茶旅の原点 福建2016(8)観光地化する下梅

427日(水)
下梅へ

翌朝は宿の前にあった美味しそうな牛肉麺を食べた。内臓系が入っており、私の好みの味だ。毎日通いたくなる衝動に駆られる。朝から幸せな気分で李院長の迎えを待つ。今日は万里茶路の本命、下梅に連れて行ってくれるという。しかもその下梅の歴史を掘り越し、世に知らしめた鄒全栄氏も同行してくれるというから、まさにお茶のご縁に感謝だ。

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下梅は武夷山市内から車で30分ほど行く。道路は快適で、何となく下っていく感じ。やがて下梅の街に入り、万里茶路の起点という石碑が見えたが、通り過ぎてしまった。そこで見えた景隆号というお店、それが鄒氏の昔からも屋号だった。李院長は、反対側の川を指し、『ここ、梅渓から茶葉が積み出された。最盛期は1日に300の筏が出て行った』と説明してくれた。ちょうど電話が鳴り、鄒さんが待っている場所へ移動した。

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いい感じの小川が流れており、ちょっと観光地化されたような場所だったが、そこには媽祖を祭る廟と鄒氏の家祠が残されていた。武夷山はかなりの山奥であり、昔なら猶更だが、なぜここに海の神様である媽祖廟があるのだろうか。勿論これも茶葉の道と無関係ではない。そして家祠、往時としては非常に立派な作りであり、しかも横を見るとイスラム風の入り口まである。これはイスラム商人もここまでやってきてことを示しているようだ。

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中もかなり広い。一般にも開放しており、観光客や地元の人が訪れている。鄒氏はかなりの有名人であり、色々と声がかかる。万里茶路研究所も立ち上げており、資料は街の事務所にあるらしい。更に行くと、非常に細かい細工が施された扉があったり、裏庭は往時のあこがれ、蘇州の拙政園を模していたりと、贅が尽くされている。

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鄒氏は既に29代目だという。清代康熙帝の頃、貧困のため江西からこちらへ移ってきたらしい。そして茶葉を扱い、山西商人の常氏と組み、茶葉貿易に従事、巨万の富を築いていく。今でもその倉庫跡が残されている。川に向かって垂直に倉庫があり、片方が鄒氏、もう片方が常氏と別れて茶葉を管理していたようだ。これで利益分配も明確だったかもしれない。

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鄒全栄氏は長年教師をしており、最近定年となった。その傍ら、自身の祖先について、研究を進めてきた。その努力は相当なものがあったことだろう。成果が実り、折からの万里茶路ブームと相まって、その名声は高まり、政府も遺跡の保存に手を貸すようになる。ここが昨日行った赤石とは違うところだ。歴史は掘り出すもの、そして経済的な効果がそれを支えるもの、現代中国ではそのようになっている。それがよいかは別として、価値があると認められれば保存される、というのは、歴史的には重要なことだろう。

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ランチに

郊外の広い敷地に『万里茶道の起点』というモニュメントがあった。あまりに真新しく、何の意味もないように思えたが、ある意味で政府がこれを建てたことにより、下梅は認知されたといるかもしれない。政治と経済、文化は中国では一体なのだと実感する。

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昼時になる。李院長の部下に当たる先生からランチのお誘いがあった。鄒氏も同行して、市内へ戻る。鄒氏も現在の家は市内にあるという。その食事の場所は、広々としたところで、庭に水車などもある実に立派なレストランだった。そこにはお茶工場も経営しているという青年が待っていてくれた。彼は何と大阪に留学したことがあり、日本語も流ちょう。日本企業とも色々と商売をしているらしい。食事も豪華、そして彼の製品である割りばしが出てきてそれを使って食べる。日本にも輸出しているという。

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星村の上の桐木に工場があるという。そこは私も是非行きたい場所。なぜならそこで紅茶が作り出され、万里茶路のルートに乗ってロシアまで運ばれたからだ。食事をしながら彼にさりげなく、『茶工場を拝見したい』と言ってみたが、なぜか色よい返事はなかった。この近くに別の加工場があるよ、などというばかりだ。あとで聞くと『桐木は現在政府による規制があり、一般人の立ち入りは禁止されている。中国人の場合、受け入れ人がいれば問題なく入れるが、外国人の場合は、正式の申請が必要であり、それはとても面倒だ』ということだった。

 

この件で迷惑を掛ける訳にも行かず、また私個人は『入れない』ところに無理に入るつもりはないので、流れに任せた。ただなぜこの会食がセットされたのか、その意味は十分に分かった。しかしなぜ桐木に外国人が入れないのか、それは謎だった。生態系を保護するためだ、と説明されても、中国人は容易に入れるのだから、外国人もツアーなどに制限したうえで入れた方が観光資源的には望ましいように思う。それとも何か秘密でもあるのだろうか。

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