突然行く台湾北部茶旅2015(6)桃園の茶農家へ

そして地下鉄に乗り、広方園に行った。夕方6時以降は湯さんがいるので、その時間に合わせていく。だがちょうどお客さんが来ていたので、先に食事に行くことにした。客家料理がこの店の並びにある。前にも2回ほど行った店だが、入ると、なぜかお客が殆どいない。今日は営業しているのかと店員に聞くと、びっくりしたように、そして皆笑ってやっているとの答え。好きなものを頼んで食べている内に、お客が入ってきたので、少し時間が早かったのかもしれない。客家料理は本当に我々の口に合う。

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広方園に戻ると湯さんが紅茶のティバッグを差し出す。最近はとにかく、これに力を入れている。この紅茶、美味しいのだが、私は広方園の烏龍茶なども飲みたい。でも湯さんとご主人との話ばかりに夢中になってしまい、お茶を要請するタイミングがなかった。その内に時間は9時を大きく過ぎてしまい、ついに紅茶以外のお茶には行き着かなかった。残念。

 

12月9日(水)

4.桃園

引っ越し

今日は朝からお出掛け。その前に3日泊った宿の個室が、今日は塞がっていたので、お引越しとなる。ドミに移るのは嫌だったので、別のホテルへ行くことにした。初日にBさんから天津飯店はどうかと言われ、驚く。26年前、この界隈をフラフラしていることが時々あり、その時に見覚えのあるホテルだった。まだあるのか、と懐かしくなり、寄ってみると、1泊1300元だというので残り2泊はここにしようと決めていた。予約は口頭で行い、言語は日本語で。昔が思い出される。

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台北駅前から林森北路へ荷物を引きずって歩いていく。距離的にはそれほど遠くはないはずだったが、意外と疲れてしまう。歩道が凸凹でとても歩き難いのである。ベビーカーを押していたら大変だろうな、と思ってしまう。台湾は昔に比べて随分良くなったとは言いながら、この辺のインフラはまだちょっと辛いかな。

 

20分ぐらい掛けて何とか天津飯店に辿り着いたが、時間はまだ朝8時。チェックインはできずに荷物を預かってもらうことになる。アジアのホテルでは空いてさえいれば、早朝からチェックインできるところが多いのだが、ちょっと日本的対応であった。地下鉄の駅まで歩いていく間に、朝飯屋を見つけ、また蛋餅と豆乳で済ませる。この店、朝から繁盛していた。

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導善寺という駅まで歩いていったが、市民大道を越え、公園を通りすぎ、意外と遠い。今日も昨日に続き、Nさんが同行することになっていたが、彼女はこの駅の近くに泊まっていると言っていた。我々の待ち合わせ場所は頂埔駅という聞いたことがない場所だったが、フラフラと歩いていくと、なんとひょっこりNさんが顔を出した。偶然とはいえ、恐ろしい偶然だった。そのまま二人で駅に行き、地下鉄に乗る。

 

長生製茶

まずは土城という場所に行くと思っていたが、指定された頂埔駅が新しくできていた。台北の地下鉄はどんどん伸びている。真新しい駅を出ると、そこはこれから開発という感じだった。今日はここにIさんが待っていてくれる。彼女は我が息子が北京に留学した最初の学校の同級生だった。しかもNさんが20年前に留学したのも同じ学校というご縁で結ばれていた。面白いことだ。

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実はIさんは今年、台湾人男性と結婚、彼の実家に住み始めている。それがこの近所だというので、今日車を運転して我々を茶園に連れて行ってくれることになった訳だ。しかし彼女は妊娠5か月、安定期とはいえ、運転してもらってよいのだろうか。会った彼女の印象は特に変わっておらず、お腹も目立たなかった。

 

車はどこを通ったのかよく分からなかったが、駅から紹介された長生製茶まで、そんなに遠いとは思っていなかったのでビックリ。しかもその場所には茶畑があるとはとても思えない、工場がいくつか見える坂道の途中にあった。車で連れてきてもらってよかった。これはナビがなければ迷っただろう。

 

その工場のような建屋、そして横には自宅が付いている長生製茶。埼玉のお茶屋さんであるSさんから、前回南部に行った時、紹介された茶農家だった。まさかすぐに台北に来るとは思っていなかったので、訪問はかなり先だと考えていたが、Sさんも是非行ったほうが良い、と勧めてくれており、折角の機会なので訪問することにした。Sさんたちはここに来て、製茶研修をしているという。日本茶から脱却するために萎凋など、新たな製法を学ぶことは大切なようだ。電話を掛けると流暢な日本語も返ってきた。何とも不思議な場所だった。ここでは何が行われているのだろうか。

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工場には誰の姿もなかった。声を掛けると女性が出てきて、事務所でお茶を淹れてくれた。少しすると、男性が普通の日本語を使って入ってきた。林さん、38歳だという彼は、小中学校時代を日本で過ごしたというから、日本語はうまいはずだ。その他、国語、台湾語、母語の客家語も話すという。しかも台湾に戻ってから、機械関係の専門学校を出て、日系商社に勤めたというから、その経歴は凄い。

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