台湾南部ぶらり茶旅2015(18)台南 蕎麦屋を開く日本人

11月17日(火)

台南散歩

翌朝はゆっくり起き上がる。昨晩遅く帰った寝たこと、そしてそろそろ旅に疲れてためだろう。個室なので誰にも邪魔されず、じっくり寝ていられたのは良かった。朝ごはんを食べるかどうか迷い、取り敢えず外へ出てみた。食べたいという気持ちはそれほどなく、付近の散策を始めた。因みに宿のオーナーは横の空いている場所に、建て増し?のための作業をしていた。自らが大工になり、材料も自分で買ってくるそうだ。やれることは自分でやる。

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すぐ近くに日本統治時代に料亭として栄えた鶯料理という店の跡が観光スポットとして保存されていた。建物などは殆どが復元されたもので、あまり古さは感じられない。当時は日本人などが多く集った集会場所のようなところだったとか。どんな日本料理が出されていたのだろうか。ここ台南にも日本時代の建物がたくさん残されていることを知り、興味を持つ。

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鄭成功母子を祭った廟もあった。鄭成功は台湾人から見るとどう映っているのだろうか。廟があるということは、やはり英雄なのだろうか。もう少し歩いていくと、通りの角に旧勧業銀行台南支店の建物があった。重厚で立派な建物で、今も台湾の銀行が使用している。その向かいには林百貨があった。ここは後で夜に行くことになる。この辺が昔の台南の中心地か。

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その先には現在の与党、国民党の事務所があった。来年1月には総統選があるが、国民党が勝つ見込みはこの時点で殆どなかった。台湾人の誰に聞いても、『今の政権は変えなければならない』という意味の発言をしていた。民進党がいいとは決して言っていないが、今の馬総統の政策は止めなければならない、そういう意味だろう。政策とは主に対中国政策だが、中国に頼らずに経済を立て直すことなどどう考えてもできない筈だ。それでもNOという。心配などしていても何も始まらない。如何にも台湾的なこの判断、どうなるのだろうか。

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昨晩蔡さんに教えてもらった台南の面白スポットに向かう。それは単なる廟だった。だがその柱に天使が彫られているのだという。それはどういう時代に何の為に作られたのかは分からないが、とにかくあるというから行ってみる。表の柱を一生懸命眺めてみたが、全く天使は見付からなかった。その辺にいた人に聞いてみても『何の話だ』と相手にしてもらえない。

 

一人の老人に聞いて、ようやくその天使を発見した。天使は柱に絡みつくように、そして笑顔であった。中洋折衷ということなのだろうか。実に不思議な状態である。知らないと言っていた人々も、これを見て驚いていた。『いつも来ているがこんなものがあるとは初めて知った』というのだ。

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帰り掛けに呉園に行った。表の建物は公会堂、という名前になっていたが、後ろの庭には、池があり、岩が置かれ、まさに大邸宅の庭園だった。その横には日本の木造家屋を改造した茶荘もあった。ここのオーナーの名前も聞いていたが、何となく入らなかった。オーナーも忙しいのでいないと思われたこと、ちょっと観光客向けかな、と思ってしまったことが理由かな。

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蕎麦屋を作る日本人

府中路を目指して歩いていく。雰囲気の良い木々が並んでいる。そこはちょっとお洒落なエリアになっており、観光客に土産物を売る店などが何軒もあった。突き抜けると孔子廟に当たる。1655年に創建されたというから台南でも古い廟だ。説明書きの中には1923年に昭和天皇が皇太子時代に訪問したことまで書かれている。リスが木を伝っており、皆がスマホを向ける。

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府中路から横道に入ると、そこは迷路のように小道が入り組んでいた。そこを辿っていくと目的地に到着した。小さな庭先には男女が立っていた。一瞬日本人とは分からなかったその男性がOさんだった。向こうも私を日本人とは思わなかったようで、ぎこちない出会いとなる。

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OさんはBさんの音楽仲間。沖縄の三線奏者だというが、東京出身らしい。そして何と彼はここに蕎麦屋を開店しようとしていた。蕎麦打ちの修行もしており、台湾人に蕎麦の打ち方を教えるイベントなどをやっているとか。その開店は今週の土曜日に迫っていた。居抜きで借りた店は、元は日本料理屋だったという。建物は日本時代に建てられたもの。家の壁には1945年に米軍の空襲を受けた際に残った弾痕がある。庭の井戸はいまだに使われており、こじんまりしていて雰囲気は良い。まずは週末営業してみるというが注目を集めるだろう。

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実はOさん、台湾に関した本も出している。この本、泊っている宿にも置いてあったのでぱらぱらと眺めたが、バイクと徒歩で台湾を一周していた。庶民との触れ合いにより、台湾を理解していく姿はよい。Oさんは実に多彩な面を持っており、若いが面白い存在だと言える。蕎麦屋の成功を祈ろう。

 

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