福州 お茶の原点を訪ねる2012(1)茶縁が繋がり紅茶屋さんへ

【福州 お茶の原点を訪ねる】 2012年4月14-21日

福建省福州市、1987年4月、間違ってこの地に降りた。でもいい所だった。2009年、久しぶりに仕事で行った。80年代は先進都市だったが、それほど大きく変わっていなかった。他の中国の都市ほど発展していなかった。

今回中国紅茶のことが知りたいと思った。知り合いに福州市郊外福清出身の人がいて、食事をしていたら、突然「福州行ったら」と言われ、そのまま彼は福州の友人に電話、そして携帯が私に回って来た。「もしもし」先方は日本語だった。「歓迎する」とも言ってくれた。これは行かない訳にはいかない。しかしその後メールをしても返事はない。秘書のアドレスを聞き、メールすると返事が来た。到着の便名とホテルの予約依頼をした。果たしてどうなるのだろうか、全く見当もつかない。

1.   福州1日目(4月14日)

久しぶりにドラゴン航空に乗った。離陸すると隣の席の中国人は私のことなど構わずに、私のシートの肘掛けに腰掛けて、窓際の女性と話し始めた。どうしようかと思案しているとCAが「お客様、後ろの席が空いていますよ」と英語で言ってくれた。ちょっと感激した。CAの香港人も一部中国人の態度の悪さに毎回ヘキヘキしているらしい。

空港に着くと、迎えが来ていた。メールで連絡を取った女性。まだ若い。車は古いベンツ。80年代の香りがする大型車で快適である。空港高速を走り、河が見えてきた。ライトアップが眩しい。予約してもらったホテルにチェックイン。既に時間は夜9時近いが、彼女は「良かったら、紅茶屋へ行きましょう」と誘う。紅茶屋とは何ぞや、と思いながら、興味を惹かれて出向く。

ホテルから歩いて5分、紅茶屋はあった。紅茶屋という名前の喫茶店。店内には紅茶が棚に並べられ、ゆったりとしたスペースでお茶が飲めるようになっている。私には紅茶とワッフルが出され、ワッフルにはフルーツも付いていた。ここが今回お世話になる魏さんのお店であった。魏さんはその日は他の来客があり、顔を見せなかったが、何となく面白いことになりそうな予感があった。

2. 福州2日目(15日)     紅茶屋の魏さん

翌朝10時に魏さんがホテルにやって来た。そしてまた紅茶屋に行った。魏さんの一族は1914年に九州で創業、70-80年代は日本の土産物などの貿易に従事、その後改革開放で不動産業をやり、魏さんはお父さんから不動産業を引き継ぎ、最近好きな茶業に乗り出している。魏さん自身も1980年代の立命館大学へ留学。その後帰国し、福州で生活している。日本語は忘れた、と言いながら、毎年日本に出掛け、3月のFoodexにも出店していた。私も行ったのだが、福州のお茶屋さんには気が付かなかった。友人で茶業をしているSさんは、そこで魏さんと知り合ったと聞いた。不思議なご縁だが、お茶関係なら当然か。

紅茶屋は2年ほど前に開業。所謂喫茶店をイメージして作られており、我々には違和感はないが、福州では珍しい存在。中国中から18種類の紅茶を集めて売り出しているほか、お店では昨日のワッフルやケーキ、スパゲッティなども食べられる。ソファーでゆったり出来るし、会合で使う人も多い。

魏さんは「商売は大事だが、お茶文化を広めたい」とも言う。確かに中国人がお茶を飲む機会も一般的には減って来ている。お茶処の福建省とて、コーヒーのチェーン店が進出、若者に人気となっている。一方、中国茶を業とする人々も、儲け話に血道を上げ、お茶本来の文化的な側面が損なわれている。

また福建省はある意味で紅茶の故郷であるにもかかわらず、烏龍茶や鉄観音ばかりが喧伝され、影が薄れている。その意味でも中国人に紅茶を宣伝することに意味があるとも言う。確かにお茶屋さんも、飲む側もその歴史などにはあまり興味を持たないのが現実である。私の調査もこのようにして、紅茶を主に考えてみることにした。

福州で茶芸を広めた呉さん

お昼に魏さん達に連れられて、茶芸館に行く。茶芸館と言っても昼ごはんが食べられるレストラン。ビルに2階にあった。「雅真茶芸 呉家私坊菜」と書かれた入り口を入ると、中は雅なレストラン。お茶を飲むようなテーブルもあるが、普通の中華テーブルもある。

我々は人数も多いので、丸テーブルに座ると、そこへオーナーの呉雅真さんが入って来た。何と私と同じ時期に上海の復旦大学で本科生だったという才媛。その後故郷の福州に戻り、福州にある博物館に勤務。日本から来た偉い人の案内も沢山したという。その頃、サントリーの烏龍茶のCMに出演していたとは後で聞いた話で、この時は全く知らなかった。

呉さんは、閩式工夫茶芸技法という茶芸を確立し、この分野では大先生である。実際に会った印象は物腰が柔らかいこと、かなり知的なこと、そして少し疲れていたこと。岩茶の世界にも明るく、日本に岩茶を広めた一人、佐能典代さんとも昔は良く来ていたという。あまり多くは語らないが、知識は相当なものかと思う。ただ1860年代、福州は上海と並ぶ茶葉の輸出港だったこと、その頃のエピソードなどを聞こうとしたが、時間切れで答えは得られなかった。一度で何もかも聞こうというのには無理がある。

呉さんはこれから、どんな活動をしていくのだろうか、ちょっと興味があったが、それを聞くのも辞めた。次回また来るチャンスがあれば、自ずと分かるだろう。

福州散歩

午後は林則徐記念館へ行く。例のアヘン戦争時の総督林則徐はここ福州の出身である。やはり福州とお茶の関係は切っても切れない。この記念館の中には実に太くて根が張り巡らされた大木がある。これは林則徐の確固たる信念を象徴しているのだろう。特に庭が素晴らしい。お茶に関する記述は少しだけあった。

その後ぶらぶら散歩して、三坊七巷という昔の街を再現した通りに出た。観光客が多く、賑わっている。ここで驚いたのが、スターバックスとマック。2つともいつもの外装は影を潜め、かなりシックな作りとなっている。一瞬偽物かと思うほど、見かけは違っていた。これが周囲との協調、景観を損ねない措置なのだろう。お金になれば何でも妥協する姿勢、素晴らしいと言っておこう。

また紙芝居のような出し物が有ったり、子供達が飴をなめていたり、と懐かしい風景が続く。日本人が見ても懐かしいと思うのだから、中国人にも懐かしく感じるのだろうか。最近中国の都市にはこの手の時代物通りが続々誕生している。何かしないとお客が呼べないのは事実だが、地元の人はどう思っているのだろうか。

様々なお茶屋が店を出しているが、どれも観光客目当てのようで、じっくりお茶を味わえそうな雰囲気もなく、またよいお茶を揃えているとも言い難い。お土産用に高いお茶は沢山あるようだったが。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です