ミャンマー紀行2003(20)ヤンゴン 日航ホテルと木桶

本日泊まるホテル日航に行く。本当に立派なホテルだが、TTMの交渉のお陰で1泊FEC45で宿泊できた。到着すると係りの女性が部屋まで案内してくれる。部屋に入ると広くて良いがビューが湖の方を向いていない。このホテルはカンドージー湖に面しているので、何気なくそれを言うと『スモーキングかどうか分からなかった。1階下にレイクビューの部屋がある』と簡単にチェンジしてくれた。お客はある程度滞在していると言っていたが、部屋は3フロアーしか使っていないようだ。

 

ホテルの1階、2階には幾つか店が入っている。その中の一つに骨董などの土産物を売る店があった。日本語の堪能なミャンマー人の女性とオーナーが座っていた。夕方話に行くと丁度日本人のお客さんがいた。以前は医者であったが、事故で死に損ない4日目に蘇生したという。その後縁あってミャンマーで仏教の大僧正に出会い、帰依。現在日本で僧侶をしているという。

 

しかし帽子を被っており、つるつるの頭を隠す。それは以前ヤンゴンで夕食にビールを飲んでいたところ、ミャンマーの若者と口論になり、あわや殴られそうになったからだそうだ。日本では僧が夕食を取るのは普通。酒を飲むのも許されるが、ミャンマーでは絶対に許されない。後でTTMにこの話をしたら、『日本人かどうかは関係ない。僧には絶対に許されない行為』と凄い剣幕で言われてしまった。ミャンマーの仏教感は日本とは大きく異なることを知る。

 

その坊さんに寄れば、ミャンマーには200歳まで生き、死後50年遺体が腐らなかった僧がいたとか、山から空を飛ぶ僧がいるとか、まるで奇想天外だ。日本では信者がミャンマーで仕入れた仏像を高値で買っていき、その資金でミャンマーに僧院を建てていると言うのだが。更には彼の師に寄れば、2009年に中台戦争が勃発し、日本は放射能の海に包まれると予言しているそうだ。さて、どんなものだろうか??※この予言は当たっていないが、2011年に原発事故により、日本が放射能の海に包まれた、というのは事実であり、何とも気になる。

 

見ているとこの店の客層は実に怪しい。謎の韓国人、妙な日本人などが出入りしている。隣の美容室のお姐さんが、韓国製のカップ麺を食べる為にお湯を貰いに来て、そのままズルズルと食べていた姿は圧巻。いつか『ヤンゴン日航ホテルの人々』と言う題で何か書けそうだな。

 

(2)桶屋

TTMが『どこに行きたいですか?』と聞く。彼女はS氏が居た時は全て日本語で話していたが、実は英語の方が得意のようで、会話は殆ど英語になっていた。日本語を使うのは土産物を買うときぐらいで、これは今までの慣れから来ているようだ。何とも不思議だが、こちらの希望を言えば、何でも一生懸命やってくれる、真面目で、実に頼もしいガイドである。

 

最後だからと色々考えたが、結局『桶屋』と答えてしまう。これには百戦錬磨? のTTMも考え込む。ヤンゴンといえども、流石に今はプラスチックの桶、いやバケツを使っているのだが、私が欲しいのは木の桶である。先ずは市内の家具屋へ行ってみた。チークウッドの立派な家具が並んでいた。当然木桶もあるのだが、しかし全ては特注で、明日の朝までに出来るわけがない。恐らく値段も相当するだろう。私が欲しいのはそういうものではない。誰もが日常で使っているようなチープな桶、いや、日常で使っている物などないのだ。

 

北京の脚マッサージ屋にあった脚を漬けておく桶。これがあれば冬場も風邪を引かない。事実あの寒い北京で一度しか熱を出さなかったのは、この桶のお陰であると信じている。ところが、北京を離れる際、行き付けのマッサージ屋に木桶を1つくれるようお願いしたが、何と『会社の固定資産』という大げさな理由で貰うことが出来なかった。マッサージ屋に固定資産の概念があることは驚きであったが、とにかく香港の家で木桶に足をつけたいのだ。

 

木桶は既に中国では余程の田舎でもない限り存在しない。台湾には日本時代からの桶屋があるが職人芸でべら棒に高い。そこでミャンマーだと思ったのだが、しかしここにも時代の波が来ていた。シャン州にはあったかも知れないが、木桶のことなど到底思い出せないほどの体験をしていた。

 

チャイナタウンだ。と言ってもヤンゴン川の辺。そこに昔ながらの桶屋はあった。主人は中国系と思われた。様々な大きさの桶がところ狭しと積み上げられていた。TTMによれば、桶を使って赤ちゃんのおしめ等を良く洗ったと懐かしそうに言う。出来の良いものと傷のあるもの、実に様々であった。主人は愉快な人で在庫の有無は使用人しか分からないと言う。一生懸命TTMに説明しており、時折英語で何時でも来てくれと言う。7,000Kは少し高いと思ったが、手ごろな大きさを一つ購入。主人は壊れたら何時でも持ってきてくれ、と言う。笑ってしまった。

 

ヤンゴン川はあまりきれいとは言えないが、それなりの川幅があり、渡し舟が出ている。向こう岸にはパゴダが見えるが、他にはあまり建物もない。1800年代にイギリスが侵攻した後、この内陸の港は俄かに活気付いたというが、今はその面影はない。ただ往年の建物が残るだけである。

Myanmar2005b 183m

 

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