龍井茶の村を行く2011(1)ほっつき歩きを始めた街

【龍井茶の村を行く】 2011年4月1日

1.杭州まで
会社を辞めることにした。どうせ辞めるなら、3月末までに辞めたかった。どうしてか、それはサラリーマン時代には絶対に出来ないことをしてみたかったから。3月末から4月初めて海外旅行すること。年度末に掛かるこの時期は普通のサラリーマンは休めない。いくら私でも休んだことはなかった。

そして首尾よく理解が得られ、退職することが決定した。同時に某大学の先生から杭州に行く計画を聞いていた。これしかない、これに乗ろう。そう決めて飛行機のチケットを予約した。

ところが3月11日、震災が襲ってきた。一時は退職自体が『こんな時期に』と反故になるのでは心配した。非常時には仕方がない、との気持ちもあったが、逆に皆からは『なんでこんな時期に辞めるんだ。もう少し様子を見たら。』と心配された。

震災後在日中国人の帰国ラッシュが始まった。ディスカウントチケットを予約していたが、発券期限が到来した。これまで4-5万円だった上海行きのチケットが正規料金の20万円に跳ね上がっていた。ここで予約を切ると永遠に行けないような気分になり、購入ボタンを押した。

結局震災の影響も少し収まり、退職した。問題は茶畑行き。以前龍井村に行ったことのある先生は『現地に着けば誰かがアレンジしてくれる』と言っていたが、大丈夫だろうか。昨年まで杭州に住んでいたOさんを思い出し、至急連絡を取る。

何人もの中国人を紹介してもらったが、誰が何をしてくれるかは全く分からない。現地で出たとこ勝負だ、と決めて上海に乗り込む。震災後2週間を過ぎた成田空港はガラガラだった。帰国ラッシュはとうに過ぎていた。何だこれは。震災の影響で成田空港の地下通路を通ったが、人は一人もいなかった。

上海で25年前の留学先の大学を訪問していると突然Oさんよりメールが来た。茶畑に連れて行ってくる人が見付かったという。そういえば、Oさんもこの大学に一緒に留学していた。やはりご縁は強い。そして翌日高速鉄道で杭州へ。

25年前に杭州に行った時、確か上海-杭州間は4時間以上掛かっていた。しかし今日、僅か57分。時代を感じる。

2.玉泉
それから2日間は行事があり、ようやくその日がやってきた。『朝9時に茶葉博物館集合』というメッセージがお茶畑への期待を高めた。朝も予定よりだいぶ早く目覚めた。地図で見ると宿泊先から博物館までは少し距離があるが、歩けなくもない。そして途中には玉泉という明泉の名前も見える。玉泉は虎跑泉、龍井と並ぶ杭州3大明泉の一つ。当然のように歩き出す。

昨日まで朝は少し肌寒かったが、この日は違った。実に爽やかなそよ風が西湖の湖面から吹いてきていた。柳も緩やかになびき、江南の春が感じられる。足取りも自然と軽くなる。少し道を登ると素晴らしい竹の林がある。植物園にたどり着くと、どうやらその中に玉泉がある。中に入ると池があり、その奥に山外山と言う名前の趣のあるレストランが見える。さらに奥に楼外楼という杭州の有名レストランに支店までがあった。そこを覗いていると老婆が手を天に向け、『上の眺めはいいぞ。歩いていけ。』と笑顔で教えてくれる。

玉泉はどこにあるか分からなかったが老婆の笑顔で山道を登り始めた。しかしこの道、結構きつかった。そしてどこまで登ればよいのか分からず、時間が気になり始める。老人が毎朝の日課だと言わんばかりに大音響のラジオを腰につけ、追い越して行った。残念ながら、頂上を諦め、蕭々と道を下る。下で老婆が呆れ顔で見送ってくれた。

木蓮の花が咲く場所に玉泉と言う名はあったが、何だか名前のみで、池のほとりにお茶屋があり、老人たちが昔ながらの姿で、お茶を飲み、語っていた。その池の水もそれほど綺麗ではなく、ちょっとがっかり。その隣の屋根のある部分では、集団で太極拳に励むグループがあり、よく見ると全員が老婆だった。毎朝同じ時間にここまで歩いてきて、同じようにお茶を飲み、太極拳に励む。健康法とは何か。ちょっと考えた。

それから博物館に向かい歩いた。地図で見るより実は遥かに遠かった。途中に村があり、そこでマントウを買い、朝ごはんとした。この村も観光客目当てに茶屋などやっている所が多い。茶畑の保護区もあり、いちめんに茶樹が見えるのは嬉しい。

3.龍井村へ
Yさんが運転する車でいざ龍井村へ。中国で車を運転することは結構危険。それでもお子さんが3人いるYさんは必要に迫られて、運転を覚えたと言う。確かに安全運転。

20分ほどで、龍井村に到着。車で狭い道を進んでいくと、そこは何だろうか、昔修学旅行で行ったどこから観光地を思わせる、まるでお寺の参道の両脇に土産物屋が並んでいるような光景。聞いてはいたが、うーん。

Yさんはそんなことにお構いなく車を進める。どこで停まるつもりだろうか。皆目見当がつかない。そして道がどん詰まりになった所で車は停まり、到着の声が掛かる。「老龍井」と書かれた門を潜る。入場料を払う。Yさんは駐車スペースの関係で係員と口論になっていて、もう少し戻った所に駐車したところ、今度はそこの前の店の人間から文句を言われている。普通なら堪らない所だが、Yさんは全く動じず言い返している。これは凄い。

何とか収まり、中へ。歩いていくと「龍井発祥の地」、「18本の茶樹」などの表記があり、ここが龍井茶の原点であることが分かる。実際に原木が囲いの中にある。その横を茶摘みに行くと思われるおばさん達が黙々と歩いて行く。いよいよそれらしくなってきた。

その奥には本当に斜面に茶畑が存在しており、茶摘みが行われていた。聞いてみると安徽省から来た出稼ぎのおばさん達だった。摘んだばかりの若芽を籠の中に入れて、斜面を下りてきた。よく見ると上の方で今も茶を摘んでいる人々が見える。うーん、これは素晴らしい光景だ。おばさん達が口を揃えて「今年は寒かったから、芽が出るのが遅い」と言う。

しかしその横をちょっと歩いていくと、下の方に温室のような建物が見えた。よくよく見ると何とレストランの一室。これには興ざめである。確かにこのロケーションであれば、高い料金が取れるのかもしれない。もしやすると政府幹部などを接待するためのものかもしれない。しかしこの場所には相応しくない。

それにしても今日はいい天気である。何とも言えない爽やかな風が吹き、花が咲き乱れる。これは私の日頃の行いの良さであろうか。老龍井と書かれた井戸があったが、水は出ていなかった。池のようになっており、中には小銭が投げられていた。うーん、ここも泉としては既に枯れたか。

一つの建物に入るとそこは茶葉販売と喫茶室。今年の最高級茶の値段を聞くと1斤、4500元との答えが返ってきた。それはここで採れる茶葉の値段らしい。思わず、高い、と唸り、身を引いてしまう。売り場のお姐さんも私の貧弱な様子を見てか、特に勧める風もない。帰り道、道の脇で摘んだばかりの茶葉を天日干しする農夫がいた。いいお茶かも知れないが、そこまで値段が高いのだろうか、決して彼が悪いわけではないが、その姿が恨めしい。




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