなり向上していると思う。因みに張さんは旧正月休みということで福建省安渓に里帰りしており、残念ながら今回は会えなかった。

明日は大晦日。お客は少ないが、家族の行事は多いらしい。オーナー夫妻はご主人のお母さんの住むメーサイへ行き、ここまで連れてくるらしい。そういえば前回一緒に行動したここの娘がいないと思ったら、何と結婚してメーサイに住んでいるという。オーナー夫妻は孫の顔を楽しみにしている。彼女にホテルを継がせる話はどうなったんだ?色々と変化があるものだ。我々は放置される予定となる。それもまたいいか。休息しよう。

部屋でもネットが時々つながるようになっている。これもまたちょっとした進歩。標高1200mのメーサローン、平地に比べるとかなり涼しい。夜は熱いシャワーをさっと浴びて、ぐっすりと眠りに着く。夜は本当に静かだ。

2月18日(水) 茶畑と餅つき

翌朝いつものようにカオトームの朝食を頂く。ニンニクが効いていて元気が出る。天気は曇り。外で食べるのには少し涼しいので、中で。さて今日はどうしようかと思っているとオーナーの李さんがやって来たので、茶の状況を聞く。忙しい中、時間を作ってくれた心遣いが嬉しい。何といつの間にか台湾向け輸出はほぼゼロになっている。そしてヨーロッパ向けが伸び、中国大陸向けも少しずつ増えている。これは李さんたちが懸命に大陸の茶博覧会に行き、市場に売り込んだ成果だ。とても評価できる内容。

更にはタイ国内向けが約半数を占めるようになったというのも驚き。一昨日のセミナーでもタイ人のお茶に関する認知度が上がり、お茶への関心が急激に高まっていることを感じていたが、ここまで来ているとは。李さんの会社はタイでも大手の茶業者だから、その傾向が顕著に出ているのだろうか。息子をバンコックに常駐させ、お茶の販売に尽力している効果も出てきている。ペットボトル全盛の茶業界で、茶葉を売り捌くことは容易ではないと思うが、是非頑張ってほしい。

Gさんがお茶に興味を持っていると話すと、『それなら茶畑に是非。ちょうど作業員が車で行くので、乗せて行ってもらえ』と言ってくれたので、便乗して茶畑へ。前回は楊さんと娘と3人で行ったが、そこは風光明媚な写真スポット。今回は実際に草刈りをする場所だというから面白い。ピックアップの前座席に私とGさん、後ろに作業員が乗り込む。

途中まで広い道路を行き、そこから細い道を下る。そしてまた登ると一面に茶畑が現れた。そして作業小屋にある場所で車が停まり、数人が作業に出ていった。しばし茶畑の写真を撮りながら和む。本当にくつろげるのは、このような場所に来て、何のプレッシャーもなく茶畑を眺めている時だと感じる。まだ新芽が出るには早く、来月から茶作りが再開されるという。今は草刈りなど茶畑管理に精を出す。

運転手は中国語が少しできたので、茶工場へ行ってくれるように頼む。途中で小さな村を通った。アカ族の村らしい。何となく見ていると、餅つきをしているではないか。思わず車から降りて、駆け寄る。女性たちが搗き立ての餅を丸めている。本当の正月の餅づくりがそこにあった。おばあちゃんが持ちを差出し、『うまいぞ、食え!』と言っているように思えた。搗き立ての餅はほんのり甘く、柔らかくて美味かった。

周囲で子供たちが楽しそうに遊んでいた。正月気分、この山の中の村にも正月がやって来るのだ。雰囲気的には凧揚げやコマ遊びでもしそうなほど、日本に似ていた。皆で餅を作り、ご馳走を作って祝うのだろうか。これは日本の原風景ではないのか?過去ミャンマーのシャン州でも日本の原風景、食習慣の類似点を多く見てきたが、やはりこの辺りもシャン州と同様の習慣、少数民族は似たような習慣を持っているのだ。私はミャンマーでよく『ビルマ人の生まれ変わり』と言われたが、ここの茶畑を見て和むのは、単にきれいな茶畑だからではなく、私の原風景だからかもしれない。真の理由は分からないが、少し涙が出た。

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