ダージリンお茶散歩2011(8)カリンポン 優雅なホテルと肉まん

4.カリンポン Silk Road

鉄橋を越えて河を渡る。坂を上り、一路カリンポンへ。途中で運転手が「ちょっと寄って行かないか」という。どこへ行くのか、興味あり。そして細い道へ入ると門が。Central Silk Roadと書かれている。しかもその下にはインド政府繊維省とあるから、これは政府の研究所ではないか。

正直尻込みした。運転手はどんどん入って行ったが守衛に止められる。それはそうだろう。押し問答の末、何故か守衛が押し切られ、中へ入る。建物の中は暗かったが、一つの部屋に入るとインド人女性が座っていた。彼女がマネージャー(所長)だった。

運転手は私をマネージャーの前に座らせて、出て行ってしまう。一瞬どうしてよいか分からない。何を話せばよいのか。仕方なく、日本人であること、カリンポンに行く途中であること、などを告げる。彼女は大きく頷き、この施設の説明を始める。

インドの繊維産業の歴史は古い。またこのカンリンポンと言う土地の歴史も古く、歴史的にはここを通ってチベットへ物資が運ばれ、インド繊維も運ばれていった。しかしイギリスの産業革命以降、インドは市場を奪われ、繊維業は衰退した。独立後、再度繊維を復活させるべく、このような研究所がいくつか作られ、ここカンリンポンにも出来た。蚕を飼うのに適した地である。

彼女は昨年ここに赴任、家族と離れてこの研究所の敷地内で暮らしている。他のスタッフも女性が多いようで、インド政府の女性登用が見て取れる。展示場に案内され、一通り説明を受けるが、蚕の成長など、もう忘れてしまったことが多く、何も質問できない自分が悲しい。

ランチは肉まん

カリンポンの街に入る。相当の傾斜地に街がある。車はその街を抜け、更に上へあがる。どんどん上がる。そして1軒のホテルに入る。何だか素晴らしいロッジ。ここなのだろうか。なかなか雰囲気が良い。などと思っていると、間違いだったらしい。今度は来た道をどんどん下る。

そして街を抜けた所に戻り、1軒のホテルを見付ける。ここはお屋敷風で実に雰囲気が良い。車が停まり、中へ進むと確かにお屋敷がある。その手前の事務所で予約を確認すると確かにある。部屋に案内されると、そこはもう避暑地の別荘。これはいい。と言いながら、早々に乾いていない洗濯物を取り出してベランダに掛けるのだから、風情も何もありゃしない。

兎に角腹が減ったということで、運転手と二人、街へ繰り出す。マカイバリのラジャ氏から「カリンポンに行ったら、肉まんを食え、日本人は大好きだぞ」と言われていたので、リクエストしてみる。運転手は分かったという顔でどんどん進み、一軒のレストランに入る。

そこは結構混んでいたが、何とか席を見付けて座る。メニューを見るとインド系もあるが、明らかに中華系もある。でも店主はどう見てもインド系。これは何だろう。兎に角肉まんと焼きそばを頼んでみる。チベット料理でモモと言えば、小龍包のような食べ物だが、出て来た物を見てビックリ。確かに日本の肉まんと同じ形が4つ皿に載って来た。食べてみると味も全く一緒。これはもう日本である。

焼きそばは中華風。そしてワンタンスープも中華風。基本的にカリンポンは中国とインドの接点だったということであろうか。中国人が中華料理屋をやっているのではない。インド人がインド・中華料理屋をやっているのである。それだけでもこの地の位置が分かる。

ゴンパへの長い道のり

ランチ後、山の上にゴンパがあると言うので行って見る。運転手もすることが無いと言うので同行。20分ほど歩けばつくと言うが。街中はダージリン同様車がクラクションを鳴らし、うるさい。特に道が狭いため、車と人が殺到する。早く抜け出したい。

しばらく行くと学校帰りの学生ばかりとなり静か。周囲は狭い上り道だが、不思議と家の新築を行っている所が多い。どこからそんな資金が来るのだろうか。一部は外部の人間がここに別荘として建てていると言うが、道沿いに別荘?一際立派な4階建ての家があった。国境難民などを収容するために建てられたらしい。政府や国際的な団体の支援があると言うが、こんなに立派なのだろうか。

更に歩いて行くが一向に到着する気配がない。坂はどんどんきつくなる。途中に立派なお屋敷があった。モーガンハウスというらしい。昔はイギリス人の別荘だったが、今ではインド軍の別荘らしい。一般人は立ち入りできない。

イギリスと言えば、ゴルフ場もあった。道の左側の斜面を使ったコースで、フェアウエーは狭く、スライスは崖から落ちる。かなり難易度は高そう。インド軍の将校と思われる人々がプレーしていた。霧も掛かっており、良く見えなかったが、如何にも鍛えている、と言った感じでプレーしていた。

イギリスは避暑地に必ずゴルフ場を作る。これは徹底して行われた植民地政策で感心する。こんな山の中に行ったどれだけの労力を投入したのか、考えるだけでも頭が痛くなる。

1時間経ってもまだ到着しない。いい加減疲れたが、運転手と話しながら歩く。話題はこの地の職業事情。基本的に仕事が無いので嫁が取れないという。運転手などは季節労働者であり、収入が不安定で困る。仕事が無ければ出稼ぎに行くか、軍隊に入るか、のどどちらかしかない。彼はそのどちらも嫌で、運転している。結婚できたとしても、その後収入が不安定になる、出稼ぎで長期間留守にすることにより、不仲となる。離婚率は30%にもなるという。これは個人の問題ではなく、社会問題であるが、政府も含めて有効な手立てはない。

宗教についても考えさせられる。仏教の僧侶は近年とみに金銭欲が高まっており、何かをお願いするのに全てお金を要求される。仏教への信仰心が薄れてきている。一方キリスト教はこの機会に信者を増やそうとしている。特に学校を建てて信者の子供の学費を優遇するなど、こちらも実利に訴えている。クリスチャンへの改宗者が後を絶たない。それでよいのだろうか。

結局坂道を2時間近くも上り、ようやくゴンパへ着いた。既に疲れて果てていたが、折角なので一通り見学する。インドのラダックでも見た、あの厳かなゴンパがそこにあった。そして中では経が唱えられており、日本の仏教界のような堕落は感じられない。ただ何となく、張り詰めたものが無い、という印象はあるが。

帰りは下りであり、相当のスピードで進んだ。途中で古いミシンを使って縫製をしている所があり、ゴルフ場では水を買ったりしながら、1時間ちょっとでホテルに辿りついた。

厳かな夕食

ホテルに着くとへとへとに疲れていた。そこへホテル従業員が「夕食はどうなさいますか」と聞いてきた。普通であれば街へ出て安くて美味しい物を探すのだが、その気力が無い。それにこのお屋敷ホテルで食べてみたい気がした。従業員は「何になさいますか」と又聞いてきた。レストランに行って適当に頼むのではなく、予め頼んでおくらしい。とっさにスープとサンドイッチと答える。今夜はこれで十分だろう。

事務所に寄り、ネットの有無を尋ねる。この事務所内でのみ、使用可能。それはそうだろう、19世紀のお屋敷でインターネットは似合わない。ちょうどフランス人が使っていたので、後で来ると告げると「事務所は8時までです」と言う。そして何と、朝も8時からだという。私は明日8時前にはチェックアウトを予定していると告げると、この時点で精算が始まる。それもあって食事のオーダーを先に取ったのかもしれない。

夕食のスープとサンドイッチは一体いくらするのか。ちょっと緊張した。ここでは相当高いだろうと。ところが、出て来た答えは125rp。僅か日本で250円である。さてどんなものが出て来るのか。

部屋で少し寝て、午後7時ごろ、レストランへ向かう。場所は母屋。非常に優雅な建物だ。中に入るとそこは映画で見たような貴族の屋敷であり、広いダイニングがある。向こうの方で食前酒を飲みながら歓談する西洋人、絵になるな。食事はコースメニューが基本のようで、しかも値段は300rp。私もこれにすればよかったと悔やむが後の祭り。

私は簡単な食事なのでテーブルでなく、ソファーに腰かけて取る。給仕が実に恭しく、スープを運ぶ。口に入れると何とも言えない濃厚な味わい。あー美味い。何十年に渡って作くられてきたもののようだ。サンドイッチも美味。量は少量であり、食欲が出てしまったが、ここは貴族のように何事も言わずに退散。





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