両岸三通の茶旅2015(17)馬祖 戦争が遠のき寂れていく島

店に入ると女性が携帯電話で話し込んでいたが、私は質問すると親切にお茶について教えてくれ、更には試飲もさせてくれた。あの茶園は2007年頃に台湾本島の人が投資して作った新しい茶園だった。その20年ぐらい前に一度馬祖の人が茶園を作ったが失敗したらしい。現在はウーロン茶と紅茶を作っているという。まだ知名度もなく、これから本格的な生産を開始するのだという。次のバスまで15分しか時間がなかったので、簡単に2種類飲ませてもらったが、正直まだ購入しようと思うレベルではなかった。次回来たら、ゆっくりもう一度飲んでみよう。

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バス停に走って行くと、ちょうどバスがやって来て、何とかバスに乗り込む。昨日行った津沙の近くを通り、旅遊服務中心というところで降りる。ここに北海坑道という観光スポットがあるらしい。行ってみると確かに坑道があった。先ほど八八坑道に入れなかったので、どんどん行ってみる。すると、坑道内に船が浮かんでいるのが見える。水があるのである。どうやらここから小舟に乗り、坑道内巡りをするらしい。ただそれがどのくらいの時間が掛かるのか、すぐに乗れるのか全く分からなかったので、パスして引き返した。因みにこの坑道は1946年に作られたもので、完全に国共内戦を想定している。その頃は相当の緊張が走っていただろう。

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外に出るとインディアン頭岩というのが見えた。突端の岩がインディアンの頭に見えるというのだが、そうは見えなかった。その向こうを海沿いにへ歩いていくと、今度は大漢據點という1954年に作戦拠点として作られた基地があった。入ってよいのか分からなかったが、誰もいなかったので進んでみる。中は薄暗い。先の方に人が沢山いた。団体観光客がガイドに連れられて、見学していた。坑道には2つのルートがあり、団体さんがいない方へ向かう。

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海の所まで出ると、砲台が設置されていた。飾り物だと分かっていても、目の前に大砲を見ると、やはりリアリティがあり、ここから砲撃をしていたのかと、一種の恐ろしさが湧き上がる。まあ逆に言えば、この程度の装備で戦闘状態に入った場合、どのような事態が訪れるのか、それもまた考えると恐ろしい。徴兵された若い兵士の恐怖、中台の戦いとは何だったのだろうか。どう見ても中国のすぐ横にあるこの小さな島を押さえられなかった中国。何とも不思議な状況だが、それがこの地域の当時の状況をよく表しているのかもしれない。

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急な坂を上がり切り、今度は急激に下がってみた。鐵堡と呼ばれる要塞があると聞いていたので、行ってみたのだが、門を潜ると小学生が建物に入っていくのが見えた、同時に見張りの兵士も目に入る。どうしてよいか分からず、兵士に向かって『見学できるか』と聞いてみると、『ダメに決まっているだろう』というふうに手を横に振る。やはりここも軍事拠点、小学生は授業の一環か何かで、特別に参観していたのだろう。鐵堡は見学できない場所なのかと思っていると、さっきの兵士が『向こうだ』という感じで手を方向を示してくれた。

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海沿いに歩いていくと、ちゃんと遊歩道のようになっており、観光地の体裁をなしており、遠くに突き出した要塞が見えた。歩いてかなり急激な階段を下りていく。完全に要塞化されている。後ろからさっきの小学生たちもやってくる。社会科見学か。中に入ると、かなり狭い通路を通る。その通路には兵士が寝ていたというスペースがあったが、その狭いこと。体を丸めて寝ていたのか。ここで寝起きしていたとすればこれはきつい。ここは有事の場合の仮眠場所だろう。その先は海になっていた。ここから監視を続けていたのか。上に上がると、周囲が一望できる。小学生がやってきたので、それを避けて帰るが、狭い階段で彼らと何とかすれ違う。これも軍事上の配慮だろう。

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帰りに鐵堡の天后廟に寄る。この島の海が見えるところには、どこにでも廟があるようだ。海の守り神、深く信仰されている。また坂を上り、バス停でバスを待ってみたが、すぐに来ないので、別の坂を下り、村の中を見てみる。細い道が海まで続いている。その途中に店があり、民家があるが、人は全く歩いていない。過疎化、という言葉がぴったりだ。中台の関係緩和以降、この島はどんどん寂れているのだろう。それは悪いことだろうか、何とも言えない複雑な思い。

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バスがやってきたので、乗り込む。もうバスにも慣れてしまい、どこを通ろうと驚かない。今回は真っ直ぐ宿のある港へ向かったので、また夕飯に困る。いや、この港で困るのであれば、恐らく食べられるところはかなり限られているのだろう。結局昨日と同じ食堂へ入り、定食を食べるしかなかった。昨日は鶏、今日は豚肉という違いだ。因みに飲み物はネスレの紅茶だった。やはり食べ物とは合わないが仕方ない。午後4時台に夕飯を食べるのは、何となく面白い。

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小雨が降ってきた。洗濯物を干していたのを思い出し、慌てて屋上へ駆け上がる。残念ながら洗濯物は濡れており、どうにもならなかった。明日は台北に帰るのに、と思っていると、その思いが伝わったのか、急に晴れ間が覗く。喜んでそのまま干し続けたが、少しするとまた小雨が降る。島の天気、海の天気は気まぐれだ。天后廟で祈る気持ちもよく分かった。

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宿の横の廟はかなり騒がしくなっていた。明日から媽祖生誕祭が始まるのだ。その準備のため、この過疎の島の島人たちが沢山集まっていた。宿の管理人もやって来て、『明日は9時から儀式があるから、見ろよ』と言って行く。何と良いタイミングで滞在しているのかと喜ばしくなる。その夜も早く休んだ。本当に静かな夜、ぐっすり眠ったのだが。翌朝は早朝から、爆竹が鳴り響き、飛び起きることになる。

 

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