福岡、長崎茶旅2022(4)奇跡の矢部村、そして平戸へ

昼前、矢部村へ行く途中、茶寮千代乃園に寄った。お店を開いている茶農家のHさんとOさんは知り合いということで行ったが、私もイベントでお会いしていた。茶桜ご飯のだし茶漬けを頂くと、炊き込みご飯のおにぎりが浮かんでいて、何ともうまい。デザートのケーキも甘さ控えめで又うまい。そして何より川沿いの景色がとても良い。勿論お茶はおいしい。これは極楽だ。

午後は矢部村の川口米吉翁のお孫さんを訪ねた。明治30年代、川口翁は近隣や佐賀で紅茶製造法を教えていたという。家には川口翁が90歳近くで作ったという60年前の紅茶が残っていた。そして先日作ったという紅茶を飲ませて頂いた。家にある資料をみせてもらうと、何と川口翁は可徳乾三の弟子から袋踏法を習ったといい、実はその製法は今でも孫に引き継がれていた。これはもう本当に奇跡の発見であり、しかもその踏み方の華麗なステップを見せて頂き、大感激だった。また星光社の神田清吾からも製造法を習得したとあり、何とも興味深い人物だ。

それから旧校舎を利用した川口米吉資料館を訪ねる。Oさんのお知り合いが関わっており、色々と説明してくれた。ここの小学校の卒業生には、数年前に訪問したKさん兄弟なども含まれていた。何だか古い校舎が上手く使われていて、思わず展示に見入ってしまった。それにしても矢部村の紅茶の歴史、何とかもっと深く分からないだろうか。

帰る途中、木屋のお寺に寄り道する。この辺でも昔は紅茶作りが行われていたと聞いたからだ。光善寺というお寺へ行くとちょうど人がいたので聞いてみると、『昔茶畑があったとは聞いているが』という感じで、今見ても茶畑はない。ただよく見ると横に南木屋共同茶工場と書かれ建物があり、製茶が行われていることは分かる。

そこから佐賀駅前まで行く。今晩は佐賀に泊まり、明日平戸へ向かう。いつもの駅前ホテルを予約しようとしたら、すごく高い値段で驚いた。それでも仕方なく予約したのだが、何と喫煙部屋が予約されていた。満室で替えられないという。予約サイトを見ると実に曖昧な表現で驚く。次回からは気を付けよう。料金が高い理由は周辺ホテルがコロナ隔離に指定され、そこに需要が伸びてきたので、部屋が足りなくなっているらしい。夕飯はなぜかカツカレーを食べて早く休む。

6月17日(金)平戸へ 

翌朝Oさんの車で平戸へ向かった。一昨年長崎へ行った時、平戸へも行きたいと思ったが、意外に遠くて行けなかった。佐賀からも車で2時間ほどかかってようやくお城が見えてきた。その昔交易で栄えたとは思えないほど、九州の外れにあることを実感する。

駐車場に車を停めて、観光案内所で地図を貰う。ついでにあご出しちゃんぽんが食べられる場所を聞く。目の前に有名なお店があるが、コロナ禍でいつ開いているかは分からないという。まず旧オランダ商館の方へ歩いて行く。1609年平戸に2隻のオランダ船が来航し、1641年の出島へ移転するまでの短い期間、ここが貿易拠点だった。復元された洋館は博物館となり、数々の展示品を見ることが出来る。だが残念ながら茶に関連する資料は見当たらない。

オランダ塀から少し小山を登る。この辺りに400年前のオランダ商館は立っていたらしい。そのまま登り、ザビエル記念碑を探す。ザビエルは山口にも来たが平戸にも来ている。更に上ると何と三浦按針の墓(発掘でその可能性が出ている墓)があった。ウイリアムアダムスは漂流して大分に辿り着き、その後徳川家康に仕えた数奇なイギリス人。三浦に領地をもらったからそこで亡くなったとばかり思っていたら、実は晩年帰国を夢見て平戸に来ており、ここで亡くなっていた。

少し下っていくと、松浦資料館があった。松浦党は鎌倉時代から海賊のイメージで名が知られているが、実際はどうだったろうか。資料館はお屋敷に作られており、その古めかしさが良い。松浦と中国の交流などがもっと展示されているかと思っていたが、あまりなくて残念。ここで以前大分の旅をご一緒したSさんが登場して驚く。ちょうど長崎に用事があり、急遽参加したらしい。

昼ご飯はOさんが『あごちゃんぽん』というので、その店に行ってみた。あご出汁が抜群に美味く、タンメンのような野菜炒めがドカンと載っている。するすると胃に収まる。だが何しろ量が多くて食べきるのに苦戦するほど。味がいいのでまた平戸に来たら食べたい。

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