福建・広東 大茶旅2016(6)南岩村の王家

107日(土)
南岩村

翌朝は何となく早く起きた。外では鳥が鳴いている。晴れてはいないが、何とも涼やかな朝だ。散歩したくなり、歩き出したが、茶工場を見ると、既に人が動いていた。昨晩萎凋した茶葉を確かめている。天気が悪いので乾燥が足りないようだ。まずは朝ご飯を食べる。やはりお粥だ。これは何とも体に良い。

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食後、近くの家へ行く。ここは王家の祖先が建てた楼で、泰山楼と名付けられ、福建省の重要文化財にも指定されている。普通は中に入れないのだが、何しろ王家の持ち物だから、鍵を開ける。鍵を預けているのは王家のおばあさんらしい。この辺は殆どが王姓で同族かと思われる。

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泰山楼に入ると非常に保存状態がよい。これならここに泊まれるのではないかと思うほどだ。とても100年を超えた建物とは思えない。製茶道具もそのまま置かれており、すぐにでも茶葉が運ばれてきそうな感じだ。そのうち、政府の許可を取り、一般開放することも考えているというから、その時は切符切りとして雇ってほしいと訴える。

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本家の横にも建物があった。こちらは親せきの誰かが使っているらしい。中には圧茶機(茶葉圧揉成型機)と呼ばれる製茶機械が置かれていた。実はこの機械、安渓政府が一時は推奨したらしいが、品質を著しく損なうとのことで、103日に使用禁止命令が出たといういわく付。この機械を使えば、面倒な作業を一気に終えることができるということで、かなりの農家が実際に使っているらしい。

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なぜ鉄観音茶があれほど緑緑しているのか、その秘密はここにあるのかもしれないが、梅記では使っていないので、その実態は分らない。台湾にいたUさんからも、安渓にいるのならぜひ調べて欲しいと連絡が来たが、調べようもない。恐らくは地元の人も口を閉ざすだけだろう。この機械自体が台湾にも流れていることがある意味で衝撃的だった。台湾ではその形状から豆腐機と言われているらしい。

 

鉄観音茶の始まりは、1736年、王家の祖先、王士譲が作り始めたとある。ベトナムやインドネシアに渡った王家の一族は次々に各地で茶荘を開いたともある。そして1876年に厦門に梅記が店を出したようだが、その経緯については触れられていない。1884年にこの地で布を使った球型の製法が開発され、のちに台湾に渡ることになる。

 

この村の外れまで歩いて行くと、大きな木がある。確かに数百年の昔、この地にすでに人がおり、茶作りをしていたことを思わせる。周囲にも立派な家屋がぽつぽつと建てられているが、その多くは後になって再建されたものだという。その間、色々な困難があったことを窺わせる。昼ご飯をまた美味しく頂く。何となく冷えてきたので、大根の入ったスープが暖かい。

 

食後すぐに、茶工場へ走る。既に殺青から揉捻の作業が始まっていた。殺青機の管理をしているのはまだ子供だった。子供の時からこのような体験をすることは実に貴重だ。将来が楽しみ。揉捻機も年代物の木製。おじさんが一生懸命力を込めて動かしている、かと思ったが、電線を繋げば自動になっていた。そして熱々の茶葉を布で来るものだが、このあたりも機械化されている。ただ5代目がやはりデモンストレーションということで、手作業を披露してくれた。実に力のいる作業で、往時の製茶の大変さがよくわかる。

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茶畑へ

車で茶畑へ向かった。明日は雨との予報であり、皆急いで摘んでいるらしい。車で村を通り抜けたが、10月初めの秋茶シーズンにも拘らず、茶葉の香りがしてこない。茶葉を干しているところも殆どない。僅かに家の屋上で茶葉を干している風景が見られたが、私がよくいく安渓大坪とはずいぶんと雰囲気が異なる。

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900mぐらいの高さまで登ると、その斜面には茶畑があった。よくよく見ると数人が手で茶葉を摘んでいる。ここも大坪とは違い、茶樹が一面に生えている訳でもなく、茶摘みもひっそりと行われていた。地元のおばさんたちに混ざって若い子も茶葉を摘んでいたが、茶袋が一杯になっても、上に持っていくことができない。相当に急な坂であり、手伝いに入った私まで転げそうになる。

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茶葉はバイクで取りに来て、どんどん運ばれていく。我々は湯を沸かし、茶畑を眺めながら、茶を飲んだ。こういう場所で飲む茶が最高に美味い。水も美味い。しばし余韻に浸っていたが、茶葉を摘む方はそんな余裕もなく、次々に茶葉を運び込んでいく。ただこの場所で茶摘みをしているのは数人だけであり、やはり西坪の茶畑減少は本当のようだった。

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帰りにこの村にある鉄観音茶発祥の地を見に行く。石碑があり、廟がある。その母樹も大きく囲われていたが、既に枯れそうな感じだった。さらに下がっていくと、建物が一塊になっているところが見えた。日塞、と聞こえ、堯陽という地名も出てきた。堯陽と言えば、香港に堯陽茶行という名の茶荘があるね、と何気なく言うと、王さんが『あそこが堯陽茶行の故郷さ』というから驚いた。

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まるで城のように囲われている。往時茶業は儲かっていたが、盗賊も出没するので、一族で固まって住んでいたようだ。もう一つ月塞という場所は、実際に入ることができたので、ちょっと見学してみたが、石垣もあり、まさに一つの村が固まっている城の感じだった。タイで茶荘を開いた一族の写真などもあり、この辺の村から華僑が沢山出た、そして茶を持って行ったことも窺われる。近所の人がお茶飲んでけ、と誘ってくれたのが、嬉しかった。

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更に本山という品種もここが発祥の地であり、その記念碑も見た。何とも色々とある村であり、それだけの深い背景がある。帰り着くと暗くなり、また美味しい夕ご飯をたらふく頂き、そして飽きるまでお茶を飲んだ。こんな幸せな生活があるなんて、と思わず涙する!

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