鉄観音の故郷を訪ねる2013(5)金門 古き良き台湾を思い出す

5.金門島  台湾へ行くのか

国際フェリーなので入国審査がある。台湾の入国カードを適当に書き、係に提出したところ、『あんた、ここに泊まるの?それとも台湾へ行くの?』と英語で聞かれる。『台湾へ行く?ここ台湾だろう』と中国語で答えると、『ここは福建省だ』と言い返される。ようは中華民国福建省に私はやってきたわけで、彼女の言う台湾は台北などのある島を指すことが分かった。それにしてもビックリ。

 

そして金門島を観光すると告げると『宿泊先を書け』とまだ通過させてくれない。これから行って決める、というと『では入国させられない』と頑張られる。金門に泊まるか、日帰りで厦門に帰るかも分からないと突っぱねると『ならば携帯番号を書け』と言われ、中国大陸の携帯番号を書いて、通過した。何と携帯は台湾にローミングしており、使えた。

 

そしてイミグレを出てすぐにさっきの係官の聞いていた意味が分かる。台湾系航空会社のカウンターが4つ並んでいたのだ。近づくと13:30台北、14:00台中などと表示されている。何とここから飛行機に乗れば、台湾へは一っ飛びで行けるのだ。空港までは7㎞離れているようだが、表には専用バスが待機していて、常時乗客を運んでいく。このサービスは速い。現在12時過ぎだから、1時半の台北行(国内線)には十分に間に合う。2時半には松山空港に着いており、3時半には屋台で牛肉麺を食べていそうだ。乗客の動きを見ていると、金門観光者は殆どおらず、皆トランジットで台湾へ帰る(行く)のだ。合点がいった。

 

それにしても何の予備知識もなしに来てしまった。ここがどこかも分からない。出口を出るとタクシーの呼び込みがあったが、どこに行ったらよいかもわからず、途方に暮れる。港とはいえ、周囲には本当に何もない。仕方なく、帰りのフェリーを確認しに隣の建物へ入ると、両替があった。そうか、私は台湾ドルを持っていない、金を持っていなのだ。タクシーにすら乗れない。

 

両替は台湾の銀行の出先が行っていた。人民元の両替はスムーズに出来た。銀行のおじさんは私が日本人だと分かると『島の問題は色々とあるけど、仲良くしような』と言って握手した。不思議な感覚。こんなのは福建省側ではなかなかない。そして親切に私の行くべき方向を示し、地図をくれた。

民宿はどこ

 

 

フェリーターミナルを出て、小高い公園へ行く。ここから港がよく見えた。そして道をとぼとぼと歩き始めた。歩いているのは私しかいない。時折大型バスが通って行くだけ。すぐに立派な建物が見えたが、これも福建省と書かれた役所。やはり私は福建省へ来たんだ。周囲は他に何もない。

 

15分ぐらい歩いていくと、古めかしい家がいくつも見えてきた。水頭村、ここが劉さんが言っていた古民家が集まる村だった。確かに村自体が保存地区になっているのか、皆古い。しかし人は殆ど出てこない、というより不在のように見える。

     

港でもここに来れば民宿は沢山ある、と言われた。確かに民宿と書かれた建物はいくつもあるが、どこにも人がいない。門に鍵が掛かっている。携帯番号が貼ってあり、用があれば電話しろ、となっているところもある。この古い家には住んでいないが、民宿として客があれば使っているのだろう。そこまでして泊まりたいとは思わない。

 

博物館があったので入ってみる。この村の歴史が綴られてはいるが、あまりよくは分からない。建物だけが非常に気に入る。落ち着いた造りの建物は木々の枝葉がよく似合う。

 

腹が減ったが、この村には1軒しか食べ物屋がない。休日などはもっと沢山開くのだろうが、致し方がない。そこで牡蠣の米麺を食べる。これはなかなか美味しい。この店へ来て初めて、台湾へ来た感じがした。ただ店の人たちは黙々と働いており、何かを聞ける雰囲気はなかった。この村に留まることを諦めた。

 

古きよき台湾のサービス

諦めたのはいいが、ではどうするか。港で貰った地図を広げると、この地区の街まで3㎞はありそうだ。歩いていく自信はない。仕方なく通りに出るとバス停があった。時刻表を眺めたがよくわからない。と思っていると、向こうからオジサンが何か叫んでいる。『このバスに乗らないのか』と言っているようだ。見ると道路の反対側にバスが停車しようとしていた。

 

慌てて道路を渡り、乗り込む。このバスは一体どこへ行くのだろうか。えい、どうにでもなれ、どうせ大したことになりはしない、という持ち前のいい加減さで行く。バスには子供やお年寄りが乗っていた。取り敢えず座っていると、やがて街らしきところへ入ってきた。終点のバスターミナルで降りた。12台湾ドルだった。運転手さんも何故か親切。ここは台湾だ、大陸の緊張感はない。

 

周囲をキョキョロすると、ビジネスホテル風の所が見えた。かなり疲れていたので、そこへ飛び込む。狭い受付に行くと、お姐さんがいきなり『こんにちは』と日本語で言った。泊まりたいというと一生懸命日本語を使ってくれた。ただ部屋がないという。残念だが、と諦めようとすると『ちょっと待って』と言い、誰かに電話をしている。そして『1部屋、1800ドルね』とにっこり。こちらも釣られてにっこりしたが、財布はニッコリしなかった。何と1600ドルしか入っていなかったのだ。

 

正直に伝えて出ていこうとすると『ちょっと待って』と言って、またどこかへ電話。そして、『いいよ、1600で』と。何という対応だろうか。元々は部屋が無い、から始まり、今は値下げになってしまう。しかし台湾では昔も何度かこういうことがあった。『日本人』であることが、なぜかそのような厚遇を得てしまうのだ。素直に有難うと言い、チェックイン、と思ったが、そこは台湾。『あなたの部屋は掃除中、荷物はフロントで預かる』という。だがフロントと言ってもちょっと心配なぐらいなスペースしかない。PCも入っているし、無くなると困る。

 

強引に部屋のカギを貰い、荷物を部屋に押し込もうとした。だが、部屋はおばさん二人ががりでまさに掃除中。ここに荷物を置くのはどうかな、と思っていると、下からフロントのお姐さんが上がってきて、『あなたの荷物は責任をもって私が預かります』ときっぱり。有無を言わさず、下へ持って行ってしまった。何というサービス精神、ここまで言われるとたとえ心配でも逆らえない。そしてこんなことを言ってくるところはアジア中探してもないのではなかろうか。古き良き台湾を見る思い、素直に感動してしまった。

 

両替

 

 

部屋は掃除中なので、先ずは両替。ホテルからすぐのところに台湾土地銀行があった。昔は政府系のお堅い銀行だったが、どうだろうか。恐る恐る入っていくと、如何にも昔の銀行の店舗という雰囲気、両替レートが出ている。人民元を両替したいというと、オジサンが対応に出てきた。元とパスポートを渡すと『お前、どっから来たんだ』と完全に怪しまれる。

 

確かにそうだ。日本のパスポートを持って、人民元を両替にこの島にやってくる人、しかも簡単だが中国語を話す、となれば、『中国人が帰化したんだろう』とでも思ったらしい。スパイ容疑?私が『20年前は台北にいて、台湾系銀行に在籍していた日本人』と話すと、何だか急に親切になった。

 

『ここには中国人が両替に来ることも殆どないからびっくりしたよ』とオジサンは言う。そして日本がどうしたこうした、と話に花が咲く。不思議な空間だ、ここは。大陸の人間は台湾へ行ってしまうか、観光客でも決まった場所しか行かないようだ。人民元が簡単に両替できることに少し驚いたが、よく考えてみれば金門島が人民元を受け取らず、台湾ドルへの両替を促していることがせめてもの救いのだろうか。そうでないと飲み込まれてしまうほど、この島は小さい。

 

外へ出るとなぜか葬式の行列に出くわす。これも実に台湾を感じさせる。車を何十台も連ねて、市中をゆっくりと走る。死者の弔いとしてはちょっと派手に感じられるが、悪い気はしない。

 

 

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