タイ巡礼、そして茶旅2017(7)カンペッペの遺跡で思う

7月17日(月)
遺跡へ

カンペッペに来た理由、それは遺跡を見るためだった。タイ中部の遺跡と言えばスコータイなどが有名だが、出来ればあまり観光客がいない場所がよいと思い、この地を選んだ。だが、ホテルから遺跡までは歩いて4㎞近くあり、バスなどの交通手段はないという。タイの観光地によくある利権なのだろうか。プーケットやチャンマイとここは違うと思うんだけどな。タクシーなどはなく、トゥクトゥクが走っているだけなのだが。

 

仕方がないので暑くない早朝に散歩がてら歩いて行くことにした。朝6時過ぎに起きて、朝食のお粥を食べると、すぐに出掛けた。昨晩までの雨は上がっており、既に太陽は登り、日差しが出ていたが、それほど暑くはなかった。道は川沿いの大通りの一本道で間違えることはない。昨日見たお寺を過ぎ、渡った橋の近くを通り、ただただ歩いて見る。

 

その先の方から、ちょっと遺跡らしいところが見えてきた。このまま歩いて行けば入り口があるに違いないと思い、ひたすら歩いたが、ついに入り口はなく、遺跡もそこまでになってしまった。何と私は遺跡の入り口の反対側を歩いていたのだ。一本道だと思い込む、やはり地図などはきちんと見て歩かなければいけない。

 

その遺跡の先を回りこんで何とか入り口に着いたと思ったが、私が目指していたカンペッペ歴史公園はここからまだ先だったのだ。途中バイタクのお兄さんが声を掛けてくれたが、近いと思って断ったのが悔やまれる。その入り口に着いた時には正直もうクタクタだった。5㎞以上は歩いただろう。いい運動にはなる。

 

入り口で入場券を買う時、横を見ると自転車が置かれていた。貸自転車だというので、借りることにした。パスポートを預ける必要があったが、まあ無くなることもないだろう。入場者は殆どいない。自転車は快適だった。この公園は傾斜地にあるようで丘の上に向かって漕いでいく。雨ざらしの状態で、実に沢山の寺院跡があり、壊れかけた仏像が安置されている。

 

スコータイ時代のものが多いようだが、その破壊のされ方がかなりひどい。アユタヤなど、他の遺跡でも見られることだが、異教徒同士の争いは、極めて凄惨な結末を生む。これは現代でも続いている。そんなことをこの遺跡群は教えてくれる。組んだ足だけが残っている仏像を見ると、その痛ましい状況に耐えがたいものを感じるが、同時にそれでも数世紀の間、そこに座っている不思議さを思わざるを得ない。

 

奥の方に自転車で入っていくと、犬が何匹かいた。その横を通り抜けてさらに奥に行こうとすると、猛烈な勢いでその犬たちが私を追撃してきた。そのけたたましい叫び声と迫力は、とてもただ吠えているようには感じられなかった。その場所には私には見えない何かがあったに違いない。犬たちはそこを守っており、入って来る者を許さない、そんな世界があるのかもしれない。

 

この公園、何とも広い。自転車は正解だった。外周道路を走り、入り口に戻り自転車を返した。だが実は先ほど通ってきた方にも公園は続いていたのだ。また歩いてそちらに向かう。こちらはコンパクトで、仏像もかなり完全な形で残っており、ビジュアル的には観光客が見学するのに適していた。この遺跡全体に興味を持ったが、博物館は残念ながら休館日で、その歴史を知ることは出来なかった。もっと勉強してからくるべきだった。

 

帰りも歩いて戻っていく。お爺さんのトゥクトゥクが近づいてきて20バーツで乗らないかという。まだ歩けるので断ってしまったが、後で考えるとお客がいなくて困っていたのだろう。乗ってあげるべきだった。そう思うと急に足が痛くなる。ゆっくり歩きながら、街中のお寺を見たりして過ごす。次はスコータイへ行こうと思っているので、ロットゥ乗り場を探したが、見付からなかった。

 

昼前にようやくホテルに辿り着いた。もう1泊すると告げるとフロントのおばさんはかなり意外な顔をしたが、それでも笑顔だった。暑いシャワーを浴びてゆっくりとベッドでまどろむ。最高の気分だった。3時頃には朝出しておいた洗濯物も届けられてきた。洗濯代も安いので本当に助かる。

 

午後は雨が降っていたので外出せず。夕方何となく雨が止んだように見えたので、取り敢えず外へ出たが、まだほとんど歩かないうちにまた雨が降り出した。思わず小さなショッピングモールに駆け込む。そこにはちょうどケンタッキーがあったので、そこへ入り込んで休息のつもりが夕飯を食べてしまう。偶に食べると意外とうまい。

 

食べ終わると雨が上がり、川沿いを散歩する。そこには市場があり、色々な食べ物を売っていたのでちょっと残念。見るだけに留める。何と日本料理の提灯が見える。タコ焼きなどはこちらでも大人気、そして小さめの握り寿司も売られている。日本人にはなかなか手が出しにくいが地元の人は気楽に食べている。お寺もあったが、ここは中国式、華僑のためのものだった。華僑というのはどんなところにもいる、それは凄いことだ。

 

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