懐かしのミャンマーを行く2012(3)変わるシャン、変わらないシャン

6月22日(金)  2.ニャウンシュエ   (1)空港

今日は朝からシャン州へ向かう。朝5時に起きて6時前にホテル出発。これは以前の3回とほぼ同じだ。TTMが送ってくれる。SSは韓国旅行の疲れか姿を見せない。空港も国内線は以前の古い空港。何となく懐かしい。

7年前はミャンマー航空、エアマンダレー、ヤンゴン航空などがほぼ一斉に6時台に出発した。恐ろしいのが、どの飛行機に乗ればよいかが全く分からないこと、そしてその行先は乗るまで分からないこと。外国人は胸に各会社のシールを張っていた。英語のアナウンスは国内線にはなかったのだ。当然ヤンゴンがこれだけ変われば、空港も変わっただろうと思うと、そうではなかった。国内線は相変わらず、搭乗機不明。イチイチ誰かに聞きに行かなければならない。ただ聞いた人は親切に答えてくれる、でも出発時間を正確に把握する人は少ない。

また昨日チケット貰った段階ではヘーホーに先に行くと言われた我がエアバガンのフライトだが、チェックインするとマンダレー→ヘーホーの順に変わっていた。慣れているからよいが、初めての外国人はビックリしてしまう。偉い人、政治家やお坊さんが乗ると、その人の行き先が優先されると聞いたが、今でもそうなのだろうか。ヤンゴン、マンダレー、バガン、ヘーホーのルートは巡回ルートで、必ず順番に回るので行先変更ではない。巡回経路が変わるだけ。でもね。

待合室の一角にお揃いのポロシャツを着た人々がいた。どこの団体かと訝しんだが、何と西ミャンマーで起こっているロヒンギャ族と仏教徒の抗争の医療の為に派遣される医師団らしい。この問題は、詳しくは分からないが、昨年訪れたミャンマー国境付近のバングラディシュで難民キャンプを訪れたことを思い出す。イスラムの圧力を恐れるミャンマー、これは一過性の問題ではないが、この件について、きちんと理解し、大局的に報道している日本のマスコミを知らない。

 

ほぼ定刻に我がエアバガンは搭乗となり、出発した。以前のプロペラ機ではなく、きれいなジェット機。客室乗務員の対応も極めてよく、英語もきれいに話す。朝食として出たパンとフルーツも美味しかった。サービスは向上している。だが、料金は国際線より高い。どうにかならないだろうか。

(2)ホテル

懐かしのヘーホー空港。ここもきれいになっていたが、大きな変化はなかった。出口を出ると懐かしい顔が待っていた。TAM、私のベストガイドだ。既に仕事というより友人だろう。そしてあの癒しの並木道も健在。空気が美味い、風が良い。車は観光用の数台しかない。ここは変わっていない。ヤンゴンではない。

早速空港近くのお馴染みレストランでシャンヌードを食べる。ウマい。何も変わっていない。何と驚いたことに7年前と料金も変わっていない。ミャンマーはヤンゴンだけが異常に発展し、他の地方は変わっていないことが分かる。車は本当に走っていない。時折、馬車が通り、バイクが通過する。ミャンマーの地方には車社会は到来していない。

ニャウンシュエに向かう。TAMはいつも何か新しい企画を持っている。今回は何と温泉の出る家に連れて行かれる。その付近は長距離トラックの休息所で、運転手が体を洗ったりしているらしい。新しい井戸を掘ったところ、温泉が出たと言うのだ。確かに昔インレー湖の近くで温泉に入った記憶があり、それほど意外でもない。だがまだ整備されている訳ではなく、地元の人が入るぐらい。何となくもったいない。

今日のお宿はニャウンシェエにあるゴールドスターという小さなモーテル。何となく居心地が良い空間。ちょっとリゾートな雰囲気。これで30ドルであれば、ホテル代はヤンゴンだけが高いと言うことが分かる。ただネットは繋がらない。

 (3)尼僧院

TAMが突然行こうと言う。きっと面白いことがあると思い、付いて行く。今日の乗り物は何と自転車。車は料金が高いので使わないのだろう。ミャンマーで初めて自転車に乗る。なかなか快適。車もあまり走っておらず、運転の心配もない。

街中と言っても、都会とは違い、ゆったりとしている。その中の1軒の前に停まる。ここは何だ。何と尼僧院だった。尼僧院と言えば、昨年インドのラダックで10日間泊めてもらったので、あまり抵抗感はない。

ちょうどお昼の時間で皆食事が終わり寛いでいた。そこへ突然闖入したのだが、快く受け入れてくれた。そして担当という女性が付き、中を案内してくれ、お茶を出し、我々の相手をしてくれる。この感覚、日本にあればなあ、と思う。日本ではお寺は近づき難い場所になっている。

ミャンマーではまだまだ恵まれない人々、特に女性が多くいる。そういう人々の駆け込める場所、として尼僧院がある。相当小さな子供から成人女性まで数十人が共同生活をしている。日本にもこのような場所があれば、子供を殺す親、虐待する親が少しは減るのではないかと思うが、それはその国の事情だろうか。静寂の中で暫しの時を過ごす。

(4)ワイナリー

更に自転車に乗り、郊外へ。TAMは意外と速く、どんどん進む。こちらは不慣れで一生懸命続く。ミャンマーで自転車レースか。面白い。街は小さいので直ぐに郊外へ出る。そして到着した所は、何とワイナリーだった。

ミャンマーでもワインを作るのか、それが率直な感想。ブドウは出来るので外国からワイン技術を持ち込んだようだ。自転車を入り口に停め、歩いて上がる。これが結構きつい。自転車漕ぎ過ぎだろうか。

小山の上からニャウシェエの街が一望できた。なかなかいい眺めだ。上にはレストランがあり、そこにはミャンマーの正装をしたミャンマー人が4人で昼からワインを飲んでいた。聞けば、本日街である銀行の支店がオープンし、そのセレモニーの帰りだと言う。それにしてもこの田舎でミャンマー人が正装してワインを飲んでいる、この光景は信じられない変化であった。

ワインの試飲をすることに。4種類のワインをグラスに少しずつ入れてくれ、ゆっくり飲む。個人的には赤ワインが飲み易かった。パスタとサラダを注文したが、凄いボリュームでビックリ。味はまあまあ。ミャンマーでイタリアンとは。

実は急に雨が降り出し、かなり強く降った。その中で飲むワインはまた格別な味がした。工場も見学したが、現在製造はしておらず、何も動いていなかった。輸出も検討しているが、これからとか。それでも確実に変化しているミャンマーが感じられる。

(5)ソーボア博物館とネットカフェ

自転車を漕いで、ホテルへ戻る途中、ソーボア博物館に寄る。ソーボアとは昔の藩主であり、ここは藩主の館である。流石に堅固な作りが見えるが、中は殆ど何もない。1960年代までに各地のソーボアは弾圧され、連れ去られた。ここのソーボアもその一人で、その後の消息は分からない。所持品も強奪され、最近少しずつ買い戻すなどして、展示品としているらしい。訪れる人は殆どいない。ミャンマーの負の部分が大きく見える。

ホテルへ戻り、ネットを繋ぐためにネットカフェに向かう。自転車に乗っていると気が付かなかったが、この街もパゴダが多い。そしてかなり立派だ。実に美しい形のパゴダを見て、ウットリ。またかなり古い建物の家が多い。木造建築でしっかりしている。何だか気持ちが良い。

ネットカフェへ行ったが、残念ながら繋がらなかった。WIFIは飛んでおり、お店のPCでは普通にキャッチできるのだが、私のPCには響かない。仕方なく、お店のPCでメールチェックだけして退散。他2軒を当たるも全く同じ状況。外国人が持ち込むPCは繋がらないことが多いという。何故であろうか。既に情報統制の時代は終わっているのに。

TAMにその旨告げると、最後の手段として、この街で最もおしゃれなレストランへ向かう。そこは川沿いにあり、いい感じだ。外国人が多く訪れるようで、値段も高い。ここから夕陽を眺めていると、何だかお茶が飲みたくなる。そしてネット接続にトライしたが、やはり駄目だった。ここでは普通の外国人はネットを問題なく繋いでいるようで、私のPCの問題かもしれない。横にある橋でもWIFIがキャッチできるらしく、何人かがスマホなどを動かしている。

その日の夜は街の小さなレストランでダイエットな夕食を取る。野菜炒めとご飯のみ。それでも十分と感じられるのがミャンマーの良いところ。勿論料金も安い。帰りに空を眺めるとやけに星がきれいだった。やはりミャンマーの田舎は変わっていない。






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