ダージリンお茶散歩2011(11)シリグリネパール人経営者の話

6.シリグリ  ホテル探し


市場付近は人ごみが凄かった。それでも今日の宿を確保しなければならない。重い荷物を引き摺って、歩き始める。先ずはバスの切符売り場、旅行社と書かれているので何か手がかりがあるかと思うが、そんなホテルは知らないと断られ、代わりのホテルを紹介してくれもしない。不思議だ。





陽が西に傾いている。急がないと途方に暮れるかも、いや既に当方に暮れていたかもしれない。道沿いに少し歩いて2-3聞いてみると、ある人がここを真っ直ぐ1㎞行くとそのホテルがある、と言う。感謝して歩いて行ったが、どこにもなかった。もうその頃にはシャングリラホテルは夢となり、現実的に泊まれそうなホテルを探し始める。

大きな道沿いはかなり煩そうだったし、きれいなホテルも見当たらない。どうしようか見ると、こぎれいなレストランが目に入る。そこの後ろがホテルだった。が、しかしそのホテルはかなり汚かった。それでも800rpもするというので、部屋を見たが辞めた。疲れが出始めた。シェアタクシー修行4時間半もあり、もうあまり気力はない。ふらふらと歩いて行くと、そのすぐ先にこぎれいなホテルが見えた。看板に三つ星ホテルと書いている。

中に入るとロビーが実に立派で、クーラーも効いていて、ここだ、と思ってしまう。料金は1600rpで朝食はおまけしてもらった。部屋はそれどよくないが、お湯のシャワーもでると言う。Wifiが故障中とかで、使えないが、夜はモデムを貸してくれるとも言う。インドもサービス精神が出てきなと感じ、ここに泊まる。

今のインドのようなホテル

お湯のシャワーは快適だったが、トイレまでびしょ濡れとなった。やはりハード面でもまだまだ改良が必要だ。それでも気分は爽快となり、夕飯を探しに行く。先ずは売店でコーラ、25rpを買い、飲みながら歩く。インドでも無性にコーラが飲みたくなるのは何故か。ダージリンやシッキムの涼しい気候から一転、都市型の暑い気候はちょっと息苦しい。

大きな道沿いに屋台が1つ出ていた。バスを待ちながら、オジサンが美味そうにモモ(餃子)を食べていた。私も一つ頼む。熱々だ。中の肉は山羊だという。この辺では普通らしい。隣のおばさんがチャウメンを食べていた。これも鉄板でジューッと音を立てたので、思わず注文。相変わらず美味いが、ここのチャウメンには独特のソース(たれ?)掛かっていた。

食後は暗くなったのでホテルに戻り、ネットモデムを借りて、メール処理などを行う。このホテル、外見はきれいだが、中身はぼろぼろだと分かる。電気は着かない所が多く、テレビはあっても映りは悪い。ベットもお粗末で、硬い。恐らくは古いホテルを最近誰かが買い取り、改装したのだろう。これもいい経験だった。

10月17日(月)
翌朝は早く起きてしまい、散歩に出る。このシリグリと言う街は、交通の要所ではあるが、特に見るべきところもないようだ。ただ街をふら付く。シリグリ郊外の総合開発区のコマーシャルが目に入る。工業園区と住宅の複合だが、これは中国などでも大連などでよく見られたコンセプト。中国の90年代初頭の雰囲気がある。

兎に角街は古ぼけており、発展は感じられない。それでも無理やり開発されていくのだろう。ただ中国などと違い、そのスピードはゆっくりだ。5年後に来れば相応の変化はあるだろうが、中国のように全てが一変してしまうような光景は想像でいない。

朝食はホテルで。きれいなレストランがある。お客は私しかいないので、ボーイも気を使ってパンなど焼いてくれる。それでもあのダージリン地区の優雅な朝食と比べるとかなり見劣りする。食事は料理も大事だが、雰囲気も大いに大事。

シリグリ空港での再会

シリグリからバグドグラまでは車で30分ぐらいと聞いていた。リキシャーを頼めば300rpで行くらしい。それにしても昨日の修行タクシーが4時間半で150rp、リキシャーの料金から見て大分時間が掛かるのだろう。ホテルのフロントでは1時半のフライトなら12時に出ても間に合うと言ったが、インドでは何が起こるか分からない。その際、一人では解決できる自信が無い。11時には出発した。

リキシャーに乗り込むと、周囲が良く見える。街の郊外には大型デパートも出来ており、私が歩いた旧市内以外に街が発展していた。やはりちょっと歩いたぐらいでは、分からないことが多い。

空港には僅か20分で着いてしまった。これで300rpは高い、と思ったが、どうやら定額料金らしい。出発までかなり時間があったが、兎に角インドの空港では過去にも苦い経験がある。手続きは早くしてしまおうと考える。

国内線なので出国審査はないが、荷物検査は相変わらず厳重である。長い列が出来ていた。このバグドグラ空港でも飛行機は頻繁に離発着していた。やはりインドも空の時代に入っている。その列の一番後ろに並んだところ・・・。

前の人が振り返る。何とそれは昨日シェアタクシーで会ったネパール人ではないか。彼も驚いている。聞けば昨日はシリグリに泊まり、今日デリーで行く。デリーで商売をした後、カトマンズへ戻るらしい。彼はシャツなどを作る繊維会社を経営していた。90年代初めには日本企業との取引が多かったが、その後韓国へ移り、そして中国へ。現在では中国語は話せるし、中国携帯も持っている。

中国より原料を仕入れ、カトマンズで商品を作成していたが、昨今の政情不安で工場をシッキムへ移すことを検討している。その為にシェアタクシーに乗っていたのだ。因みに中国の人件費上昇による影響ももろに受けている。価格は上昇し、また中国人の横暴な商売にも悩んでいる。中国人が入れない街、シッキムへの投資は単に優遇措置だけで決めるわけではないようだ。

そんなことを話していると彼の出発時間となり別れた。彼とは実に偶然の出会いであったが、それは誰かが私のシェアタクシーでの修行の見返りに彼を派遣してくれたようだ。

そして私も搭乗した。何事もなく、コルカタへ戻る。



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