ミャンマー紀行2003(17)ビンダヤ アヘンと和紙

(8)ラペトゥと和紙

洞窟寺院を出ると参道に土産物屋が並んでいる。団体がバスに乗るまでは一生懸命売り込みを図っているが、彼らが行ってしまうと静けさが漂う。我々2人はその内の1軒に寄り、茶を飲み、ラペトゥを試食。なかなか美味しいので2袋買う。1袋が800K。1つはTTMへのお土産だ。ついでに茶葉も少し購入。ラペトゥは真空パックされており、3ヶ月は持つとのこと。先程買った竹筒は1年だが、中身は保証されていないので、こちらを食べるつもりで買う。ここのラペトゥは先程訪ねた村より遥か山の向こうで作られているという。次回その村まで行く挑戦をしたいが、かなりの体力を要するだろう。私に歩き切れるか自信がない。

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最後に山を下り、紙工場を見学する。ここでは伝統的な和紙?を手作業で製造し、唐傘?を作っている。先ず原料を水につけて練る、伸ばす、乾かす、と工程を重ね、見事な手漉きの紙が出来上がる。室内では、傘の骨を作ったり、柄を作ったりする。全て手作業。極めて器用な手つきで行われる。傘は日本で言えば京都で売っているような番傘である。絵柄もきれいであり、これは土産用としてよい。但しこの辺の農家でもこの紙を使った傘を差して農作業をしているとのこと。

 

ところでこの紙、昔から作られていたのかもしれないが、驚くべきことに近年この辺りではアヘン製造に関わって活躍していたようだ。帰国後シャン州のことを調べるうちに読んだ『クンサー』(小田昭太郎著)によれば、『和紙はアヘンを包むのに最も適しており、アヘンには全てこの紙が用いられているとのことで、そうなればかなりの量が必要なわけで、山奥の寒村で大量の和紙を作っていたのもアヘン地帯であればこそだと納得がいく』と説明されており、ヘロイン製造過程で紹介されている。私もこれで合点がいった。手漉きの和紙とアヘン、絶対に思いつかない組み合わせである。現地に来てみないと分からないことは多い。

 

そもそもTAMが話の弾みに『麻薬王クンサー』の名前を出したのが、始まりだった。前述の本を読み、80年代までクンサーがシャン州のかなりを支配していたこと、シャン州の少数民族は生きる為にケシを栽培していたことなどが分かる。クンサーはアヘン製造を止めて、何とかケシ農家の生活が立つ方法を考えていたとされているが、結果として選ばれたのが茶の栽培であったということらしい。しかし残念ながらミャンマーの茶は国際的な認知度が低く、輸出も極めて少なく、未だにシャン州の何処かではケシの栽培が続いていると言うことで、和紙の製造も続いているのだろうか。ミャンマー政府と少数民族の紛争の主な原因も、ここに起因しているとの話もある。

 

もう1つTAMの話をすると、彼女の家はタウンジーというインレー湖付近で最大の街にある。今回は行く機会がなかったが、彼女の話では以前この街はケシの一大集積地だったようで、多くの中国人(中国系)が住んでいた。やはりアヘンには中国系が大きく関与していたらしい。クンサー自身も中国人であるということである。ミャンマーの、いやシャン州の人々は中国系に翻弄され、米国その他の国際社会に翻弄されて生きているとも言えるのではないか。

 

(9)ガロウ

ビンダヤを離れ、本日の宿泊先ガロウへ向かう。正直言って何故ここに泊まる必要があるのか私には分かっていなかった。S氏のアレンジだとTAMは言う。ビンダヤからガロウは左程遠いわけではない。またヘーホーの空港からも遠くない。その辺で選ばれたのかと思っていた。

 

ホテル、パミラモーテルにチェックインするとTAMは旦那の実家が直ぐ傍にあるからと言って、行ってしまった。『今日の夜はミスター・ウラミが食事を一緒にします』ミスター・ウラミ?それは誰?ウラミのある人?相変わらずミャンマーの旅は謎に満ちていて、面白い。

 

TAMに言われた通り、7時に部屋で待っていたが、一向にウラミ氏は来ない。おかしいと思い下に降りると、ホテルの人が『車が待っている』と言うではないか。さっきまで乗っていた車が待っており、ウラミ邸に行くという。何だかおかしなことになったが、ここは成り行きに任せる以外にない。

 

5分ほど暗くなった道を走り、ウラミ氏の家に。門の所に既に待っていたその人は70歳を過ぎたおじいさんであった。会うなり流暢な日本語で話してくる。こんなところで日本語とは驚きである。2人で車に乗り、レストランに向かう。少し離れた山の上にあるという。その辺りは山荘のような建物が幾つかあり、別荘地帯と思われた。

 

そのレストラン『メイパラウン』は素晴らしかった。夜は真っ暗で景色は見えないが、昼間なら下界が一望できるはずだ。屋内もミャンマーの田舎とはとても思えない洒落た飾りがある。お客は誰も居ない。若い夫婦が甲斐甲斐しく給仕してくれる。聞けばウラミ氏とガロウホテルで一緒に働いた仲間であり、奥さんは氏の日本語の教え子でもある。どうやら雨季でオフシーズンの今、我々の為に態々レストランを開けてくれたようだ。魚、肉、野菜、ミャマー料理のフルコースが出てきた。とても美味しかったのだが、食べきれる量ではない。

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