ミャンマー紀行2004(18)ビンダヤ  ラペソーの村で

30分も歩いただろうか?家が見える。母娘がここだよ、と言う感じである家に声を掛ける。直ぐに家からおじさんが出てきて招き入れられる。中の土間では3人がさっき摘んだという茶葉を捏ねている。茶の香が広がる。お茶が出る。TTMが美味しいと言って飲む。確かに美味しい。正直言ってミャンマーのお茶の質はそれ程上等とはいえないのだが、何故か美味しいのである。水の関係もあるだろうか?ラペソーが登場。豆や乾し蝦など全く入れない純粋な物。塩味が利いている、ライムを搾っておりこれもイケル。ついつい遠慮もせずに食べてしまう。

ミャンマー 138m

ミャンマー 145m

 

豆が出る。落花生のようだ。これも美味。TAMの適切な解説、『これはレイジービーンです。この豆の弦は上に伸びず、下に留まっておりその分太っているのです。それで農民はこれを怠け者の豆(レイジービーン)と呼ぶのです』。何故か皆がSSの方を見たような気がした?

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TAMが他人の家の土間から更に奥に勝手に入る。ついて行く。そこは台所兼居間。人の食事を覗いて見る。美味しそうな野菜、豆、健康に大切なものがふんだんにある。おじさんが『トウモロコシ食べるか』と言った感じで突然炭火の中に生のトウモロコシをくべる。香ばしい匂いがする。しかし何とも豪快である。美味しいと言うとどんどん出てきてしまうので、食べるのを止めるほど。前回もそうだったが、農家の人は突然訪れても実に親切。気を使わせてしまっているのは重々分かっているが、この対応が嬉しい。おじさんもおばさんも一生懸命色々と説明してくれる。

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ここのラペソーは1.6kgで2,200k。茶は1,500kにしかならないので、10年前から歩の良いラペソー製作に切り替える。この家はかなり大々的にやっており、作業の最終工程である、樽に漬物石で漬けている物が家の中に沢山置かれている。小泉武夫先生の『アジア怪食紀行』には、このラペソーと肉、野菜を一緒に炒めると唖然とするぐらい美味しい料理になる、と書かれているが本当だろうか?発酵食品は非常に美味しいものであるとは実感しているものの??次回試してみよう。

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戦時中日本兵はこの村にもいたという。おじさんが一言、『お前はこの村で死んだ日本兵の生まれ変わりではないのか?』と言われてとても驚く。確かに私はシャン州に来ると全く違和感がない。ここが生まれ故郷だと言われても納得できる気がしている。やはり私の先祖はミャンマー人、又は前世はミャンマーに縁があるのだろうか??日本兵はここで何をしていたのだろうか。

 

この村は全部で160世帯、800人が暮らす、この辺りではかなり大きな村。農家から少し登って行くと大きな僧院と学校があった。その僧院の横に1つの建物がある。案内のためについてきた農家の人が『この建物は日本人が建てた図書館です』と言う。彼は鍵を借りてきてドアを開けてくれた。中にはミャンマー語の本が沢山置かれていたが、日本語の本は無かった。ただ壁に『友情』『愛』と言う文字が掛けられており、僅かに日本の痕跡を残している。

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しかし鍵をかけているところを見ると、現在使われている形跡はない。これもまた残念なことだ。折角資金を出して箱ものを建てても、その後の運営資金などがないと、このような状況になることは、中国で日本政府が行ってきたODAでも何回も見てきている光景だ。自己満足にならない、一過性に終わらないためにも、支援は良く考えて行わなければならない、とつくづく思う。

 

きっとここに暮らした日本兵か遺族が建てたものだろうが、今や謂れも分からないとは何とも悲しい。ミャンマーに戦争に行った人の書いた本を読むと平時は日本兵と村人が仲良く交流したことが語られていることが多い。武者一雄氏の『ミャンマーの耳飾り』という本は児童文学の形態を取っている。インパール作戦の悲惨を書いているが、村人との交流が上手く描かれている。今でも日本の童謡を歌えるミャンマーの老人がいると昨年ガロウのウラミット氏から聞いたのを思い出す。

 

シャン州の人の懐の深さ、誰でも受け入れる温かさと、昔の田舎の良き気質を持つ日本兵はお互いに相容れるものがあったのではないか、と勝手に想像する。私のような普段気が短い人間でもここに来ると気持ちがゆっくりになっていく。スローな生活が送れるような気になるのも、シャン州の人々の気質によるのではないかと思われる。何かが突き抜けて、超越しているのである。

 

茶畑は整然としているが、害虫に結構やられていた。無農薬は良いことではあるが、生産にはそれなりの苦労が伴う。茶樹は30-40年ぐらい経っているものが多い。茶摘みの女性は若い。かなりきついスロープで作業している。結構大変な作業である。向こうの山にも茶畑が見える。この村はいまだ茶畑の入り口である。この奥にまた山を越えてまだまだ広がっている。ここの電源は山の上に水を溜めて水力で起こすと言う。山には山の生活がある。

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