ミャンマー紀行2004(2)バゴー ビルマの竪琴の涅槃仏

  1. バゴーへ (1)朝  8月8日(日)

翌朝気持ち良く起きて散歩。高原の朝を思わせる涼しさ。水溜りが多く上手く歩くことが出来ない。車が通るたびに泥水を跳ね上げられ、難渋。(8月のミャンマーは雨季)朝食はホテルの食堂で。私一人の為に給仕してくれる。このホテルには一体何人の人が泊まっているのか心配になる(S氏はルームサービス、案外皆そうなのか??)。子供の頃に食べた給食のマーマレードと粉のジュース、美味しいとは言えないが懐かしい。バナナを食べると満足。

ミャンマー 003m

ミャンマー 002m

 

S氏と事務所に行く。事務所がTTMとSSの家であることも変わらない。SSがミャンマー茶をマグカップに大目に入れてくれる。特に香りも無いのだが、何となく柔らかい感じで、ガブガブ飲めて、美味しい。いつも飲んでいる中国茶はちょっと刺激が強すぎるのかもしれない。

 

ミャンマーでは今変な噂がある。米ドル札の中に偽札があるという。券面がCBで始まる100ドル紙幣は偽札ということで両替を拒否されるらしい。私の財布を調べたら何と数枚あった紙幣の内2枚がCBで始まっているではないか。当然TTMからも受け取りを拒否される??仕方なくバンコックに行った時に両替してみようということになる。実際バンコックでは難なく両替できたから不思議な話であるが、何とNHKの海外安全情報でも取り上げられていた。

 

又面白いのは廃止されたはずのFEC(外貨兌換券)が未だに使われている。電気代など政府への支払いはFECが求められている。これは市中に出回っているFECを回収する目的のようだが、結果としてFECの無い人々がFECを手に入れようとする為、闇の価格がUS$より高くなっている。因みに1US$=850k程度であるが、FECは600-700kとも言う。おかしな国である。

 

(2)バゴーへの道

今日はミャンマーの古都バゴーに行く。車が小さいこともあり、TTMと私の二人だけで行くことになった。S氏とSSは事務所で留守番し、仕事をこなすに。SSは一緒に行きたかったようで、かなり不満顔だ。車が家の門を出て行くまでジッーと見ている姿が何とも可愛らしい。

 

ヤンゴン郊外へは昨年日本人墓地を訪ねたことがあるが、車窓から広がる風景はその時と全く同じ、途中までは同じルートのようだ。近郊作物として野菜を作っている所もあるが、広々とした水田が中心だ。この農作業が全く機械化されていないため、全て手作業。水牛が鋤を引き、農民が鍬を振るう。テレビドラマでしか見たことは無いが、まさに昔の日本の農村、昔の農業を思わせる。

 

バゴーに近づくと何故かそれまでよりも水田が広くなり、更に豊かな感じがする。街が近い感じもする。現在ミャンマーは雨季。昨年は雨季にも拘らず、雨に遭わず晴れ男を自認していたが、今日は雨。それもどんどん強くなってきている。この雨の中、農民は蓑と笠で作業を続ける。作業している人は大変だろうが、見ているこちらは牧歌的なとても良い光景を目にしている。

 

(3)シュエターリャウン涅槃仏

バゴーはヤンゴンの北東約70km、13-16世紀にはモン族(現在は南ミャンマーにいる)の王都となり栄えたが、その後ビルマ最後の王朝に征服された。現在往時の繁栄は見られない。西洋人はペグーと呼ぶ。今回車は幹線を通らず裏道を行き、1時間ちょっとでバゴーに到着。裏道には車は殆ど無く、長閑なもの。外国人だけでなくヤンゴンの人々の日帰り旅行にも丁度良い、日本で言えば鎌倉か?

 

先ず訪れたのは、シュエターリャウン涅槃仏。994年にモン族の王によって建立されたが、バゴー王朝崩壊で忘れ去られ、密林の中に隠れてしまう。イギリス統治時代に偶然インド人技師に発見されると言う数奇な運命を持つこの涅槃仏。全長55m、実に良い顔をして横たわっている。尚現在も街の中心からは少し離れており、周辺には何も無く林に囲まれている。

ミャンマー 009m

 

仏の周りにはこの涅槃仏に纏わる話が絵で掲げられ、仏教がこの地に広まった様子が信者の関心を集めている。又この仏の足の裏には見事なモザイク模様が施されている。枕の部分にも同様も模様がある。往時の繁栄振りが窺い知れる。椎名誠に『秘密のミャンマー』という著書がある。なかなかユニークな本であるが、その中にこのパゴダを訪ねた記述がある。この涅槃仏の顔が不謹慎にも『オカマ』のようだと表現している。確かに不謹慎だが当たっているといえる。ミャンマーではここに限らず、何となく女性的な、優しげな仏像を見る機会が多い(特に目が魅力的??)。何故であろうか?

ミャンマー 008m

ミャンマー 007m

 

有名な『ビルマの竪琴』で水島上等兵が『埴生の宿』を弾いたあの涅槃仏はこのシュエターリャウンがモデルと思われる。作者竹山道雄は実はビルマに行ったことはなく、帰還兵から話を聞いたりして作品を完成させた。ビルマ人がこの本をビルマ語訳しようとしても、『ビルマ僧は楽器を弾かない』『生き物に触れない(水島の肩にはインコがとまっていた)』などは受け入れがたいと言って、翻訳本は出ていないとか。

 

バゴーでも外国人は観光地料金としてUS$10を支払わなければならない。最初に行ったパゴダで支払う。又写真を撮る場合は各場所で200kを支払う(ビデオ撮影は1,000k)。有名なパゴダは何処もそうだが、絵葉書や土産物を売る人々が沢山いる。ここでは12歳ぐらいの少女が絵葉書を持ってやって来た。その日本語の達者なこと。ここで土産物を売りながら覚えたようだが、今の日本の若者より余程しっかりした日本語を話す。土産は買わない方針なので小さな子供にあげた飴を彼女にもあげるとちょっとはにかみながら受け取る。急に顔が子供になったのは愛らしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です