北限のお茶を訪ねて2015(3)村上茶の老舗 富士美園の挑戦

10月16日(金)

翌朝はホテルで朝食を食べる。朝食付きと言っても簡単なメニューのところが多い中、ここではきっちり、ご飯に味噌汁、おかずも豊富で、ご飯をお替りしてしまう。さすが新潟米処。納豆、たまご、海苔、新潟米の美味しさをアピールする場としても、実に効果的なような気がする。

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8時前にホテルの外に出ると、既にKさんが迎えに来てくれていた。もう一人Kさんの銀行時代に先輩である、Iさんがわざわざ車を運転してくれた。実はIさん自身は新潟県内で銀行勤めが長かったが、生まれは村上、それも老舗茶屋だったのだ。村上で一番有名なお茶屋、富士美園が生家であり、現在は弟さんと甥子さんがお茶屋を継いでいるが、定年後は新潟で村上茶の販売なども手伝っているという。これはまさに貴重なご縁だ。

 2.村上

村上散策

村上までは新潟から北へ。ちょっと話をしている内に、何だかあっという間に着いてしまった感じだ。車中でIさんがペットボトルに入ったお茶をくれた。飲んでみるとほんのり甘い。昨晩詰めた冷茶だという。うま味が引き出されている。車で約1時間、交通量も少なく、順調に新潟最北端の街、村上に着いた。

 

村上の町に入ると、古い町並みが見える。両側が黒塀という小道を通ると、何だか時代劇のセットのようだ。土蔵造りのとても珍しいお寺があった。浄念寺、奥の細道では芭蕉と曽良もここに立ち寄ったらしい。またこの寺には6代将軍家宣の側近であり、新井白石と共に政治の実権を握っていた間部詮房の墓があるという。

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間部は甲州で猿楽師をしていたが、後に家宣に仕え、将軍になるとそのまま江戸城へ入った。八代将軍吉宗の登場で、権力の座を追われ、高崎から村上へ国替えになってそこで死んだという。晩年の詮房はどのようにこの地で過ごしたのだろうか、興味深い。雪国である村上は江戸時代、どのような位置づけにあったのか。メインの通りに出ると、村上牛などの看板が目に入る。やはり村上でも元は輸送手段として、牛を使っていたのだろうか。

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富士美園

そして今日の目的地、富士美園に入る。お店の奥が座敷になっており、見事な大ぶりの屏風が飾ってあった。『これは山岡鉄舟直筆です』とIさんの弟さんが説明してくれる。いきなり幕末の有名人の名が出てきたので、ビックリ仰天だ。昨日まで屏風展が行われていたらしい。

 

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中庭も素晴らしい。この家、奥行きが非常に深い。まるで京都の町屋のようだ。村上は日本海を伝って、京からも大いに影響を受けている。但しここは城下町。武士が通り抜けできるように作られてきたとも言う。階段箪笥といった面白いものも置かれている。階段状になっており、引き出しが付いている。その感覚が何ともお洒落だ。神棚も不思議な位置にある。人間が神様の上に住まないように天井が特に高く、吹き抜けになっている。座敷の真ん中には囲炉裏があり、湯を沸かしてお茶を淹れてくれた。何とも優雅で、風情がある。

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そこへ表が騒がしくなる。何と地元の小学生が沢山やってきた。今日は社会科見学だという。確かに郷土の歴史を知るのに、このお茶屋さんはとても参考になるだろう。創業は明治元年となっているが、勿論江戸時代から続く老舗だ。我々は場所を小学生に譲り、一時的に店から退散する。

 

そしてIさんのお知り合いの酒蔵を見学しに行く。開いてはいなかったが、呼ぶとすぐに人が出てきて、丁寧に説明してくれた。昔は沢山あった酒蔵も、統合されていき、2つしか残っていないという。ここにも屏風祭りの名残で立派な屏風や家具、そして引き札などが沢山展示されていた。社長が出てくるとIさんとは顔なじみ。酒の試飲が始まる。原料の米が美味ければ酒も美味くなる。当然の原理のようだが、米によって味が異なることを教えてくれる。

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そしてまた富士美園に戻ると、I茶師が待っていた。彼は弟さんの息子で、40歳とまだ若いが、日本茶インストラクターの資格取り、新潟ではお茶の第一人者と呼ばれているらしい。お茶屋の取り仕切りをやっている。いきなり明治初期の蘭字を見せてくれた。村上茶もこの時期、輸出に力を入れていたようだ。ロシア向けなども試みられているのは地理的な問題か。お茶自体は1600年代に持ち込まれ、植えられ始める。明治期は80%以上、アメリカに輸出していた。そして最近は紅茶の製造にも力を入れている。雪国紅茶という名称で、新潟などでも売っている。

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茶畑にも連れて行ってもらった。少し小高くなった場所に茶畑は点在していた。防霜ファンなどはなく、北国ではあるが、茶の新芽が出る頃は、霜などの被害はないことが分かる。狭いエリアに茶樹がぎっしり植えられている。その横には昔からの在来種も見られた。『効率から言えば、在来は収量が少ないが、村上の歴史を大切に残していきたい』という思いで、作られていた。

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そして別の畑では、新たに茶樹が植えられている。『茶レンジ事業』として、スポンサーを募り、茶畑を拡大している。ここ村上では、他の地域と異なり、需要に茶葉が追い付いていない。そこで資金力のあるスポンサーの力を借りて、県外から購入している茶葉を自分たちで生産して代替しようとしている。将来は茶農家で意欲のある者が集まり、独自に茶作りを展開したいとも言う。伝統を残しつつ、北限のお茶というブランドを確立して、前に進もうとする姿勢は非常に好感が持てる。これからの日本の茶業の一つのモデルなればよいと感じる。

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