茶旅の原点 福建2016(3)黄檗宗万福寺へ行く

お昼の時間になっていた。ランチには数人が集まっており、福清の料理が丸テーブル一杯に出されていた。一言紹介されただけで、テーブルについている人がどこのだれかはよくわからない。皆さんも特に日本人に興味を持つわけでもなく、ただ親切に料理を進めてくれるだけ。何とも和やかなランチがゆっくりと進んでいった。今回急きょ、重要なランチがあるから来るように、との指示だったが、それは一体何だったのか、皆目見当もつかない。

 

しかしその空気を一変させることが起こる。食事も半ばになった頃、突然女性がどかどかっと入ってきて、空いている主賓席に腰を下ろした。その瞬間から、それまでの和やかなムードは無くなり、ピリッと張り詰めた空気が流れ始める。その女性は会長が私を紹介しても『歓迎します』と一言いうと、猛烈な勢いで、テーブルの上の料理を取り、口に運び始めた。それを皆がじっと見ている。

 

そして食べながら、色々なことを言い始めた。『今度博覧会を開催したらどうか』とか、『この街の歴史的な資源を活用しよう』とか。実はこの女性は街の幹部であり、ここに集まった人びとは、役人やマスコミ関係者、そして学者さんだったらしい。このような席に外国人がいてよいのかよくわからなかったが、これはどう見ても会議だった。あっという間に食事をとり、お茶を一杯飲んで彼女は風のように去って行った。今や中国のお役人もすごく忙しい。そして経済成長が鈍化した今、町興し、経済活性化、に重い使命が課せられている。

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午後は福清の歴史に詳しい先生が来られ、話を聞いた。福清は、華僑・華人の排出地であり、実に多くの福清人が海外に移住している。その地域も東南アジア各地、その他世界中に散らばっているが、とりわけ日本との関係が歴史的に深く、日本にも多くの福清人がいる。ただ日本では福清と言っても知られていないためか、福州人と名乗っているケースも多い。実際私の知り合いの福建省出身者の半数は福清人である。

 

海外でも福建出身で日本語が話せる場合、福清人である可能性が意外と高い。隠元禅師だけではなく、実に多くの福清人が日本に来ているのに、日本人はそれに気づいていない。残念なことである。台湾との関係も当然深い。前政権も台湾関係を重視し、この近くの平潭島で大規模開発を行い、台湾からの投資を誘致していたが、今はどうなのだろうか。

 

夕方になると『夕飯だよ』という声がかかる。行ってみると先ほどの丸テーブルにご老人方が座っていた。ここに入ってよいのかとためらったが、席が与えられたので、座ってみる。おじいさんたちは、元この街の幹部だった。同窓会のようにここに集まり、食事をして、茶を飲んでいるらしい。基本的に福清語で話しているので、内容はよくわからないが、どうやら現在の政策について、色々と不満を述べているように思えた。確かにこれだけ拝金主義が蔓延すれば、昔の幹部から不満が出るのは当然のことかもしれない。とても話に割って入って、意見を聞く勇気はなく、ただ黙々と福清風しゃぶしゃぶを頂きながら、様子を見ていた。こんな体験もなかなかできるものではない。この会館には実に様々な人がやってきて、面白い。

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そして何と今晩は、この会館に臨時に泊めて頂くことになった。ちゃんと上の階に宿泊施設まであり、恐れ入る。夜はお茶を飲んでいる人のグループに入れてもらったり、文化人の人から話を聞いたりして、内容の濃い勉強ができた。

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423日(土)
万福寺へ

翌朝はゆっくり起きたが、会館に人気はない。1階に降りてボーっとしていると、事務局長が降りてきて、朝ご飯を買ってきてくれた。肉まんと豆乳、そして名物の海蠣餅、実に充実した朝食。事務局長も文化人であり、単身赴任でこちらに泊まり込んでいた。朝から文化論を聞いていたが、現代中国においては、文化には政治の側面があり、また経済にも大きく関係し、そして商業化していくことを嘆いていた。ただそうでないと、過去の歴史や遺跡はどんどんなくなって行ってしまう、埋もれてしまう、と面もあり、簡単ではない。

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今日は車で隠元禅師のお寺、黄檗宗万福寺に連れて行ってもらった。福清市内から車で30分ぐらい行ったところ、幹線道路から少し入ったところにそのお寺はあった。意外と新しい雰囲気だ。ここがあの京都の万福寺と同じ名前、こちらが元々隠元禅師のいたお寺だった。唐代に創建されたが、文革で破壊されたらしい。改革開放後再建されたので新しいわけだ。

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寺院内はかなり広い敷地があり、周囲には何もなく、凄く広々とした環境は素晴らしい。しかし曇り空とはいえ、土曜日なのに、人は殆どいない。この近隣の方々は、黄檗宗を信仰しているのだろうか。何となく観光地化してしまっているのだろうか。福建省のお寺、これまで行ったところは大体朝から熱心な信者が祈りを捧げているところが多かったが、ここは少し不便だからだろうか。まあひっそりしているお寺、私は好きなのだが。

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