《フフホト茶葉の道散歩2014》 2014年10月13日-17日
昨年夏、モンゴルへ行った時、偶然にも『茶葉の道』の中ロ国境に行きあたった。そこには100年以上放置された茶城が今もその姿を残していた。その時私は1冊の本を持っていた。『茶葉之路』、鄧九剛という人が書いた本だが、どうにも気になっていた。モンゴル旅では内モンゴル大学のN副教授も同行しており、鄧氏がフフホト在住の作家であること、恐らくコンタクトできることを聞いていた。
東京のエコ茶会で3回目の講演を行った。4回目もありそうなので、来年はこの『茶葉の道』を話したいと思い、早々にフフホトへ飛んだ。果たしてどうなるのか?フフホトは寒いのか?良く分からないまま、ユニクロのウルトラライトダウンなる物を購入して乗り込む。
10月13日(月)
1.フフホトまで
台風で早起き
日本に約1か月滞在し、関西、九州と回り、東京での用事をいくつかこなした。正直日本は私にとって無理が効く分、疲れる場所だ。かと言って、今や中国はストレスの溜まる場所。まあとにかく早起きして羽田空港へ向かう。前日から台風の接近が告げられており、相当早くに起き出したが、幸いまだ来ておらず、電車も通常運行だった。
チェックインカウンターでフフホトまで行くと告げたが、『北京までしかチェックインできない』という。同じエアチャイナのフライトなのに、と思ったが、国際線から国内線は全てそうなのだとか。何とも不便な国だ。フライトは順調で、北京空港での乗継にはかなりの時間の余裕があった。
前回はGoogleが繋がらずに大混乱してしまったが、今回はちゃんと事前にVPNをインストールして臨んだので、問題ないと思っていた。だが、北京空港でWIFIには接続で来たのに、VPNは繋がらなかった。本当に困ったことだ。先が思いやられる。
国内線も順調、満席だった。この時期、フフホトに行く人がこんなに多いとは。やはり内モンゴルの中心都市、商業の街だから、ということだろうか。観光客は見当たらず、商売や投資関係者と見られる人々が乗っていた。
2.フフホト
タクシーは早い者勝ち
フフホトの空港に着くと、預けた荷物もちゃんと出てきたので、タクシーを拾いに外へ出る。ところが、タクシー乗り場付近では列を作ることもなく、皆バラバラに空車を待つ状況。車が来るとそこに群がり、行き先を叫ぶ。大きな荷物を持っている私はどうしても出遅れる。これではいつになっても乗ることが出来ない。何という田舎の空港、などと思ってみても何の解決にもならない。タクシーの絶対数が足りないのだから、方法を考える必要がある。
よく見てみると、既に客が乗り込んでいるタクシーに向かい交渉している人がいた。そうだ、相乗り、それも既に乗っている車なら捕まえやすい。場所も内モンゴル大学だから分かりやすい。そう思ってトライするとすんなり乗せてくれた。やはり地元の人間がやっていることを真似るのが良いようだ。
タクシーは市内に向けて走り出したが、内モンゴルに着いた、という感じは特になかった。郊外のマンション建設が進み、何となく商店がある。中国のどこにでもある地方都市である。途中で渋滞に嵌ったが、それほど酷くはなく、市内中心部をすり抜けて、車は内モンゴル大学へ。ただ正門に着いたところ、ここからは車は中へ入れないというので、無理を教えて東門に回り、予約してもらった学内のホテルの前に付けてもらった。さすがに大きな荷物を抱えて歩いて行く気力はなかった。
内モンゴル大学
ホテルでNさんの名前を言うとすぐにチェックインできた。Nさんも研究室が近いということで、すぐに来てくれた。昨年改装したというこのホテル、部屋も広く、思いの外、きれいだった。ただ電源などは昔のままらしく、どこにあるのか分からず、ちょっと苦労した。
Nさんに学内を案内してもらった。池もあり、木々も鮮やかで、晩秋の雰囲気が出ていた。夕暮れ時、さすがにちょっと肌寒い。東京と比べると10度ぐらいは違うだろうか。チンギスハン像がキャンパスの真ん中にある。外モンゴルではソ連時代、ずっと無視されてきたチンギスハン。モンゴルの英雄は不要だったのだが、ここでは『中国の英雄』として、祭られているのだろうか。
このキャンパス、中国の大学としては小さかったが、郊外にかなり大きな新キャンパスがあるという。現在は漢族の学生が増え続け、教員も漢族の方が多いらしい。内モンゴルの複雑な歴史を垣間見るほど、私には知識がない。