福建・広東 大茶旅2016(11)マカオから広州へ

1014日(金)
マカオ散策

翌朝も体調は回復しなかったが、Tさんに同行して、マカオ散策に出た。今回ここに来た理由、それは茶葉貿易の跡を巡るものだったので、マカオにあった東インド会社の建物を目指す。それはカモンエス公園のところにあるのを知っていたので歩いて向かう。途中に英記茶荘がある。この付近はとても雰囲気がよい。茶室があり、飲茶を食べている人々がいる。体調がよければ食べたかった。

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東方基金会、そこは東インド会社のオフィスだった場所。中に入れないのかと思ったが、今日はキャノンの展示会があると書いてある。だがまだマネージャーが来ていないというので、建物のドアには鍵が掛かっていた。きれいに整備された庭のみを見学する。建物も改修されているのか、きれいに見える。

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その横にはプロテスタント墓地がある。モリソンチャペルが見える。ロバートモリソン、プロテスタント初の宣教師としてこちらに赴き、聖書を中国語訳した人物。この墓地も彼が奥さんのために作ったと書かれている。中国への道、当時は開かれたばかりの香港ではなく、マカオが拠点だったことが窺われる。

 

その墓地を眺めていると、モリソン一家や画家のチネリーなどの墓が見られる。そしてやはりアヘン戦争で亡くなった人々が葬られていた。この辺が歴史に大きくかかわってくる。更には不思議な墓標に出くわした。東インド会社日本、と書かれている。これは一体なんだろうか。あとで教えてもらったところでは、何とここに葬られていたのはペリー艦隊の乗組員だったのだ。確かに1853年という表記がある。これはアメリカ東インド艦隊を意味しているのだろうか。この人は浦賀まで行ったのだろうか。

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マカオの重要性を確認した。もう一度東方基金会が開くのを待つというTさんとここで別れた。聖ポール天主堂跡の横を通り、セナド広場を抜けて、マカオタワーの方へ向かう。このあたり、南湾が昔の輸出港だったと聞いていたが、今やそれを示すものは何も見られない。疲れてしまったので途中でバスに乗ると、宿の近くまで連れて行ってくれたので、そのまま部屋で休む。

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12時になると、しっかりドアがノックされ、チェックアウトを促される。さすが香港・マカオの合理性だ。特に行くところもないので、ふらふら歩いて、大好きなホートン図書館の裏で休む。ここはいつもいい風が吹いており、人は少ない。ネットも出来て、水も飲める。憩いの場、とはここのことだ。

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それから宿の方に戻る途中、粥屋があったので、恐る恐る食べてみる。何ともないので、体調はかなり回復したと言えそうだ。Tさんと合流して、宿で荷物を取り、中国との境界へ向かう。実はこの宿を選んだ理由は、中国側へ渡るのに便利なフェリーが対岸まで通っているからだったのだが、昨日調べてみると、何と運休していた。これは痛い。仕方なく、バスに乗り、境界まで進む。

 

数年前まで、何度か通ったこの境。毎回延々大行列に見舞われ、優に2時間はかかっていた。それが今回はどうだろうか。人が少ない。マカオ側の出境は簡単に済み、中国側も外国人が通れるゲートが2つしかなく、列があったが、中東系の慣れたバイヤーなどがおり、スイスイ抜けていく。中国人ゲートは閑散としていた。これが今のマカオの現状だろう。景気が良い訳がない。

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珠海にあっという間、に感じられるほどの時間で出てきた。前回はここからバスに乗って広州に向かったが、今は高速鉄道が走っているという。その駅を探すとなんと境界の横にあり、便利。Tさんが切符を買いに行ってくれたが、3時間後まで席がないという。昔は境界を越える時間が読めなかったが、今は列車の予約が可能ということだろう。我々外国人は予約しても自販機では切符が取れない、窓口に並ぶ必要があるという難点があるのだが、ここにはパスポートで取れる機械が1台ある。次回ここを通る時は予約して来よう。

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1時間後、無座の切符を持って列車に乗り込んだ。車両が短いのか、席が少ない。立っていく人が沢山いた。我々は自分の荷物の上に座り、何となく時間が過ぎていく。僅か1時間で広州南駅に到着した。バスなら3時間ぐらいかかっていたから、これもまた楽になっている。

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6. 広州
宿を探す

今回広州でも知り合いに頼んでお茶関係者を紹介してもらっていた。その人が宿を予約してくれていたので、それに従って地下鉄で向かう。宿はいつもの旧市街地ではなく、何と芳村だった。ここには巨大な茶葉市場はあるので、そのためにここが予約されたのかと思った。芳村の駅を出ると真っ暗だった。地下鉄というのは地上へ出てから、どちらの方向へ行けばよいか分らない。

 

何人かに聞いて、結局タクシーに乗った。だがタクシーは1㎞ちょっと行くとUターンした。そこにITパークのようなところがある。その中へ入って欲しいといったが運転手は無視して先へ進んでしまう。結局そこに入らなければいけないと分かったがもう戻れず、荷物を引いて、戻っていく。そしてその敷地内でホテルを探す。暗い中、何とか見つけてチェックインした。

 

夕飯を食べていなかったので、横のレストランで食事をした。だが食の広州、と言われるこの地で、珍しいぐらいまずいチャーハンを食べてしまった。広州も変化しているのだろうか。体調がまた悪くなるのかと心配になる。そのレストランを抜けて外へ出ると、川沿いに出る。それほど明るくはないが夜景が見えた。後ろを振り返ると、古びた洋館のようなものがある。その向こうには倉庫のようなものも見える。この辺が茶葉製造拠点、輸出拠点だったのだろうか。にわかに興味を持つ。

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