鎌倉日帰り旅2015(2)竹の報国寺で茶樹を見る

セミナーに参加

すーさんから紹介されたセミナーの講師は橋本素子先生。『中世日本喫茶文化史』が専門。こんな分野があったのかと思ったが、聞けば、茶道の歴史は別にして、日本茶の歴史を本格的に研究している人は殆どいないのだそうだ。先日静岡で会ったYさんが近代史、そして橋本さんが中世を研究しているという。道理で日本茶の歴史がなかなか分からない筈だ。このお二人は頑張っておられるが、如何せん研究者の層が薄いと言わざるを得ない。

 

会場は駅前のきらら鎌倉。駅前の立派な施設だ。今日は午前と午後と2つの講座があるが、午前は復習講座ということで、人数は少ない。橋本さんは普段は京都に住んでいるが、昨日鹿児島を日帰りし、今日は朝から鎌倉へ。かなり激しい活動をしている。セミナー中は鹿児島から持ち帰ったお茶が出され、気分が盛り上がる。

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「平安時代の喫茶文化」というテーマで話を聞く。一体いつから日本人はお茶を飲んでいるのか、そんな基本的な疑問に文献から答えてくれる。最初にお茶に関する記述が出てくれるのは815年なのだそうだ。嵯峨天皇に永忠という僧侶がお茶を差し上げたという記述があるらしい。私などはここから物凄い妄想が膨らみ、『そのお茶は日本で植えられたものか、中国から輸入された物か』など質問してみるものの、回答は『書いていないのでわからない』というもの。

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何だ、つまらない、と思ったりもするが、研究者としては実に正しい姿勢だ。一般の人は自分の知識の中で妄想を膨らまし、私のような者は自分のイメージと読む人の興味から、面白いネタを探せばよいので、いくつかの事象を考え併せて推測していけばよいのだが、本来の研究とは文献に基づき、そこに裏付けを重ねていくものだろう。『書かれていないから、何を言っても間違いではない』というのは、やはり間違いなのだろう。

 

ただ仮説を立てることは重要だ。その仮説に行き着くために、様々な体験をし、資料を読み、話を聞く。お茶に関しても、日本の中だけで完結できるはずもないので、中国などの資料にもあたり、その真偽を確かめ、なぜ日本にお茶が入ったのか、寺院とお茶の関係なども検証していくとよいな、と感じた。

 

まあいうのは簡単だが、実行するのは大変だし、そこに価値を置く人が増えない限り、なかなか難しいとは思うが、アジアを歩いていて時々感じるのは『たんにお茶を売るだけではじり貧、これからは文化や歴史を含めて売っていく必要がある、そこに価値が見いだせる』ということだ。

 

竹の報国寺

2時間弱の講義が終わり、昼休みになる。私は直ぐに会場を出て、久しぶりに行ってみたところを目指す。天気が実に爽快で、観光客が増えている。八幡宮に行く参道は工事のため、道幅が極端に狭くなっているので、余計に多く感じるのかもしれない。八幡宮前の道を右に曲がる。この辺からうろ覚えになる。何しろ長い間来ていなかった道だ。宝戒寺という寺に着きあたる。台湾人が写真を撮っている。ここは滅亡した北条氏の霊を弔うため、足利尊氏が建立したとある。最後の執権北条高時が切腹した腹きりやぐらにほど近い。

 

それからずーっと歩いていくと、鎌倉最古の寺、杉本寺がある。急な階段があり、時間もないので門前で失礼する。奈良時代に行基が開祖で建立されたとある。そして鎌倉駅前から歩くこと、20分。ついに到着したのが『竹の報国寺』。足利、上杉両家の菩提寺として栄えたこの寺は、今は孟宗竹など見事な竹で有名である。私は昔から常にここに行きたい、と願っている。この竹に囲まれると何となく落ち着く。それがなぜなのかは分からない。

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門を潜るときれいな庭があり、そして竹が生えている。入場料を払い、更に奥へ進むと、本当にすごい竹の林が広がる。一面の竹林に囲まれる幸福感が蘇る。皆ここに来ると静かになる。静寂の中にシャッター音が響く。まさに癒しの空間。竹林を1周しても足らずにもう1周した。奥の方は崖になっており、そこには小さな洞窟があるように見えるが、立ち入り禁止。その前の庭には何と茶の木が見えた。何となく、この辺には昔お茶が植えられていたのか、と思ってしまう。午前中にお茶セミナーを受けたからだろうか。

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名残惜しい寺を出て、田楽辻子の道、という細い道を歩いて戻る。広い通りとは違い、車も走らない住宅街を抜けていく。小川が流れ、早春の雰囲気に満たされる。八幡宮近くに戻ると急に腹が減る。その辺のそば屋に入り、天丼セットを食べる。何となく満たされた日曜日のお昼。やはり鎌倉に来てよかったと思う。

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午後のセミナー

午後はレギュラー講座。「中世の茶園について」という題で、室町時代の茶園についての講義を受ける。今のような規模の茶園ではなく、田んぼの合間に茶樹が植えられているケースなど見ると、お茶が一般庶民に普及したのはつい最近なのだな、と思ってしまう。中世というと千利休など茶道の発展に目が行きがちだが、一般的にはどうだったのだろうか。

 

話の中に『鎌倉にも茶樹は植えられていた。例えば報国寺の後方の小山の辺りとか』という言葉が出てきて驚いた。私がさっき行った寺、そして庭で見た茶樹。勿論この茶樹はそんなに古いものではないが、何か因縁を感じる。『鎌倉の寺の庭に茶樹が植えられていても不思議はない』とのことだったが、先ほど見た洞窟がある斜面、あそこには古来茶樹が植えられていたという感覚が何となく確信に変わった。と言っても当然何らの根拠もなく、歴史的には何の効力も持たないのだが。

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このセミナーではお茶淹れ担当の人がいて、適宜お茶が出てきた。それも煎茶あり、紅茶あり、発酵系の茶もあった。お茶好きの人が集まるセミナーである。お茶の講義を聞くという側面と、美味しいお茶を飲む、という両面があるようだ。私の茶旅報告会などでは、無理やりにでも旅先で得た物を皆で飲んでみるのだが、テーマに関係なく、その時手元にある、本当に美味しいと思えるものだけを味わったほうが良いのかと感じる。

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セミナー終了後、八幡宮に参拝する。梅が咲いている。高く聳えていたはずの大銀杏も今はもう無い。小学校1年生の遠足も、6年生の修学旅行もここに来た。階段を登りながらこの場所で源実朝が大銀杏に隠れていた公暁に暗殺された話を何度となく聞いた記憶がある。鎌倉とは一体どんな時代だったのだろうか。そしてこの時代、お茶はどのように扱われ、飲まれてきたのだろうか。建長寺を通り、円覚寺を眺めても、その答えは出て来なかった。

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