ミャンマー紀行2004(16)日本語のできる美人CA

(9)ヘーホーへ   8月11日(水)

翌朝6時半に朝食、6時50分にはホテルを出る。愈々クライマックス、シャン州に向かう。空港への道は一昨日通っているが、例の洪水被害の場所で大渋滞が起こっていた。車が一車線しか通れない為、そこに車が殺到している。全く動かない状態になっている。マンダレーへ向かうトラックが多く、物資が都市に流れている様子が伺える。そんな悠長なことを考えていると横でSSなどは飛行機に乗り遅れると本気で心配している。ミャンマーではなるようにしかならないと体に叩き込まれてきた私は平然としており、この対比が妙に可笑しい。

 

しかしこんな所で乗り遅れてなるものか。シャン州への私の思い、TTM、SSそれぞれの思いが通じたのか、車は何とかトラックの間を掻き分けて、20分後に通過した。そしてあの分不相応な空港待合室で飛行機の来るのを待っていると、思いの外、今度は直ぐにやって来て搭乗した。順調、順調。

ミャンマー 122m

さあ、あのアルプスの少女ハイジ、ティンエーマーとの再会だ。必要以上に胸が躍る。そしてあの100年前の日本、シャン州の村々がもう直ぐ目の前に現れるかと思うと、本当に心臓が大きく鼓動してくる。一体何故私はここまでシャン州に思い入れを持ってしまったのだろうか?私は本当はどこから来たのだろうか?とても説明できない様々な思いが、こみ上げてくる。

8.再びビンダヤ (1)ヤンゴンエアー

機内に乗り込む。前回は乗り込んでから行き先変更を知らされたので、TTMの方を見る。大丈夫と小声で言う。よかった。荷物のバックを上に収納しようとすると若いCAが『手伝いましょう』という。しかもその言葉が流暢な日本語である。私はTTMの指示で一番前の席に座っていた(ヤンゴンから出るとき以外は自由席)ので、離陸後そのCAと会話してみた。彼女はヤンゴン外国語大学日本語学科の3年生、つまり日本的に言うと現役女子大生CAである。

ミャンマー 123m

 

既に学校の授業は終了しておりヤンゴンエアーに就職したという。結構な美人である。日本語能力も高い。勿論英語も出来る。才色兼備である。実はSSも同じ大学に行っているが、彼女は日本政府が援助した日本語センターに通っているらしい。航空会社からCAにならないか、との誘いはSSの所にも来たそうで、『なるのは簡単です』と言っていた??日本語学科は語学を重視し、日本語センターは会話を重視しているとのことであったが、このCAの言葉はかなり立派な日本語であった。SSの焼餅だろうか??

ミャンマー 124m

 

本当はもっとお話したかったが、マンダレー、ヘーホー間は僅か25分。あっと言う間に到着してしまった。彼女の名はリダ・アウン。25分間の夢であったか?『また会いましょう』とリダはにっこりして挨拶した。とても残念!降りるとTTMが『ヤンゴンエアーはエアーマンダレーより美人が多いと聞いたので、敢えて選びました』と言う。お願いした訳ではないが、人の気持ちを察してくれる人である。エライ!でもルート変更はどうかと思うのだが??

 

(2)ビンダヤへ

飛行機を降りるとそこはシャン州であった。空気が違う。景色も違う。また帰ってきた、心の中がそう叫ぶ。空港ロビーを簡単に抜け、入り口の門の所に来るとティンエーマー(以降TAM)が人の間を縫うように小柄な体を前に出してきた。1年ぶりの再会だった。懐かしい!

 

早々にワゴン車に乗り込んでしまい、あの涼やかな空港脇の小道(並木道)を眺める暇も無かった。さあ、今日は何処に行くのだろう?何処に連れて行ってくれるのだろう?『ビンダヤ』という言葉がTTMとTAMの会話から聞こえる。ビンダヤか。昨年お茶農家のおばあさんを突然訪ねたあのビンダヤの山中。『今年はラペソー(食べるお茶)を作っている農家に行きましょう。』とTAM。色々と考えてくれている。

 

実は昨年山中のおばあさんに写真を引き伸ばして送る、約束していたが、果たして届くのか不安であったので、本日持参した。今回は他の場所に行くので写真をTAMに託した。彼女は何時おばあさんのところに行く機会があるのだろうか??おばあさんは元気であろうか?

 

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