ミャンマー紀行2005(16)マンダレー 新航空会社

(4)メイミョウの街

車でメイミョウの街に向かう。先程頂いたクッキーが美味しかったので買うために、タイガーストアーという店に行く。行って見ると中は暗いが、確かに色々なものが置いてある。化粧品、電気製品、日用品など外国産もかなりあるのでメイミョウ在住の外国人がよく来ると店だと思われる。クッキーはインド製であろうか?丸くて大きく、そしてやや甘い。私の好きなイギリス風だろうか。ついでに歯磨き粉も買う。コルゲートである。SSはお土産だと言って何やら大量に買い込んでいる。

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街の中には教会が見える。やはりメイミョウはイギリスが開発した街だ。ロケットのように尖った建物。そして立派な校舎。ここはセミナリオ。1914年に設立された由緒正しいものである。歩いて入って行くと、建物の2階から修道女がこちらを見ている。どうみても怪しい侵入者を牽制している。しかし度胸満点のTAMは全く動じる気配もない。目の前を平然と通り過ぎると、教会内に入る。きれいなステンドグラスが嵌められている。誰ひとりいない教会で静かに席に落ち着く。目を瞑ると中世のヨーロッパにいる気分に浸れる。いい。

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昼ごはんはマレーシア料理。何とチキンライスである。私の好物。果たしてミャンマーのマレーシア料理とはどんなものだろう?出てきたのは、日本で言えばオムライスの中に入っているチキンライスである。これにケチャップをかけると美味しい。またフライドチキンとライスという組み合わせも出てくる。こちらもチキンが新鮮で美味しい。何だかとても満足。

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早めにマンダレーへ移動。メイミョウの街の入口でパーセルタワーの写真を撮る。これは1936年にビクトリア女王によって贈られた時計台。確かネルアダムスの本の中にも出てきた由緒正しいものだが、外壁はきれいに塗り替えられており、とても古い建物には見えない。

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横の映画館を見ると、料金は100-250k。インド映画のポスターがたくさん貼られていた。ミャンマーではインド映画に人気があるのだろうか?それともここメイミョウにはインド系が多いのか?そういえば先程馬車を見かけたが、御者はインド系の若者であった。イギリス時代のグルカ兵の末裔との話もあったが、本当だろうか。車は坂を下り、マンダレーに向かう。これは前回も辿った道で相当のカーブがあるが、既に慣れてしまい、安心して眠れる。さて、マンダレーでは何が起こるか?今日は車に乗る時間が少ないため、元気である。

 

8.マンダレー

(1)航空会社オフィス

2時間半でマンダレーに着いた。メイミョウから下りて来るとマンダレーの暑さは実に堪える。イギリス人のお金持ちがメイミョウに別荘を構えた意味が良く分かる。メイミョウは本当の避暑地なのである。マンダレーで最初に訪れたのは、エアーバガンのオフィス。予定を変更して明日マンダレーからヤンゴンに帰るフライトのコンファームである。国内線の飛行機の予約変更が難しいこの国で、旅行会社をやっているTTMが力を発揮して、押さえてくれたフライトである。私の我侭の産物でもある。

 

オフィスは大きな通りにあった。綺麗なオフィスである。何しろエアーバガンは昨年10月に開業したばかり。エアコンが効いている。中には2人の女性が椅子に座っていた。ミャンマー人の女性にSSが話し掛ける。予約の確認である。彼女は電話の鍵を開けて、受話器を取り上げた。ここでも長距離電話が掛けられるらしい。いや、ヤンゴンに電話でリコンファームしている。もう一人の女性は顔がインド系。名前はリダ。彼女は英語を話す。エアーバガンは本当に新しいエアラインでサービスも良いという。ミャンマーも新時代がやってきた予感がする。リダを見ているとそんな気がした。

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そこへおじさんが入ってきた。柔らかい笑顔で我々の方にやってくる。私を日本人と認めると更に満面の笑顔となる。英語も達者である。色々と私達に聞いてくる。彼は昨年まで貿易商だったようで、海外経験もあるようだ。そこで新設されたエアーバガンに見初められ、代理店を経営することとなった。そして手続きが終わると笑顔で『また会いましょう』と日本語で言って我々を送り出す。車に乗ってからSSと2人、何故あのおじさんはまた会いましょうと言ったのか不思議に思う。日本語を間違えたのか?

 

(2)マンダレーヒル再び

ユニティーホテルにチェックイン。前回と同じだ。出来れば違うホテルに泊まり、ホテル間の格差チェックをしたかったが、何しろ急遽予定を変更したのだから仕方がない。全ては私の我侭。しかしこのホテルは安定感がある。決して高くはないが、清潔感があり、バスタブもある。日本人バックパッカーなどはなかなか部屋が取れないと言っていたが、これもTTMの力だろうか?因みにSSは全てTTMの指示で動いている。車には弱いが研修の成果が出始めている。

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午後4時頃マンダレーヒルに向かう。今朝メイミョウでK氏が『マンダレーヒルには日本人慰霊碑がある』と教えてくれた。教えられると直ぐに行くのが私の性格。TAMも直ぐに反応するタイプ。これがよい。マンダレーヒル、半年前にはTTM、SSと3人でやってきた。その時見たマンダレーの夕陽は今も印象に残っている。今回も夕陽を見よう。車で丘を登り、階段を上がると一番上に出る。しかしまだ夕陽には早過ぎる。SSが日本人慰霊碑の場所を確認している。

 

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