ミャンマー決死行(4)チャウメイという名の茶葉集積地

3.メミョー

夕方メミョーに入った。マンダレーからは2時間弱、車は避暑地である高原を走っていた。先ほどまでの単調な高速道路が嘘のように、クラクションを鳴らして走り去るバイク、大量の荷物を積んだ大型ダンプ、などが行き交っていた。そして街はやはりそれほど変わってはいなかった。ここに来るのは2005年以来だろうか。何となくきれいなホテルが多くできている感じはするが。

 

我がホテルは静かな場所にある新しい物だった。部屋もきれいでネットも簡単に繋がっている。これで朝食付き30ドルなら文句はない。恐らくはホテルが沢山出来て競争が激しくなっているのだろう。フロントの愛想もとても良い。英語も通じる。やはりここは避暑地だ。

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夜は街へ行き、夕飯を食べる。懐かしいクロックタワー、1936年建造だ。以前同様、夜は暗い。観光地の割に、頃合いのレストランが意外に見つからない。Tさんが付近のゲストハウスの人に聞いた店へ行ってみる。ここはかなり繁盛していた。ビールを飲む、飲み屋らしい。男ばかりが席に着いている。経営者は如何にも華人、という感じで、勘定台に座り、ミャンマー人を上手く使っている。それにしてもかなり流行っている。よく見ると料理をテイクアウトする人々も多い。野菜炒めもスープも、料理は皆ウマかったから納得した。結果的にこの辺で一番美味しい店に入ったのだろう。満足。

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帰りは暗い夜道を歩いて行く。確か10年前は馬車に乗った。暗い中を馬車で行く、まるでイギリスのシャーロックホームズのテレビドラマを見ているような気分だったのをよく覚えている。今でもその暗さは変わらない。やはりミャンマーではヤンゴンだけが発展していて、明るい。

 

11月1日(土)

チャウメイまで

翌朝は天気が良く、気候の良いメミョーらしいさわやかな朝だった。早めに起きて、散歩する。街と反対の方に歩いて行く。この地はイギリス時代の避暑地、立派なお屋敷もあるし、馬車も走っている。昨晩の暗さとは別の場所のように、朝日を浴びて、お屋敷が映える。ホテルの近くに古びた教会があった。メミョーには教会も多い。洋風なのだ。

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1時間ほど、歩いてみたが、以前TTMやSSと泊まった場所は出て来ない。もっと山の上の方だったろうか。記憶がはっきりしない。そういえばここに大阪出身の建築士の日本人が住んでおられたが、今はどうしているだろうか。ご自身の家を建てたら、それがモデルハウスになり、何軒も設計依頼が来た、という話を思い出す。ホテルに戻り、パンと卵焼きの朝食を取る。

 

そして出発。今度は山道を下って行く。途中で鉄橋が見える。電車も走っている。10年前に見た風景だった。チャウメイまで1時間ちょっとかと思っていたが、2時間半ほどかかる。この辺の感覚も鈍っている。まあゆっくり行こう!

 

4.チャウメイ

チャウメイは10年前に一度やって来たところ。その時はラショーまで行き、メミョーに戻る途中に偶然立ち寄った。茶葉の集積地だと言われ、古い、立派な建屋のお茶屋さんを見学したことをよく覚えている。果たして今もあるのだろうかと探してみたが、見付からなかった。というか、恐らくこの場所だろうというところに、新しい建屋のお茶屋さんがあったので、そこに違いない。しかしあの風格のある家屋が失われたのであれば残念だ。勿論家の寿命だったのだろうが。確かこのお茶屋さんも『山奥から少数民族が作るお茶を運んできている』と言っていたのを覚えている。

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ミョーテイ村出身者が経営している茶問屋に寄る。ここがこれから行くミョーテイ村のチャウメイにおける拠点、いや外界との接点と思われる。入口を入ると麻袋に茶葉が詰まっており、それが高く積まれていた。Tさんは顔見知りらしく、どんどん中へ入って行く。ここの主人は病気でチェンマイの病院へ行った、ということで不在だった。ミャンマーの人がタイのチェンマイへ行く、簡単なことなのだろうか。どんなルートでチェンマイへ行けるのだろう。

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店の人々がお茶を出してくれ、飲む。雲南省にもあるプーアール茶の原料になりそうな緑茶だ。村から我々を迎えに来てくれたオジサンもいた。彼らが私たちをバイクの後ろに乗せて、村まで連れて行くらしい。まだ少し時間があったので、ランチを取りに外へ出る。チャウメイの街は大きくはない。歩けばすぐに尽きてしまう。10年前に新規オープンしたばかりだったゲストハウスも健在だった。その横の小さなレストランに入り、シャンヌードルを食べる。少し塩辛い。ここは華人経営のようだ。

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それから古い市場を通り、立派な昔造りの建屋を見て、更にはモスクもあった。10年前に寄った梅干しの甕はまだあるのだろうか。商人の街らしく、そこかしこに漢字が見られる。茶問屋の近くにはラショーに方に向かう鉄道の線路もあったが、単線だった。殆ど列車は来ないようだ。

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