下田紅茶旅2015(2)地紅茶サミットで

来賓あいさつの後、地紅茶サミットが始まった。現在の地紅茶の問題点、取り組みなどを各地の生産者代表が報告していく。北は茨城、新潟から南は熊本あたりまで、実に幅広い生産者が集まっていた。皆さん、紅茶作りをはじめてそれほど年月が経っている人は少ないが、その熱意は感じられる。中には『皆さんの製茶レベルは低すぎる』とのたまう、コンサルタントと称する人もいて、ちょっとビックリしてしまう。単なる仲良しの会ではなさそうだ。

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兎に角、如何にして品質の良い紅茶を作るか、そしてそれをどのように消費者に広めて、売っていくのか、という共通の、重い課題が地紅茶にはある。その取り組み事例を紹介し合い、皆で地紅茶を盛り上げて行こうという姿勢がある。『いいお茶とは何か』という問いかけに『消費者に選んでもらえるお茶』『自己満足ではいけない』という言葉が響いていく。日本茶業界の問題点をそのまま突きつけるような話になっている。煎茶にもこんな議論はあるのだろうか。

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知り合いのOさんも、普段は温和な話しぶりなのだが、この時ばかりは『地紅茶が少し世間に認知されてきたとはは言っても、流行りは一時的なものになりがちだ。ここから努力して、消費者に真に受け入れられる商品を提供する必要がある』と厳しい顔で指摘していた。このサミットは一般の人向けに行うイベントではなく、地紅茶業界の決起集会のようなものであった。それはとても面白い。

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そして最後に次回開催地である奈良県月ヶ瀬の茶農家とその支援者が、前に出て発言した。既に来年の開催も決まっており、12月4-5日に行われるらしい。しかも開催地は持ち回り、というより、自ら立候補して、企画書を提出し、審査を経て決まるという。自分たちのやっていることを同志に見てもらおう、より多くのお客さんに知ってもらおうという志、とても大切なことだと思う。

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サミットは時間が短く、あっという間に終わってしまった。後は懇親会での相互交流になるようだ。続いて、静岡の重鎮、K先生による基調講演があった。『開国と紅茶』という場所をわきまえた演題だったが、この発表内容にも驚いた。下田紅茶は『ハリスが将軍に茶を献上した』ことに由来すると聞いていたが、K先生は『歴史的に文献に当たってみたが、そのような事実は見付けられなかった』とバッサリ、と述べていた。これには会場もビックリ。

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具体的には、ハリスの幕府への献上品リストの中にお茶はなく、また当時アメリカでは紅茶は作られていなかった(下田ではこの紅茶は中国産だと説明しているようだが)、ということだ。ではなぜこのような話が出てきたのだろうか。これは後世の人が書いた物を参照した結果ではないか、とのことだったが、一方『お茶の商売をするため、地元振興の為に宣伝として使われる分には、このようなストーリーは良いかもしれない』とも付け加えられていた。

 

町おこしをした市長さんも聞いている目の前で、こんな話ができる研究者というのは、すごい。自分の研究成果をちゃんと発表するものだな、と妙に感心してしまった。それにしても江戸時代、オランダや清朝は献上品として将軍にお茶をもたらしたのだろうか。もしそれがあったとすれば、それは紅茶だったのだろうか。ちょっとした興味が湧く講演内容だったことは確かだ。

 

講演終了後、知り合いと出会って話し込んでいると、1階のブースの試飲販売は既に終了してしまっていた。また明日があるからいいや、と思っていたが、何と今日だけ参加という人達もいて慌てるも、もう遅かった。先日訪問した村上茶のIさんとはトイレですれ違ってあいさつしただけに終わる。行き当たりばったりの旅が多いが、もうちょっと計画的に回るべきだった。

 

懇親会

それから宿に戻り、チェックインした。そこにいたのは外国人(フィリピン人かな?)のおばさん。明日の朝までは彼女が当番なのだろうか。人手不足の上、経営が難しくなる従来型のビジネスホテル、その生き残り術にも興味が沸いてくる。後でゆっくり観察してみよう。

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サミットの懇親会にも飛び入りで参加することになっていた。その場所はサミット会場ではなく、某ホテルだというのだが、その場所はよく分からなかった。まあ、検索すれば分かるだろう、下田はそんなに広い街ではない、とタカを括り、駅前から歩いて向かったが、検索で見る地図では高低差はよく分からなかった。

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