ミャンマー決死行2014(6)ミョーテイ 変革を望む村人たち

11月2日(日)

シャンカオスイ

夜はいい月が出ていた。この村には今年から電気が通ったといい、我々の部屋は一晩中、仏様の所に煌々と電気が点いていた。懸念していた携帯の充電もできた。ただ携帯のアンテナはTさんの全国ネットのシムカードでも全く反応しなかった。村でも通じる携帯のタイプがあるようで、村人の中にはそれを使っている人がいた。

 

私は適度の涼しさで実によく眠れた。そして夜中に一度トイレに起きた。これは少々面倒だったが、真っ暗な中、携帯の明かりを頼りに外へ出て用を足した。翌朝は明るくなると同時に目覚める。これが村の暮らしだろう。鶏がなく、周囲が何となくざわめく。階下からも物音がする。裏へ出て、顔を洗い、歯を磨くと、とても気持ちがよかった。少しすると村人が訪ねてくる。暑いお茶を飲む、そして帰って行く。また誰か来る。珍しい客、という位置づけだろうか。代わる代わるやってくる。

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村長がやって来て外へ出る。朝ごはんを食べるという。良い湯気が上がっているところへ入り、シャンヌードルを頼む。この辺ではシャンカオソイというらしい。カオソイといえばチェンマイあたりにあるが、あれとはちょっと違う。カオソイとはヌードル全般のことらしい。しかもここのヌードルにはトーフペーストがスープの代わりに入っている。これが美味い。思わず一気に食べるとお代わりまで頼んでくれた。トーフヌエカオソイ、というらしい。

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そのまま村を散策。天気が良いので茶葉が干されていた。だがよく見ると何となくごわごわした茶葉だ。聞けばなんとラペソーを干している。ラペソーとはミャンマー名物、茶葉の漬物。食後のお茶と一緒に食べたりしており、ティサラダなどとも訳される。そのラペソー、南シャンで見た時は室内で漬物石で漬けられていたが、ここでは何と、セメント袋のようなものに入れ、それを屋外に放置していた。これは凄い。しかも数か月も漬けておくらしい。その上でラペソーとして食べずに干す。ラペソーよりこの茶葉の方が儲けが多いということらしい。

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更にはワーウと地元の人が呼んでいたコンニャクイモも栽培されており、茶葉の横に干されていたのが印象的。ワーウの方が更に儲かるとの話があったというが、我々に聞かれてもよく分からない。今年電気の通ったこの村、テレビを買う、衛星放送に加入するなど、急速に現金が必要になってきているのかもしれない。小さな女の子が小さな手に包丁を持ち、ウーワを切っている健気な姿が忘れられない。

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村の外へ出ると見事な山の景色がそこにあった。最近では牛を飼っている。高原の輝く朝だ。雲海も見える。この村にやって来た外国人はこれまでごくわずか。トレッキングが好きな欧米人でもここまでくる人間は稀だ。これまでイスラエル人とオーストラリア人など何人かが、道に迷ってここまで来たらしい。まさに私は今秘境に立っているのだ。

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完全自然な茶畑

昨日Tさんを乗せたバイクの運転手のオジサンは村では野心家だった。彼はこの村の発展のため、また自らの生活向上のために、何とか収益を上げたいと考えていた。そこで新しい茶畑を山の斜面に開発し、そこに茶樹とワーウを植え始めた。そこを見に行ったが、我々の常識ではこんなところに畑?というほど、林の中にあり、また斜面もきつかった。

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そしてそこにぽつぽつと茶樹が植わっていた。と言ってもまだ小さく、茶葉は取れない。茶樹が育つ間に何とか他の作物で繋ぎたい、という考えかもしれない。それにしても生産効率は極めて悪い。だが『農薬とか化学肥料の存在は知っているが、一度も使ったことはない』という言葉は十分に魅力的だった。茶樹は茶の実からじっくり育てる。本当に伝統的な栽培方法、もうこんな茶畑は殆どの場所に存在しないのではないだろうか。

 

 

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村人たちは反対に『どうしたらもっと収入が得られるか』を考え始めている。この畑のオジサンなどはしきりと『ワーウは日本のNPOがミャンマーに持ち込んだと聞く。どうやったらうまく育つか知りたい』と言っていた。このままいくと、遅かれ早かれ、この地にも化学肥料などが持ち込まれそうだ。それを止める権利は全くないし、茶の収入向上を邪魔する必要もないのだが、ここまで200年続けてきた自然栽培、実に惜しい。

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村に出来た紅茶工場

そしてこの村の外れには茶工場の建屋があった。皆で見学に行く。ここは村人ではない華人が投資して数年前にできた紅茶工場、外国人はここまでやってきてはいないが、既に浸食は始まっている。中に入ると昨日摘まれた茶葉が一晩置かれている。それなりの中国製の製茶機械も揃っており、インドやスリランカで見たのと同じ方式で、本格的に紅茶の生産を行っているようだ。工場長も街からやって来た若者。村人には色々と気を使いながらやっている。

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この付近ではナムサンという大きな街が昔から紅茶生産で有名だった。TTMも先日『子供の頃、ナムサンの紅茶を飲んだことがある』と言っていた。ナムサンにも多くのパラウン族が住んでおり、茶作りに励んでいるようだ。ナムサン紅茶は基本的に苦味が強く、ミルクティ(ラペイエ)にすることが多い。ミャンマー紅茶の歴史については、イギリス植民地時代の影響を知りたかったが、この村には資料はなく、またイギリス人が来て紅茶栽培を奨励したとの話も出て来なかった。ナムサンに行けば何か分かるかもしれないが、ここからまたバイクで3時間、山道行かなければならないと聞き、すぐに取りやめた。

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村にはもう1軒、紅茶工場があるらしい。茶の需要が伸びれば、更に工場が作られる可能性もある。ミョーテイの茶葉は伝統的な栽培、紅茶にして砕いてしまうには惜しいことだし、工場が茶葉をかき集め、このままいけばいずれ、村人が茶葉をコントロールできなくなる日が来るかもしれないのは残念に思われる。

 

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