茶旅の原点 福建2016(7)武夷学院にある茶学院

426日(火)
武夷山へ

翌朝も気持ちよく目覚めたが、外は曇り。私にとってはとてもいい雰囲気なのだが、茶作りでは晴れ間も欲しいはず。朝ご飯を頂き、この地にも別れを告げる時が来た。楊さんが出てきて、一緒に写真に収まる。彼は一見気難しいが、心配りがある。結局バスで行くという私を制して、茶工場の車で武夷山まで送ってくれた。何とも忙しい時に煩わせてしまい申し訳ない。お土産に白茶と紅茶までもらってしまった。

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車は政和の街を出て高速に乗る。この道、全く車が走っていない。確かに中国の高速道路網の発達は素晴らしいが、ここまで使われていない道も珍しいのではないか。途中トイレに寄ったが、そこにも殆ど人はいなかった。僅か1時間で武夷山に入った。私が武夷山を訪れたのは15年も前の話。茶旅の始まりは武夷山だったが、その後一度も来ていない。皆に不思議がられるが、来ていないものは仕方がない。どの程度変化しているのか、車から見ても想像がつかない。

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5.    武夷山
武夷学院

今回武夷山でお世話になるのは武夷学院。車は門までやってきたが、指定車両以外中には入れないというので、そこで降りた。この大学には茶学院という、日本で言えば茶学部が存在する。紹介されたのはそこの院長。大学を入っていくと、何とも広い敷地で戸惑う。学生に聞いても、茶学院を知らない子もおり、難儀する。敷地内は校舎というより宿舎が続いている。

 

何とか探し当てた茶学院。李院長は待っていてくれた。実は彼が指示しところとは違う門から入ってしまい、ものすごい距離を荷物を引いて歩いたことが分かった。武夷学院は全校生徒15,000人、茶学院の生徒は1,500人とその1割。それにしても日本から考えればすごい数だ。その学生が、茶樹の育種から製茶、はたまた茶文化まで、茶に関することを総合的に学ぶというのだから、さすが中国。日本にはこのような学部はなく、学科すらないと聞いているので、なんとも羨ましい限りだ。

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院長に促されて先生たちとランチに行く。先生も皆比較的若く、ここの卒業生が中心だ。茶文化などの専攻だという。その後、院長が予約してくれた宿に行く。当初、魏さんが院長に『折角だから学院内の学生宿舎に泊めてやってくれ』とお願いしていたが、さすがにそれは出来なかったらしい。学院の外にある宿は意外と広くて快適。有り難い。

 

それから卒業生の一人が迎えに来て、学院内を案内してくれた。やはりかなり広い。その中には図書館があり、その近くに万里茶道文化研究院なるものもあったが、閉まっていて見学できず。武夷山と関連がある朱熹の研究会もあるようだ。裏手には茶畑もあるとのことだったが、雨が降ってきたので見学は中止した。そこへ李院長が車でやってきた。

 

万里茶路の起点

李さんは『あなたが行きたいのは万里茶路のスタート地点だね』と念を押し、車を走らせた。私はてっきり有名な下梅に行くものだと思っていたが、意外にも車は比較的近くで大きな道から逸れ、デコボコ道を走る。そこはよく見ると、武夷山の飛行場の横だった。何でこんなところへ来たのか、不思議だった。雨でぬかるんだ道を突き当りまで行くと『着いたぞ』という。そこに今にも崩れそうな建物が建っていた。

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赤石、というその地名を初めて聞く。そして『ここが本当のスタート地点だが、誰も歴史を掘り起こさず、忘れ去られた場所』だという。そこから川沿いに路地を入っていくと、建物が並んでいたが、どれも皆古い。中には以前は倉庫と店だったと思われるものもあったが、今は普通の家として使われているか、放置され、ひどい状態になっている。地元の人に聞くと『昔はかなり栄えたと聞くがね』と既に今生きている人々の時代には朽ち果てる一方だったとの声もあった。

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川はそれほど大きくないが、よく見ると、石造りの坂があり、いまだに筏が置かれているところがあった。往時は先ほどの倉庫への茶葉の搬入が頻繁に行われていたに違いない。茶葉はいったんここへ集められ、広東体制下では、人間が担いで武夷山を越えたとも言われている。アヘン戦争後は、川で福州や厦門方面に流れて行ったはずだ。今見ても古い木と、商人が商売繁盛を祈願した廟だけがそれを知っているようだった。廟の管理人も『昔は立派な廟だったが、文革で破壊されたよ』と悲しそうに話していた。

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茶園へ

その後は茶園へ向かう。武夷学院を通り過ぎたあたりで山へ入り込んだ。結構急な坂を上る。李院長が『昔から茶作りをしているから、山道の運転は得意だ』というだけのことはある。細い山道を軽快に走っていく。上の方へ行くと見事な茶畑が広がっていた。きれいに管理された茶畑だ。しばし皆で茶畑と戯れる。こんな時間が心地よい。

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茶農家を訪問した。李院長はよく知っているようで、ずかずか入っていく。そこでは昨今流行りの肉桂を作っていた。肉桂は昔からあるが、なぜ今流行っているのだろうか。『馬肉、飲む?』と聞かれ、キョトンとした。牛肉という言葉も飛び交っている。なぜ肉を飲むのか、見当もつかなかった、なんとそれはお茶、肉桂の種類だったのだ。

 

この農家は以前別の仕事をしていたが、空気がよく、水もよい、この土地の環境に見せられ、10年前に就農したという。茶園の管理や製茶法などを学び、今ではかなりいい物が出来てきている。確かに街に近い割にここの環境は抜群だ。夜も静かに暮らせるというが寂しいぐらいだろう。小規模の工場では製茶作業が続いていた。

 

よく見ると作業しているのは若者たち。李院長が『あれは皆、うちの学生だ』というではないか。何と20日間茶農家に泊まり込み、製茶研修をしている。人手が足りない農家と、製茶の勉強をさせたい学院のニーズが一致した結果だとか。確かに23日程度の製茶体験では本当のことは分らない。雨の日も晴れの日も、茶作りに関する理解を深める必要がある。李院長自身が昔は製茶をしていたそうで、この発想は良い。作業後の彼らと一緒に夕飯を頂く。

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