台湾茶の歴史を訪ねる旅2011(5)埔里 日本時代の茶樹と民宿

14. 和果森林

車で15分ほど行くと陳さんの店である和果森林が見てきた。何だかコテージ風で面白い。2階に上がると人で溢れていた。確かにここで昼ごはんは食えない。まるで観光地の土産物売り場の様相。何だここは。

見ると紅茶作り体験コーナーあり、紅茶試飲があり、観光バスで乗り付けてくる。特に今日は土曜日で親子連れが多い。私はベランダの一番端に座り、忙しい中陳さんの説明を受けた。「ここの紅茶は100前の老樹から作られている」驚きである。しかも「その老樹は日本人が植えたのである」え、なに?日本統治時代であることは分かるが、日本には紅茶鎖倍は殆どなくそのノウハウはないのでは。

陳さんは「私の義父を紹介しよう」と言って、老人がやって来る。石さん、83歳。日本語は全く話さないが国語はペラペラ。この世代の方としては珍しい。石さんの話は衝撃的。「自分は林口の茶葉伝習所で日本人より茶作りを習った」一体何年前の話だ。よく聞くと1949年頃である。伝習所と言うと何だか江戸時代の雰囲気がある。しかも日本人技師は日本統治終了後も残されており、台湾人に教えていたというのだ。

「日本の先生たちの技術、知識レベルは高かった。例えば紅茶にはミルクを淹れない方が良いと言うのは最近言われていることが、私は伝習所で既に習っている。日本人はきちんと研究していた。」「あの頃台湾人は金がなかったけど、伝習所は無料だった。有難かったな。」と石さん。そして1年で卒業すると地元に戻り茶工場に就職した。

その茶園は終戦前持木さんと言う方が所有しており、終戦で台湾政府に接収された。「持木さんは一銭ももらわずに帰って行った」と言う。石さんはそこの主任としてお茶作りに務めたが、台湾紅茶の名声は低く、戦後長い間、苦難の道を歩く。「多くの農家が茶樹をつぶしてビンロウ樹を植えたよ。そっちの方が管理は楽だし、儲かったからね。」「でもうちは違った。必ずここの紅茶は復活すると信じて、老樹を守ってきたんだ。」

そして転機は1999年の921大地震。埔里一帯は壊滅的な被害を受ける。「市長が町おこしの一環でここの紅茶の注目した」ことにより、宣伝が始まり、震災という悲劇と相俟って、日月潭紅茶として見事に復活。和果森林はその象徴として、評判を取り、現在のようなブームが起こった。

石さんは3時間余りも疲れた様子もなく語り続けた。こちらが気を使って「そろそろ夕方ですが、この辺に宿はないでしょうか」と聞くと奥から名刺を取り出し、「民宿に泊まるか」と聞く。

15. 埔里の民宿に泊まる
その後石さんは話し続けた。いつ切り上げたらよいのか、そしてその民宿へはどうやって行くのか、気に掛かる。すると石さんの向こうに一人の男性が座った。そして何をするでもなく、手持無沙汰にしている。おかしい?ようやく石さんは「民宿行くか」と聞く。ハイ、と答えるとその男性が私のリュックを掴んで立ち上がった。あれ、何と民宿から迎えが来ていたのだ。バンに乗り名残惜しいが石さんとお別れする。

若者は民宿を手伝っているという。本業を聞くと「昨年地元の国立大学の大学院を卒業した。専攻は中国史。」ということで俄然話が弾む。しかしなぜ院卒で実家の手伝い?「実は台湾の田舎では就職先がない。昨年警察官の試験に落ちたし。」え、大学院を出て警察官?「そう、警察官は残業もあり手当がいいんだ」え、でも「勿論普通の公務員はもっといいが、今や1000人受けて受かるのは10人程度。警察官なら100人で7人だ。」そうなのか、そんなに厳しいのか。

と言う会話の間にも、車は埔里市内から山へ向けて上っていく。民宿が山の上のあるのか、それと途轍もなく不便な場所にあるのか。考え始めたころ、車が如何にも別荘に入り口と言う雰囲気の中へ入る。目に入ってきたのはまさに別荘。こんな立派な所に泊まるのか。料金すら聞いていない。

3つある建物のうち、母屋と思われるところへ案内される。おしゃれな喫茶コーナーがあり、向こうは崖。山から下が一望できる。部屋はここから階段を降りる。中に入るとおしゃれな部屋、そう女性が好みそうなペンション風。窓からは同じく風景が一望できる。何と贅沢な。

するとさっきの若者が「蛍見に行くか」と聞く。蛍は鹿谷で十分見たのだが、面白そうなので着いていく。他に台湾人とシンガポール人の団体が一緒。大勢でまだ陽も落ち切らないうちに出発。蛍見学の場所には既に警官まで出ており、先日とは打って変わった様子。蛍がチラチラ見えたが、それで十分。

「食事はどうする」と聞かれたので何でもよいと答える。何と彼と妹が一緒に食事をしてくれた。しかも場所はイタリアンレストラン。ちょっと隠れ家風に、さり気無くあるそのレストランはおしゃれ。味もまあまあで、面白い。

実はあの民宿は8年前に彼らの両親が購入、台南から引っ越してきたのだという。地元の人間ではなかったのだ。そしてなぜかお父さんは引退し?妹が責任者であるという。それで飾りが女性らしいのか?

台湾中部埔里に来ています。前回宿泊した民宿「松濤園」にお世話になっています。
この場所が気に入り、1か月前に来たばかりでまた来てしまいました。

埔里は夏は涼しく、冬は暖かい、過ごし易い気候、高原の爽やかな雰囲気は軽井沢のよう。



日本の民宿とはイメージが異なり、別荘を利用した高原のペンションです。家族経営で親しみやすく、清潔感もあり、何よりも爽やかな空気が心を和ませます。



ここのご主人梁さんはお茶好きでもあり、私の名ガイド役として、色々な場所に連れて行ってもらっています。



特に朝ごはんは美味しいですよ。 




豊かな景色ときれいな空気、一度泊まってみると面白いと思います。


「松濤園」
電話:886-49-2911291 携帯電話:886-921-126871、886-921952557
E-mail:pine.puli@msa.hinet.net
http://songtao.nantou.com.tw/



 

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