インドムナールお茶散歩2014(4)コーチン ザビエルではなくガマだった

4月22日(火)WIFI繋がらず

朝起きて、PCを立ち上げたが、ネットに接続できない。何故だろうかとフロントへ行き訪ねると『パスワードは昨晩失効した。新しいのをあげる』と言われ、部屋に持ち帰ったが、何とPC内では昨日のパスワードが作動しており、新しい物を入力できない。どうみてもパスワードの問題ではない。その後『スタッフを部屋に寄越す』という話だったが、一向に来ない。最終的にチェックアウト直前になり『WIFIに不都合があった。ビジネスセンターでネットが使える』との説明があった。どうなんだろう、この対応。

ビジネスセンターは1階にあり、マネージャーという人々は個室に入って何かしている。インドはこういう社会なんだな、と思う。とても働いているように見えない。PCも特別に貸してくれるようで、スタッフの席でネットを見た。

ザビエル教会はどこ?

昨日手配した車はなかなかやって来ない。電話をしたが言葉が通じないらしく、ホテルの人がタミル語で話す。何と駐車場に来ていた。駐車場に荷物を運ぶと運転手はいない、トイレに行ったらしい。この辺が何ともおかしみがある。まるで漫画のようだ。何とか見つけて出発した。

先ずは市内のCitibankへ。ルピーを下ろすために寄る。かなり厳重な警戒を敷いている。お客様に笑顔で接する、のとは正反対。お客様はいつ敵になるか分からない、という雰囲気が漂う中、少し大きな金額の引き出をしたところ、5回に分けることになり、警備員の目が気になる。銀行に来るのにビクビクしなければならない、なんて。

それから橋を渡り、島を通過、広い半島部にあるフォートコーチンを目指す。ここは16世紀の大航海時代にポルトガルがやって来てその後オランダ、イギリスと続く歴史を持っている。ラトールさんに『ザビエルゆかりの教会へ連れて行ってほしい』と頼んでいたのだが。先ずは教会に着いた。かなり立派な教会である。中もかなり鮮やかなステンドグラスなどがあり、素晴らしい。だがザビエルゆかりの表示はどこにもない。聞いても良く分からない。この教会がサンタクルスという名前であることが分かる。どうやらここではないらしい。

次にチャイニーズ・フィッシング・ネットという所へ行った。何だそれは、その名前は。海辺に大きな仕掛けがしてあり、魚取りの網が丸太に括り付けられている。この網を海中に沈めて、時期が来たら丸太で引き揚げるらしい。これは中国的漁法なのか、それとも網が中国から渡ってきたのか、さっぱり分からない。少し眺めていると、男たちが声を掛けて来る。『フィッシングしようぜ』と。ここは完全な観光地となっている。とれた魚?は浜辺で売られ、それを買って料理してもらう小屋まである。この魚、ウマイのだろうか?

そしていよいよやってきたのは聖フランシスコ教会。16世紀のポルトガル時代の教会と聞き、ここがザビエル関連の教会だと思い込む。中はかなりシンプルな造り。そして脇の方に何やら、表示が。何とそこに書かれていたのは『バスコダガマの墓』。え、完全に勘違いしていた。ザビエルゆかりの場所がコーチンではなく、ゴアだった。そしてザビエルより前、1524年に亡くなったバスコダガマがここに埋葬されたのだ。何という思い違い、でもこれが見られてラッキー。

3.ムナール パンク

そして車はコーチンを離れ、一路ニルギルへ。途中で水を買い、準備万端で向かう。車はタタの小型車。2人だから十分だ。ところが少し行くと突然車が停まる。故障か、と危ぶんだが、何とタイヤのパンクだった。運転手は後ろのスペア―タイヤを出し、器用にタイヤを外し、素早くタイヤを交換した。この手際は見事だった。余程慣れているとしか思えない。

ランチは道路沿いの食堂へ入る。カレーと炒飯を頼んでカレー炒飯として食べる。インドでは普通だが、日本でこれをやったら流行るだろうか?炒飯の味付けを薄くする必要はあるが、意外とウケるのではないだろうか?腹が減っていたせいか、やけに美味い。食堂のトイレが清潔なのは有難いこと。中国などで旅行中トイレが汚いと嫌な気分になるが、インドはそこそこ掃除が行き届いているのが良い。分業制でちゃんと係がいるのかもしれない。

また途中でバナナを売っている店があったので停めて貰い、買う。このバナナ、バナナがなったままの幹を切って店先で売っている。これは先日のスリランカと同じ要領だ。鮮度を保つためだろうか。それとも何か理由があるのだろうか。

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