インド アユルベーダの旅(6)プネー 若者のバイクで街散策

4.プネー2

1月18日(土)

ダルシャン博物館

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翌日ラトールさんは仕事があり、彼の日本語の生徒の一人がプネーを案内してくれることになる。聞けばまだ20歳の若者。彼のバイクの後ろに乗り、街を走る。最初に行ったのは、ダルシャン博物館。ここはサドゥ・バスワニの活動などを紹介する場所。荷物は全て預け、順路に従って歩く。来場者に展示物をきちんと見てもらえるよう配慮されている。

 

http://www.darshanmuseum.org/flash/index.html

 

内容はインドの伝統的な慣習や貧困との戦いなのだが、何となく居心地が良い。最初はちょっと見て失礼するつもりだったが、気が付けば1時間半もいた。これは何だったのだろうか?何とも不思議な空間だった。帰りがけに、マネージャーの女性が『如何でしたか?』と笑顔で話し掛けてきた。こんな博物館は初めてだった。

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次にお願いしてHSBCの支店に連れて行って貰った。先日ATMでお金が下ろせなかったので、支店に行ってみた。そこのATMを使うとちゃんとルピーが引き出せた。やはりカードに制限が掛かっていたのだろうか?まあ、これで両替をしなくてもよい。安心した。

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お昼は中華レストランにいった。これも私のリクエスト。プネーで老舗の中国料理屋、チャオニーズルームへ。入口が何とも古めかしい。中に入ると思いの外お客がおり、一番入口に近い席しか空いていない。そこに勝手に座ろうとしたが、案内のマネージャーの許可が必要だった。この辺がインドらしい。

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炒飯と焼きそばを頼み、待っていると、なぜかキムチと大根きゅうりの漬物が出てきた。これは中国料理?さらに炒飯には野菜炒めを掛けて食べるのだが、その野菜炒めがどろどろ、あんかけ風なのだ。これは1年前にデリーで体験済み。インドの中華は完全にインド化している。

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最後にネットカフェにつれて行って貰った。カフェと言ってもPCが並んでいるだけだが。先ずは身分証の提示を求められ、若者が自分のを見せる。そして私のPCを繋ごうとしたが、残念ながらそれは出来なかった。インドでは未だに規制が多い。コーヒーを飲むカフェの中にWIFI無料の所があると聞いていたが、若者は知らなかった。

 

代わりに自分のモデムを貸してくれた。繋ぐと確かにネットが出来た。ラトール家で1時間ぐらいメールなどを送信していると、若者は帰ってしまった。その日はこのモデムのお蔭で、大変助かった。ラトール家にもWIFIがあったのだが、そのパスワードが分からなくなっていた。あとでラトールさんが調べてきてくれた。

 

1月19日(日)

ローカル列車でロナウラへ

本日はいよいよ今回のメインイベント、アユルベーダを受けにロナウラへ向かう。A師夫妻が同行してくれるというので心強く出発。一昨日は車で行ったロナウラだが、今日はローカル列車で行く。面白い。

 

ラトールさんの家から彼のバイクの後ろに乗る。これは4年前を思い出させる。前回は彼のバイクでプネー市内の主な観光地を回った。とても印象的だった。それから4年、プネーの交通も激しくなり、危険は高まったように思うが、軽快に飛ばしていく。

 

実は初めてバイクの後ろに乗ったのは20歳の時。同級生の田中のバイクに乗った。茗荷谷にあった彼の学生寮から、神保町の本屋街まで颯爽と飛ばした。正直とても怖かった。私はスピード恐怖症なのだ。だから自分ではその時の経験から一度もバイクを運転していない。車さえも一度も運転していない。その田中君は、5年前にがんで亡くなっていたことが最近分かった。インドの街で突然彼を思い出してしまった。

 

20分ぐらいで駅に着いた。ここはプネー駅の隣の駅。駅舎でA夫妻が切符を買って待っていてくれた。列車の時間まで40分もあり、ホームの端で休息。一人の男が近づいてきて、手を出していたが、無視していたところ、行ってしまった。やれやれと思っているとまた戻ってきて近くに座る。ラトールさんが小銭を上げて退散させたが、インドの乞食は執念深い。

 

列車が来る頃になるとどこからともなく、乗客が現れ、ホームが一杯になった。そして列車が着くとドアに殺到。降りる人とせめぎ合う。我々は後から空いているところに飛び乗ると、そこにはミルク缶が積まれており、においがした。道理で人があまり乗らない。

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次の駅で隣の客車へ移動。混んでいるが、すぐに席が空き、3人掛けの所に割り込んで座る。インドでは座ったもの勝ち、という感じがあるようで、誰も文句も言わない。日本なら大変だ。駅に停まるごとに乗客が下りて行き、空いてきた。同時に窓の外も田舎の風景が見えてきて、それらしくなった。そして1時間半後、ロナウラに到着。ここがこの列車の終点だった。

 

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