2.2003年7月13日(土) 香港仔(P116-124)
今回は沢木氏が香港編で最後に書いた香港仔に行く。
でも観光客が去ると、皆何事もなかったように縄跳びをして遊ぶ。この強さ。明るさ。この名場面の場所も今は唯のターミナル。隣に広い道路が出来、その向こうに綺麗になった遊歩道、海を眺める為のものだが、観光客の姿など全く無い。地元民が夕涼みをしている。小さな船で麺を作り、その辺の人に売っているぐらいだ。
ベティ達の通っていた小学校が気になっていた。かれらはどんな学校生活を送り、現在どうしているのだろう?現在香港仔には小学校が2つしか見当たらない。1つは香港仔大道にある私立カノッサ。隣にはお決まりとなった天后古廟がある。但し現在は改修工事中。どちらにしても校庭は殆どないし、水上生活者の子供達が行く学校とは思えない。もう1つも直ぐ近く、坂を上ったところにある公立学校だが、きっと30年前にはもっと多くの学校があったはずだ。『湾の周りに小さな廟があり、難民集落があり更に歩いて行くと学校がある』となっている。小さな廟は湖南街の直ぐ横にあるので、もう少し先に学校があったのではと想像する。兎に角水上生活者が坂を上って学校に行くとは思えない。 今水上で生活する人々は殆ど見られない。15万人の水上生活者は90年代に出来た政府の『公屋』に吸収された。それは彼らの見ていた夢の実現なのだろうか?それは香港の発展なのだ。だがそう思うと何故か複雑な思いになるのは、我々部外者のエゴであろうか? 沢木氏が唯一選んだ香港の観光名所『香港仔』は、今は静かな1つの町となった。 |