スリランカ お坊さんと行く紅茶畑の旅2012(5)ウバ 世界の三大紅茶の今

ペドロ茶工場

8時半過ぎにはスマが来て、出発を告げる。どうやらここに連泊することはない。荷物を纏めて下へ。品の良いお婆さんがスマと話したいらしく、お茶を勧める。私にはコーヒーが振舞われたが、紅茶の方が良かったな。贅沢か。お婆さんの娘たち?もやって来て、スマの足に跪く。

車が出ると直ぐに湖が見える。向こう側に茶畑が見えたので、行って見ることになる。湖を回り、丘へ車を入れると、そこにはかなり原木に近いと思われる茶樹が植えられていた。木々の間もある程度間隔が取られており、かなり余裕のある茶畑だ。直ぐ近くには労働者であるタミル人の集落があり、覗いてみると決して豊かではない生活が見えた。

ここのタミル人は英国時代に南インド(恐らくは茶畑)から連れてこられた人々で、ずっと茶畑で重労働をしている。内戦をしていた北のタミル人とはカーストが違うと言い、シンハリ人ともフレンドリーだと。シンハリ人はイギリスの支配下で働くのを嫌がり、タミル人が来たという歴史を聞く。集落にはヒンズー教の寺院が見え、従順ながら自己の宗教を守って生きているタミル人を見直した。

この茶園の話が聞きたくて、茶工場へ向かうがかなりの悪路であった。後で分かることには街から普通の道路で来れば簡単だったようだが、それだけタミル人の人々の苦労が見えた。ペドロと言う名前の茶工場が見える。

この建物は1940年の再建だそうだが、会社は1885年に出来、茶樹はあのジェームス・テイラーが1867年に中国から(?)持ち込んだという茶樹だそうだ。現在茶摘みの女性は800人、それ以外に工場労働者、オフィスワーカーが500人の大工場。創立時はイギリス人の所有だったが、その後スリランカ人の手に渡り、現在は複数の株主が存在している。

この工場見学ではエプロンをして、帽子を被らされた。スマは不要。案内に立った女性はきびきびと、そして丁寧に説明していく。紅茶製造プロセスは昨日から4回目の説明で流石に頭に入っていたが、もう一度聞いてみる気になる説明だった。特に1885年当初は中国産茶葉をそのまま使っていたが、徐々に生産が拡大されるに伴い、リプトンなどの有名メーカーがコロンボのオークションで競り落とした後、ティバッグなどにするため、CTCを好んだことなど、初めて聞いた。コロンボでブレンド後輸出されているという。

見晴らしの良いティールームでお茶を頂く。かなり薄めのお茶は日本人好みではないか。小中学生が見学で入って来た。郷土の名産品を頭に入れるにはよい場所であろう。

5.   ウバ   静かなランチ

昨日ウバの場所を尋ねたことから、スマはウバへ行こうという。ところがガイドブックにもウバという地名は見当たらない。取り敢えず車は進む。途中の何もない場所に一軒ポツンとレストランがあった。スマが何かテイクアウトして、車中で食べようと立ち寄る。

店に入ると、向こう側のドアから外に出られた。実にいい景色がそこにあり、静かで穏やか。気にいってしまい、ここで食べることに。雨が降りそうで降らない。いい風が吹き抜けて来て、気持ちが弾む。

食事はチャーハンにカレーやサラダなどを乗せて食べる。しかしこのチャーハン、中国風となっているが、誰が中国から持ち込んだのだろうか。中国人が中国料理屋を沢山開いているとの話もない。不思議だ。実際問題、このチャーハンは米の違いもあり、中国の物とはかなり違う。更にはカレーを掛けるのだから、どうみてもスリランカ風。

デザートは断ったが、ここはイチゴの産地らしい。それもJICAのプロジェクトでこの辺にイチゴ栽培を広めたという。それなら食べてみてもよかったのだが、後の祭り。この店ではお坊さんには敬意を表して料金は取らないとのことで、非常に安いランチとなった。

ウバ紅茶

ヌワラエリアから、ウェリマダを抜け、バンダーラベェラへ行く。この街は何故か人通りが非常に多く、賑やかだ。街の真ん中には仏像を備えた時計台があり、また鉄道の駅が見えた。

そこからかなり進むとようやく茶畑が見えてきた。更に行くとハープターレという茶工場も見える。ここがウバ茶の産地なのか。スマが茶を飲もうという。茶工場へ行くのかと思うと、そうではなく、Rest Houseと書かれた場所へ上がる。ここからの眺めもまたよい。

紅茶が運ばれてきたが、何とミルクティ。ウバ茶はミルクティで飲むのかとウエーターに聞くとスマが「私が頼んだのでミルクティになった」と説明。このミルクティがスマにはかなり上等と映ったようだが、私にはミルクの味が勝ちすぎて、うーん。仕方なくストレートティも頼む。聞いていた通りメンソールの感じ。これはダージリンにも有った味だと思う。

「実は道を間違えた。本当はバドゥッラという場所へ行くはずだった」とスマ。でもそれでとても美味しいお茶にありつけたのだからよい、とお互いに思う。そしてまた元来た道をバンダーラベェラへ引き返す。鉄道の線路も並行して走っていた。もしやと思い聞いてみるとやはり茶葉を運ぶためにイギリスが作った鉄道だった。これはダージリンと全く同じ。

バンダーラベェラまで戻ると駅へ寄ってもらった。茶葉に関係あると聞き、写真に納めた。今では一日に数本が走るだけの小さな駅だが、往時は茶葉輸送の拠点として栄えただろう。そもそも鉄道が敷かれたことで、この地へ移住してきた人もいただろう。元々は深い森だったのだから。

ウバ茶工場で

今度はバンダーラベェラからバドゥッラへ道を取る。途中にまた茶畑が見える。だが一部は茶畑を潰して、家を建てたり、農地にしたり、荒れ地となった所もある。かなり急な斜面である。ここもウバ茶の産地だと聞き驚く。

Halpewatteと書かれた一軒の茶工場の看板があったので、行って見る。ところがこれが急な坂の連続で難所。よくもまあこんな所に工場を建てたなという感じだ。相当に上り、景色も少し靄がかかった山々が望める素晴らしい所に工場はあった。ちょうど雨も降りだした。雨宿りの雰囲気だ。

スマが案内を乞うと、男性が説明を始めた。この工場は1971年に出来た新しい工場であり、だからこそこんな山道の上に作ることが出来たという。「山の上に工場を作らないと新鮮な空気が入らない。この空気が茶葉の味に大きな影響がある」と説明された。成程。

この地方の特徴は乾季には全く雨が降らないこと。6-9月は殆ど降水量が無く、その間に茶葉は諸成分を内包する。この条件がウバ茶のメンソール感を出し、特にイギリス人に好まれてきた。

しかし近年スリランカの茶葉生産量は横ばいか減少に転じている。輸出量世界一を誇っていたが、インドや中国、そしてケニアやベトナムが急追してきており、大きな転換期に来ている。中東のスリランカ紅茶購入の減少、ヨーロッパの不景気など色々と要因はある。

またスリランカ自体の問題として、茶葉の値段が上がらない、賃金も左程上がらない、茶農家を止める所も出て来ており、栽培面積も減少傾向にある。本当に良い一部のウバ茶にはかなりの高値が付くが、その後ブレンドされてしまうなど、その良さが理解されているのかも懸念材料。スリランカ茶の将来は決して明るくないと、男性は嘆く。

この工場は後発の為自前の農園も少なく、近隣の茶農家から茶葉を買い入れているため、特に影響が大きいのだろう。美味しい物を作るだけでは、成長しない難しい産業形態であるとも言える。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です