ミャンマー決死行(5)ミョーテイ 恐怖のバイク行で手が血みどろ

恐怖のバイクで手は血まみれに

そして午後1時過ぎ、ついにバイクの後ろに乗る。これまでもタイをはじめ、台湾などでもバイクの後ろに乗ったことは何度もあるのだが、今回は片道3時間と聞いており、しかもかなりの山道。果たして耐えられるのだろうか。かなり心配だった。まあそれでも何とかなるか、と出発した。

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平地は時速50㎞ぐらい出すので、それはそれでちょっと怖い。少し行くと、何と検問があった。運転する村人が一言いうと、すぐに進むことができた。そういえばミャンマーには昔は検問が多かったのを思い出す。特にシャン州など地方の少数民族が多い地域はそうだった。最近は通行の自由がかなり確保されたのだろうか。

 

最初のうちバイクは快調だった。なだらかな山道で、道も舗装されていた。それでもバイクになれずに足が痛くなってきた。そして時間が経つにつれ、段々環境が悪化、途中から舗装工事を行っている場所が登場し、その砂利道で振り落とされそうになる。両手で後ろのバーをしっかり掴み、何とか凌ぐ。

 

しかしそれにも限界がある。1時間半も行くと、休憩が欲しくなるが、一向に休む気配がない。どうなっているのだろうか。ついに足が悲鳴を上げた。つってしまったのだ。言葉は全く通じないが何とかバイクを停めてもらい、足をほぐす。ここで脱落する訳にはいかない。他の交通手段などないのだから。自分の手を見て驚いた。既に皮がむけ、血が滲んでいた。運転しているにいちゃんがそれを見て、『俺の腰にしがみ付け』というジェスチャーをしたが、血みどろの手で抱き着くわけにもいかない。これは苦しかった。

 

それから少しして、平らな所へ出た。きれいな水田が見える。この世の極楽のようだ。この辺で一番の街、マイゴーという場所だという。ようやく休憩が来た。正直ホッとした。あまいチャイを飲む。お菓子にも手が伸びた。甘いものを体が欲している。かなりの消耗度だ。運転している人はどうなんだろうか。慣れているとはいえ、後ろに人を乗せて、あの山道を行くとは。私は怖くてカメラすら出せなかった。写真を撮る余裕などどこにもなく、身を守るのが精一杯だった。

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そして再度出発。もう峠は越えただろう、と思ったのは甘かった。ここからが更なる山道。土の道ではタイヤが滑るようで、砂利が敷かれている坂道。この急な坂をブレーキなしで下ったりしている。特に私の運転手は下りの名手。何度目を瞑ったか知れないが、結果的には凄いスピードで下についてしまう。また登りも大変。道の石を避けながら、ルートを選び、慎重に進めていく。

 

スタートから3時間を過ぎて、ようやく村の入り口まで来た。ここまでよく耐えた。もう大丈夫。掘立小屋では茶葉を燻しており、今朝積んだ茶葉は天日干ししている。何となく馴染んだ光景に和む。ここで茶を一杯飲み、いざ村へ。しかし最後の道も険しかった。山は登れば登るほど、道が険しくなるのだ。村に着いた時にはほぼ脱力、手は血みどろだった。よくもまあ、生きて着いたものだ。

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村のミーティング

その村は標高1600m、実に眺めのよい場所だった。思ったよりも家が並んでおり、その内の一軒にお世話になることになった。何しろ村には宿などはない。その家の2階の居間に布団が置いてあった。チャウメイはそこそこ暑かったが、ミョーテイはさすがに涼しい。夜は結構冷えるかもしれない。掛け布団が有難い。

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まずは村の集会場に連れて行かれる。ここは5つの集落からなる村で、人口5000人、各集落の長が皆やって来ていた。2階の会場は人で埋まった。取り敢えず顔見世、といったところか。村長に『この村の歴史と茶の歴史を知りたい』と伝えると、『分かった』とだけ言われたが、どうなんだろうか。

 

そして『中国人が一人いるから中国語で話して』と突然言われ、戸惑う。中国人とはどういう意味だろうか。彼も戸惑っている。どうやら雲南省から来た漢族らしい。彼が話さないのでこちらも黙っていた。私には雲南語が分からないし、もし彼に恥でも掻かせては申し訳ないと思ったからだ。そう思っていると当然彼が標準語で話し掛けてきた。雲南から来た3代目、パラウン族ではないので、中国人と呼ばれているらしい。偶に中国人と交流することがあるので、中国語を勉強したらしい。これは助かる。彼もホッとしただろう。日本人と中国語が通じるか様子を見ていたようだ。

 

宿に戻って、顔を洗う。顔を洗うのも、トイレも全て屋外。まあ、このような地域では当然か。水浴びするかと言われたが、これだけ涼しいと風邪をひく可能性もあり、またロンジーに慣れていない私にはハードルがとても高い。屋外の水浴びは裸ではできないのである。

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急にあたりが暗くなる。山の夕暮れは早い。近くの家に連れて行かれ、夕飯となる。ここはレストランだったのだ。思ったより遥かに美味しい食事。いや、これはパラウン族の料理ではなく、中華ではないか。村長の息子、私をバイクに乗せてくれた彼が色々と気を使ってくれた。

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その後、村の中を散策。と言っても暗いのであまり良くは見えないが。少し小高くなった所に寺がある。そこからお経のテープが大音響で聞こえてくる。その横にある建物では何やらダンスの練習をしている人たちがいた。『来週村の祭りがある。そこで披露する』という。よかったら見て行って、と言われ、ちょっと拝見。パラウンの踊りなのか、ビルマの踊りなのか、私には区別が付かない。このパラウンの村、パラウン族らしいところがあまり見えない。私には気が付かないせいだけだろうか。

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