メーサローン茶旅2011(3)茶摘み見学

(8)段将軍墓園

広場を離れると直ぐに『段将軍墓園』と書かれたアーケードがあったので登って行く。思ったよりきつい上りである。途中にリゾート用のロッジが見える。前はなかったような気がするので、最近出来たものかもしれない。タイ人のカップルがロッジから出て来る。今はかなり涼しいシーズンだが、国内旅行ブームがここにも見て取れる。

墓園は丘の上にあった。かなり大きな廟である。建物は綺麗であり、改修されているのかもしれない。階段を上ると大きな福の字が見える。上から見るとメーサローンの街が一望できる。

段将軍、名前は希文、1911年、雲南省生まれ。国民党軍に従軍し、抗日戦争を戦う。国共内戦では雲南省の指揮官として戦い、ビルマへ。その後一軍を率いてビルマからメーサローンへ。彼は現在のメーサローン国民党残党の首領であったわけだ。最後は病で台北の病院で死去している。段将軍の戦いは一体どんなものであったのか、どのような苦難の道を歩んだのか、機会があれば見てみたい。

祭壇に近づくと椅子に座ってウトウトしていたオジサンが急に起き上がる。今でも従軍しているのか、墓守なのか、ただその目は鋭いものの、動作は緩慢であり、メーサローンが既に平和であることを示していた。

帰りに道端の麺屋に入る。先程李さんと食事をしたが、ちょっと物足りなくなった。今回はクリアースープに叉焼、ゆで卵が入ったパスタ風麺。うーん、美味い。どこで食べても麺は美味い。幸せだ。

(9)茶の試飲

メーサローンビラに戻る。途中にセブンイレブンがあるのは昔からだが、何となく街の雰囲気にそぐわない。更に歩いて行くとお茶屋さんが数軒ある。観光客用、と言った感じで、ちょっと敷居が高い。

1軒、普通の家がある。向かい側ではお婆さんやおばさんが世間話に興じていた。子供同士がけんかしていた。お婆さんはそれを止めることもなく、まるで『子供は喧嘩して大きくなるんだ』と言っているように笑いながら見つめている。片方の子が泣きだすと初めて母親が間に入る。何だか子育ての意味を見る。

その家の奥では男性が茶葉を選り分けていた。家族と親せきが飲む分だけ茶を作っているらしい。中国の大工場などと違い、こうやって小さな茶工場が片手間でやっている、こんな光景が望ましい。

ビラに戻ると食堂でお茶の試飲をした。烏龍茶は前日飲んだ通り品質が明らかに向上していたが、同時に紅茶が美味しかった。これも台湾の影響だというが、簡単に作れるのだろうか。

そしてここに宿泊する人、外からご飯を食べに来る人、特にタイ人がお茶を飲むようになったという話を聞いて、少し驚く。確かに外では結構涼しいのに、何故かテントを張ってキャンプなどをしている。これがいわゆる中産階級の勃興ということだろうか。健康志向、烏龍茶が血圧を下げる、などと聞き、香が良いことも手伝って、タイ人がお土産に買っていく。数年前には考えられない変化である。

これまでは台湾など輸出先の要請で茶を作ってきたが、これからはタイ人の好みに合うお茶を作ることになるだろうか。しかしタイ人は甘い物好き。甘みが無いと飲まれないだろうか、それとも薬として飲むだろうか。

色々なことを考えながらお茶を飲むのは楽しい。タイ産烏龍茶、紅茶の宣伝をしてみると面白そうだ。そのまま夕飯となり、ここの名物、豚足とマントウを頂く。相変わらず美味い。食堂内にはWifiが設置されており、ここでネットも繋がる。昔はそんなものはなかったな。

12月29日(木)

(9)懲りずに散歩し、茶摘みを見る

夜は12-3度しかないのだろう。タイとしては涼しいというより寒いぐらいで良く眠れる。翌朝の目覚めもよい。標高1300mの高原というものは人を散歩に誘う。昨日山道に迷い懲りたにもかかわらず、又歩き出す。

ビラの裏を歩いて行くと、茶畑があった。こんな近くにあるとは今まで気が付かなかった。坂を下って行くと歌が聞こえてきた。誰がこんな所で歌など・・。それは何と茶摘み歌だった。

比較的緩やかな斜面にある茶畑で3人の茶摘み娘?が茶葉を摘んでいた。歌が終わるとけたたましい話声で世間話をしている(と思う)。明らかに少数民族だが、思い切って声を掛けてみた。残念ながら中国語は誰も話せなかったが、時々中国語を話す人間も来るようで、中国語は出来ない、とだけ中国語で言い、けたたましく笑う。

茶摘みは辛い仕事、その辛さを少しでも和らげるために、歌を歌ったり、大声で話したり笑ったり。ここの労賃もどんどん上がっていると聞く。厳しい仕事をやりたい人間は少なくなってきている。手摘みで茶葉を摘むことも無くなって行くのだろうか。

(10)車に乗ってチェンライへ

今日はバンコックに帰らねばならない。チェンライからエアアジアのバンコック行きを予約している。空港へ向かうにはメイチャンまでソンテウで行き、そこからタクシーに乗るしかない。

ソンテウは午前9時半に出る。次の11時半では飛行機に間に合わない。だが、ソンテウは時々欠便するとも言う。もし来なかったら大変だし、来てもメイチャンまでどれくらいの時間を要するか、そしてメイチャンから空港までは・・・、考えている面倒になる。

結局ビラに頼んでタクシーをチャーターしていく。楊さんからもう一人同乗してもよいかと聞かれる。勿論と答えると、途中で寄り道するとも言う。時間もあるので、その行先にも行って見ることに。

2晩お世話になったメーサローンビラを後にする。何だか、故郷を離れるような気分になる。それがなぜなのかは、分からない。でも懐かしい気持ちがこみ上げる。また来よう。

車はソンテウより遥かに速く、山を下って行く。あまり余韻に浸る時間はなかった。麓の街に着くと、車は街道沿いの店に入って行く。助手席に座っていた女性が降りて行き、また戻る。何をしているのか、どうやらバンコックに出す茶葉を預けるため運送会社に持ち込もうとしている。

だが最初に行った店では断られた。今日は12月29日、年末で配送に時間が掛かるらしい。一般的にタイの配送会社は宅急便などとは違い、自分で荷物を持ち込み、配送してもらい、目的地で、また荷物を受け取るシステムらしい。

次に行った店ではバンコックに送った荷物を指定先に届けてくれるらしい。ここから送ることにしたようだ。今晩送って翌朝バンコックに到着するらしい。これならバンコックでの茶葉販売にも便利だ。

それから空港まで30分も掛からなかった。エアアジアにチェックインし、時間があったので空港内でハンバーガーを食べながらネットを使った。あれ、と気が付いた。何とビラの鍵を返していなかったのだ。恐らく楊さん達もあまりに親しくしていたので、鍵のことを忘れてしまったらしい。ちょうどチェンライ空港内には彼らの直営茶葉販売店があることを思い出し、行ってみたが、昼休みなのか誰もいなかった。30分待って店員が戻ったので鍵を渡した。怪訝そうな顔をしていたが、細かく話さず、ゲートへ向かう。エアアジアは定刻を少し遅れてバンコックに向け飛び立った。





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