ミャンマー紀行2004(13)マンダレー 王宮

(8)昼食

実はTTMの生まれ故郷はここメイミョーである。軍人の父はヤンゴン郊外、看護士の母はモン族の出身でこの地とは関係が無いが、何と2人はここで知り合い結婚。TTMが生まれ、4歳までここで生活したという。流石に深くは聞けなかったが、ひょっとすると大ロマンスがあったのではないか?という訳でTTMのメイミョーへの思いは人一倍。SSなどは『何でお母さんはここが好きなの??』などと勝手に言っているが。将来SSが家を出た後はこの地に住むことも考えているようだ。何処にいってもパゴダに寄進するTTMは生まれ故郷でもやはりする。手元にあるお金は全て寄付しているのでは?寄付できない人に代わって施せば皆が幸せになるという。何とも素晴らしい。

 

昼食は中国系の寺に行く。実はこの近くにスゥエーデン人が住んでいる。言葉は全く出来ないので、毎日この食堂に来て同じものを食べる。可哀想なのでミャンマー語で何種類かのメニューを書いてあげたので、今ではバリエーションが広がった??何でここにスゥエーデン人が?TTMの話は要領を得ない。確かにヨーロッパ人が好みそうな静かな所ではあるが?

 

この食堂のシャンヌードルは確かに美味しかった。ジャージャー麺のように具を上に載せて掻き混ぜる。スープヌードルもある。S氏の奥さんが好きだという高菜漬けは私には酸っぱすぎたが。ここはTTMの奢りである。機嫌が良い。朝弁護士の家に行った際、そこの奥さんから『SSをTTMの妹だと思った』と言われて、凄い喜びようだった。ミャンマー人も若く見られることを好むのか??

 

食堂では駄菓子も売っている。懐かしいお菓子がある。メンコみたいな物があり買ってみる。外に出て子供にやり方を教わろうとしたが、SSでも言葉が通じない。近くにいる老人に仕草で示しても遊び方は分からない。仕方が無いので買ったメンコを子供にあげる。子供の戸惑う顔が何とも素朴で可愛らしい。

 

帰り掛けに食堂のおばさんに北京語で話し掛けてみる。完璧な北京語が返ってきた。彼女はメイミョーの生まれであると言ったが。この街も中国系が増えている。人口は以前30万人であったが、現在は70万人と言う。私にとっては住み易い場所になるかもしれないが、現地の人はどうなのだろうか?

 

7.マンダレー (1)マンダレーへ戻る

午後1時にメイミョー発。また専用タクシーに乗り、マンダレーに戻る。下りの景色もなかなか良く、車を停めて写真を撮ったりする。今日は雨が降っていない。勿論高原は涼しく快適。もう直ぐマンダレーという所で急に車から下ろされる。検問である。ミャンマー人も旅行証のようなカードを持っており提示。もしこのカードが無いと旅行は出来ないという。私は当然パスポートを出して簡単に通過、と思いきや少し離れた所にいたおじさんに行き成り呼び止められる。何を言っているのか分からない。

ミャンマー 100m

 

TTMが慌てて何か言う。おじさんが笑って『行っていいよ』と言う顔になる。何が何だか分からない。聞くと驚いたことに私をシャン州在住の中国系ミャンマー人と勘違いしたという。ロンジーも穿いていないし、どう見ても外国人だよね、とTTMに言うと、『あなたは本当にミャンマー人に似ている』と真顔で切り返された。でも特にショックではない。何故であろうか?

 

因みにシャン州の中国人の中には昔麻薬の密売人がいたようで、今でも警戒されている。この検問の目的も中国人の多いマンダレーに不法物資が入らないようにしているということらしい。しかしこんな検問で本当に麻薬や武器を押さえる事が出来るのだろうか?闇物資は横道から??

 

(2)王宮

2時半にマンダレー着。統一ホテルにチェックイン。どう見ても中国系。こじんまりしていて、快適そうなホテル。但しこの日はエレベーターが壊れていた。私は2階で良かったが、TTMとSSは3階まで歩いて登って行った。暑いのでこの階段上りが結構疲れる。部屋は広く湯船もあるが、結構古いホテルである。1泊、US$18。(TTM、SSの部屋、7,000k)

ミャンマー 101m

 

早速王宮へ。4時に閉まるとの情報で車をチャーターして急いで行く。マンダレーの街の北側はこの王宮が中心。かなりのスペース。敷地は一辺が3kmの正方形。高さ8mの城壁に囲まれ、物見櫓が見える。マンダレーに遷都したミンドン王が1857年から建設。その後イギリスの軍事施設となり、日本軍の侵略、撤退で建物は焼失。戦後は軍施設として使われ、一般人の立ち入りは出来なかった。最近王宮建物が復活し、外国人でも見学できるようになった。王宮入り口は警戒厳重。私のパスポートを持って運転手が2箇所も走り回り漸く通される。何で??昨日空港でUS$10を支払っており、今日は入場料を払わなくて良いのだが、何をチェックするのか?

 

王宮正面は博物館になっている。先ずミンドン王夫妻の像がある。次の間にティボー王夫妻の像がある。SSが『この奥さんがミャンマーを滅ばした』と忌々しそうに言う。確かにミャンマー最後の王ティボーは奥さんの尻に敷かれており、客観情勢が理解できない彼女はイギリスに対して無用な抵抗を試みて国を滅ぼした。まるで中国清朝の西大后のようだ。現在のミャンマーの学校教育では恐らく最大の悪者として教えられているのだろう。尚その時の王家の人々はインドに追いやられ、2度と帰ることはなかったという。ミャンマー人はイギリス人と共にインド人があまり好きではないのはこの為だ。

ミャンマー 103m

 

後ろに延々と建物が続く。『王には何人もの奥さんがいました』、とTTMが言う。面白いのは皇后がChief Queen、その下の4人が東西南北で表されてそれぞれ部屋を持っていることだ。日本の大奥は3,000人居たと、TTMに自慢??したら、『将軍は一人ずつ訪ねるのに何年かかるのか?』と真顔で聞かれてしまった。

ミャンマー 105m

ミャンマー 106m

 

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