福建・広東 大茶旅2016(12)広州の史跡

1015日(土)
広州の史跡

翌朝は広州の茶文化促進会の案内で、茶葉貿易の歴史的な場所を訪ねることになっていた。宿まで迎えに来てくれるというので、その前に朝ご飯を探しに行く。宿の近所には実はそれほどたくさんの食堂はなかった。仕方なく、包子を買って、持って帰って食べた。11.5元だから経済的ではある。

 

張さんが車で迎えに来てくれた。紹介された会長の黄さんは出張中とのことで、今日は彼女が相手をしてくれた。彼女は茶貿易の歴史に詳しかった。どこへ行くのかと思っていると、旧市内中心部、文化公園という場所だった。ここは何か関係あるのかと聞くと『この付近は昔広東十三行が店を開いていた場所だ』というのだ。そして今月1日にオープンしたばかりの広州十三行博物館に連れて行ってくれた。

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広東十三行、または広州十三行。それは歴史の授業で出てきた名前だ。清代、広州で貿易を管理するシステムであり、貨物の集散、関税の徴収などを行う指定業者、仲買商である。十三と言っても十三の業者や団体を指すわけではない。1757年に対外貿易が広東だけに制限され、外国企業に対する仲介機能を独占することで巨万の富を得た。だが、アヘンの扱いが多くなり、アヘン戦争前後に正規の取り扱が出来なくなると衰退していった。そんなことが展示物から読み取れる。

 

ここにはマカオの南湾が往時どんな様子だったか、そして地図には香港は書かれていないが、長州島は既に重要拠点として描かれているなど、興味深い内容が含まれていた。1856年には第2次アヘン戦争により、この付近は全て焼けてしまったことも分った。広東十三行は約100年間、隆盛を誇ったが、アヘン戦争で滅亡したことがわかる。だからこの付近には当時の建物は全く残っていないという。

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昼ごはんは飲茶。だがTさんが期待したような伝統的な庭園ではなく、普通のレストラン。広い店舗内はお客さんで一杯。お茶は紅茶を頼むと何も言わずに英徳の英紅9号が出てきた。広東省の紅茶だからだろうか。各テーブルには茶器が置かれており、勝手に淹れる。やはり広州で食べる点心は美味しいのだが、料金もどんどん上がっている。

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午後は黄埔古港を訪ねる。ここは旧市街からかなり離れている。先ほどの博物館で見ると、外国船の入港を手前で制限していたことによると思われる。まあペリーが浦賀に来ても、東京湾までは入れない、という感じだろうか。渋滞もあり、川沿いを約1時間近くかかって、目的地に到着。

 

高層ビル群を抜けて来た、その先には、古き良き広州が少し残っていた。道の両側に懐かしいような店が連なり、野菜やら鶏やらを売っている。ここはちょっとした観光地ではあるが、観光客向けなのか、地元民用なのか、判断に迷うような品ぞろえであった。恐らくはこういう雰囲気を残した観光地なのだろう。

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古港遺跡、博物館がある。スゥエーデンのことが多く展示されているのは、ここに寄港した船が沈没するという事故があったかららしい。往時福建から広州に運ばれたものの中に『紅茶』という表現があり、江蘇、浙江、江西などの茶葉は『緑茶』と表記されているのが面白い。やはり福建は紅茶の産地だったということか。1830年代、茶葉は全輸出の3分の2を占めていた。そしてアヘンの輸入も50%を超えていた。

 

古港遺蹟、という石碑がある場所まで行く。往時はここまで外国船が入ってきて、茶葉を積み込んだのだろう。だが、それにしてはあまりにも狭い空間だ。こんなところに大型船が来たのだろうか。それとも当時は小さな船で世界を渡って行ったのだろうか。今は観光船が渡し船のように運行されているだけ。なぜか犬がペットボトルを咥えて泳いでいる。小学生が団体で何かしている。

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それからこの付近を散策したが、ここでも昔の道や建物を改修して、観光地化しようとしていた。残念だが、中国ではどこの街でも同じような改修が行われていて個性がない。廟があったが、まるで公園のように、皆が憩っていた。どこかの従業員が商売繁盛を祈願しに来ているのが、滑稽だった。

 

そして最後に向かったのは南海神廟という場所だった。南海というから、隣の南海市にあるのかと思ったら、南の海という意味で広州の海が開かれるとき、ここに廟を建て、安全を祈願したらしい。だがその眼の前には、何と発電所が建っていた。神をも恐れぬ仕業、さすが今の中国は違う。

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宋、元、明、清の4代に渡り、王朝が変わるごとに、皇帝がここに特使を派遣して、石碑が建てられたというからすごい。こんな南の果ての廟をなぜこれほど大切にしたのだろうか。そして今は、なぜお参りする人もなく、冷遇されているのだろうか。案内してくれた張さんも『この廟の大切さを知ってほしい』と連れてきてくれた。茶葉貿易の時代、ここに商人はお参りに来たのだろうか。関帝廟もあるからきっと沢山の商人で栄えたことだろう。

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広州市内に戻る間に、あたりは暗くなった。Tさんは橋の夜景を撮ると言って降りていく。私も沙面の租界を見ておこうと車を降りた。だが8年前に行ったことがある沙面への行き方が全く分からずに、道に迷う。ようやくたどり着いたが、意外と暗くて、古い建物の写真もうまく撮れずに、そのまま宿へ帰った。

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