東北、北海道を行く2021(5)函館を歩き倒す

そこでまた歩き出す。近所には古めかしい建物が、観光スポットになっていた。ツタが絡まる函館郵便局舎。更に行くと函館港と倉庫群に出る。いい天気で海が青くて雲が白い。近くには日本最古のコンクリート電柱、謎と書かれたものもある。修学旅行生がいるのは新鮮だ。

今日のお目当ては高田屋嘉兵衛。やはり蝦夷地、北前船と言えば、嘉兵衛が一番に思い付く。函館は高田屋にとっても重要な交易地。立派な像が建っている。江戸後期ゴロウニン事件を解決した手腕も評価されている。高田屋屋敷跡も近くにあった。ここは高田屋全盛期、嘉兵衛の後を継いだ金兵衛(弟)が広大な屋敷を建てた場所だった。

なぜか坂本龍馬の記念館や像もある。龍馬自身はここに来たことはなかったようだが、蝦夷地開拓の夢を語っていただけで、有名人は像が建つ。最後に駅の向こうまで歩いていき、土方歳三最後の地に詣でる。ここは8年前にも来たことがあるが、大河ドラマの影響もあり、取り敢えず五稜郭とセットと考えた。午後4時前、朝市まで戻ってくると、腹がグーと鳴る。開いている店で立派な海鮮丼を食べてから、宿へ向かう。

宿は高層ビルで、眺めがとてもいい。簡単な流し台があり、皿なども用意されている。何と驚いたことに、洗濯機まで置かれている。これは完全に部屋で過ごすことが前提に作られているコロナ対応部屋だった。そして大浴場が用意されていて、いい眺めの中で、ゆったりと湯に浸かれる。これぞ極楽だ。夜は大画面のテレビを見ながら洗濯をして過ごす。そして函館の夜景を見ながらゆっくりと眠りにつく。

11月17日(水)函館2

この宿の朝ごはんは朝市の12の食堂から選んで食べに行くシステム(店がやっていれば朝でなくても使える)。部屋にその店とメニューがあり、狙いを定めて向かう。確か8年前は、朝市前の古びた宿(市場の仲買人が泊まりそうな宿)に泊まり、やはり朝ご飯は朝市だった。だがこの8年の間にこの付近もかなり変わり、きれいになっていて、今はそんな木賃宿はない。更にはコロナの影響もあり、閉まっている店も結構ある。そして外国人観光客の姿はない。

お目当ての食堂へ行くと、かなり込み合っており、前の客が食べた皿が残っていた。『時間が掛かりますが』と言われたが、『暇なんで』と返して、座る。思ったより早く料理は出てきた。昨日に続く海鮮丼、それに焼き魚、卵焼きなど豪華な朝飯だった。大満足で宿に戻り、備え付けのコーヒーを頂く。

名残惜しい宿をチェックアウトして、昨日も歩いた方面へ歩き出す。途中に高田屋嘉兵衛の記念館があったが、既に閉館しているようだ。北方民族資料館や民間の資料館など、歴史展示館が多くのあるのも函館の特徴だが、訪れる人は少なく、お休みのところも多い。もう少し行くと、同志社大学を設立した新島襄が1864年にアメリカへ密航した海外渡航の地碑があった。私にはとてもできない海外旅行だ。

その近くには高田屋の本店もあったらしいが、今はその表示だけ。近所の店は今も古風な状態を保っていて、旅館になっている。それから端まで歩いていく。称名寺というお寺に、土方歳三と新撰組隊士の供養碑があり、また高田屋一族の墓もあった。そこから更に上っていくと、外国人墓地がある。華人やロシア人の墓があり、更には幕末の函館を守護した南部藩士の墓などもある。

そこから市内中心に戻りつつ、旧ロシア領事館の建物などを見た。現在修復工事中。更に戻ると元町公園、函館公会堂が見えてくる。その下にはペリー提督来航記念碑があり、周辺には古い建物がいくつも見られる。その先に正ハリストス教会があるはずだったが、全面改修中でその姿は見えない。その向こうには英国系の聖ヨハネ教会、その下にはフランス系のカトリック元町教会がある。10歳の山川捨松はこの辺りに住んだいたのではなあいだろうか。

この教会の向かいには『亀井勝一郎生誕の地』という石碑が見える。亀井というと何となく関西のイメージがあるが、生まれは函館だったのか。今日は午後札幌への移動があるので、ランチを食べることにした。折角なので五島軒へ出向く。創業は1879年、創業者の若山惣太郎と、旧幕府軍として箱館戦争を戦った初代料理長・五島英吉が函館で出逢い、誕生した洋食屋だった。

だが訪ねてみると満席。それでも30分ぐらいで空くだろうというので、護国神社などその辺を散歩してから、席に着く。気になっていた『明治のカレー』を注文するも、さすが老舗。出て来るまで30分はかかる。その間、内装などを観察して待つ。カレーは何だか懐かしいお味がした。

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