インドムナールお茶散歩2014(9)ムナール 中国人が植えた茶園

4月25日(金)中国人が植えた茶園

昨日博物館のスニール氏に『どこか工場は見られないか』と聞いたところ、タタ財閥と関係ない茶園を紹介してくれた。今日はそこへ行ってみる。昨日はストライキで人影がなかった街、今日は何事もなかったように人で溢れている。本当に分からない。街道沿いの茶畑でも茶摘みをする男性が見られた。ここでは茶摘みを男性がしているのか?確かに斜面では男性の方が摘んだ後の茶葉を運ぶなどに適してはいる。鮮やかに摘まれた茶葉が布袋に入っている。とてもきれいだ。

タラヤル茶園に着くと、早々にしっかりと閉まった門を通り、工場へ入る。そして担当者から『茶摘みから製茶の一部まで1日で体験できる』との説明を受ける。ここには観光茶園としての機能がある。我々はそこまでする必要はないので、1時間コースを選択し、簡単な説明と工場見学、そして紅茶の試飲を行った。

この茶園の歴史などをしつこく聞いていると、マネージャーと思しき男性が説明を代わった。『John Ajooという名の中国人は東インド会社の社員だったが、罪を得て牢獄に入っていた。その後ここへ来て1890年前後に茶樹を植えたのが始まりだ』と話した。Johnは製茶の技術でも持っていたのだろうか、福建省あたりの出身だろうか、などと想像を巡らすも、それ以上のことは分からないらしい。

マネージャーは『外の茶畑を見よう』と言い出し、我々を案内した。そこには看板があり、『Chinaman`s Field』と書かれていた。茶の栽培と製造のアドバイスをするために東インド会社によって連れて来られた6人のうちの一人がJohnだとある。ダージリンに行った時にも、1850年代に中国の茶樹が植えられ、中国人茶師が来て教えた、という言い伝えがあったような気がする。それと同じことだろうか。そうであれば、Johnは金で雇われた茶農家か茶師だったのではないだろうか。実に興味深いが史実かどうかは分からない。

当時イギリスでは中国産の紅茶が好まれていたので、中国人が植えた茶樹=中国産紅茶という図式で、作られた話かもしれない。この付近に元々茶の木はないようだから、ダージリンと同様に中国種をイギリス人が持ち込んだのかもしれない。真相は不明だが面白い。

森林へ

もうお茶関係で行く所は無くなった。ラトールさんの提案で郊外の森林を見に行くことになった。途中茶畑もあり、牛がゆっくり茶畑の中を歩いているのが見えた。如何にもインド的な光景だった。きれいな滝にも遭遇した。インド人観光客が水に足を入れてはしゃいでいる。入場料を取られたが、早々に先へ進む。

マラヨールの森林地区はケララ州が管理しており、道路の両側は鉄の網が配備され、中には入れないようになっていた。入場料を払えば一部見学ができるようだったが、大自然の中を歩くことを想定していた私としてはかなり拍子抜け。周囲を少し眺めて退散する。ラトールさんは他のインド人と共に、お土産を物色。樹脂のオイルが肌に良いとか。ただかなりの値段を付けていた。

茶園から戻り、昼ご飯を取る。今日は南インド料理に飽きたので中華を選択した。オーダーしたのはゴビマンチューリ(カリフラワー炒め)、マンチョースープ(ネギ、キャベツ、若干辛い)、香港ヌードル(麺が太い卵麺)。何故こんなところでマンチューリ(所謂満州)という言葉が出て来るのか?とても興味をそそられる。恐らくは中国から中華料理を持ち込んだのが、チベット系(モンゴル系)だったからではないか。シッキムやカリンポンではインドと違って普通の中華を食べているが、その先にあるのはチベットだから。どうだろうか?

またなぜか全体的に辛い。インド人も辛いものを好むが、今の東北地方で辛いものが出るだろうか?ニンニクを大量に使った料理はあるが。チベット料理が辛かったという記憶もない。四川あたりの流れを汲むのだろうか。香港という名前をよく付けられている。広東料理をイメージするのか。同じ植民地だった香港に対してインドは中国とは違う親しみを持っている。

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