中国鉄道縦断の旅2015(12)ついに終着駅北京へ

タクシーで大盛魅へ向かう。私は昨年も来ているのだが、念のため万里茶路関連ということで再訪した。相変わらずほとんどの建物が閉まっており、人はいない。昨年は入れた裏の四合院も、住人が変わり、開発されてしまうのか、門前払いを食った。山西商人の頭目、大盛魅については、一つとして知ることができないのは何とも残念だった。

 

仕方なく歩いて、古い寺に行く。更にはアラタン像を見学するに留まった。回族が多く住むあたりも歩いて見たが、特に何も見つからない。Nさんは昨日のリベンジで稍麦の取材を始めたが、付近が電気工事でいつになっても稍麦は出来なかった。我々はタクシーで内モンゴル大学へ向かい、Nさんは写真を撮り次第合流ということになった。

 

 

タクシーの運転手は我々が日本語を話しているのを聞いて、興味を持ってきた。友達に日本語ができるのがいると言って、わざわざ電話した。だが相手は殆ど日本語を話さない。何かはったりでも話でもしたのだろうか。内モンゴルの、特にモンゴル族の日本への留学は格段に多いと聞くがどうなんだろうか。

 

内モンゴル大学でN教授と食事をした。S氏の希望で内モンゴル料理を食べる。干し肉会菜や干し春雨など、その多くは保存食だった。モンゴルの草原ではこれが生活上、当たり前のことだったのだろう。蒸し・焼ボーズ、焼きうどんなども出てくる。内モンゴルにおける モンゴル族の割合はわずか17%。民族色は徐々に失われていく。

 

 

今回の旅で湖北省の羊楼洞へ行ったとN教授に話したところ、いつもは至って冷静な彼が、『趙李橋には是非一度は行ってみたい』と興奮気味に話しだしたので驚いた。趙李橋ではモンゴル族が日常的に飲んでいる青せん茶を作っている。子供の頃から常に見ていた地名に思いを馳せる、内モンゴルならではだが、一部にはお茶中毒も心配されている。

 

内モンゴルでは現在、服や食料など、モンゴル商品が人気となっているらしい。これも漢族化への無言の抵抗なのだろうか。ただお茶については、作られるところが限られるので、どうしても湖北省の茶を飲むことになる。これは一種の呪縛だろうか。若者は段々お茶を飲まなくなってきているだろうか。

 

ホテルに戻る。午後2時にチェックアウトすればよいと言われたので、ギリギリに戻ったのだが、部屋のドアは開かなかった。サービスで2時まで延長OKでも、システムは12時で締め切るので、それ以降は一度フロントへ行き、手続きを経て再度部屋を開ける仕組みだ。何とも面倒だが、日本のように融通が効かないのとは一長一短か。

 

北京へ

呼和浩特駅はホテルのすぐ横だったが、全ては早めに動くというS氏のポリシーに従う。『早く着く分には問題はないが、乗り遅れた時の代償は大きい』というのには、私も大いに賛成だから素直に従う。そうでなくても、何かが起こる中国、早くいった方がよい。すると いつもは15分ぐらい前にならないと改札しないのが今日は早めに開いた。だが日差しがあっても相当寒いホームに放り出された感はある。しかも停車位置がわからずウロウロした。

 

15:24呼和浩特発のこの列車は恐らく北京に着く一番早い列車。僅か6時間で着くので、寝る必要もないは、何とも気楽だ。食事の心配をする必要もない。今回の列車の旅、正直かなり疲れていたので、有り難い。満員の乗客を乗せて発車。雪の高原に落ちる夕日をじっと眺めて過ごす。

 

この列車の乗客はこんなこと言うとなんだが、これまでの人々より何となく上品だった。隣のおじさんは、ウルムチの農業銀行に勤めているようで、呼和浩特での仕事が終わり飛行機に乗ろうとしたが満席でこの列車に乗ったという。日本の農業に非常に関心を持っており、専門的な質問をされたが答えられない。しかも既に作家デビューしているらしい。私より3つ上の58年生まれ。新疆在住は既に30年に及び、退職後は本格的に作家の道を歩むらしい。趣味は寒中水泳というから驚く。

 

暗くなった頃、土産物売りがやって来たが、ちゃんと制服を着た職員であるらしい。ただ彼女のさわやかな弁舌、巧みな商品の出し方などは、何となく寅さんを彷彿とさせるものがある。乗客も皆暇なので、色々と合いの手を入れて楽しい。今や高速鉄道では見られない、こんな光景ももうすぐ消えていくのだろう。

 

9. 北京
北京の夜

21:39、列車は北京駅に滑り込む。既にホテルは予約されていたが、真っすぐそこには行かない。今回の列車の旅はここで一旦終了となるが、既に次回の構想が頭を過る。北京からモンゴル経由でロシアまで。取り敢えず北京からモンゴル国境の二連行き列車について質問するも要領を得ない。不安が過る。

 

3人でこの時間帯ならタクシーだろうとはならないのもこの旅。地下鉄へ向かう。以前はどこまで行っても2元だった料金が改定されており、しかも自販機もないので切符を買うのも大変だ。三元橋までは4元だった。2号線から1駅で1号線に乗り換え、また2駅で10号線に。とても面倒だった。

 

亮馬橋駅で降りて徒歩10分。以前も泊まったチェーン店、如家に落ち着く。北京では歩き回っても安いホテルは取れないというS氏の経験により私が予約した。ここなら三元橋から一本で北京空港へ行けるので便利だった。1部屋209元、2部屋を取り、私はまた一人部屋となる。

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