インド アユルベーダの旅(3)プネー 公共バスで街へ出る

1月16日(木)

朝はチャイ

翌朝もまた日が出る頃に火をおこし、お湯を沸かす。これが一日の生活リズムなのだ。そのお湯でチャイを作る。これは何とも言えず美味い。ゴレ夫人はご主人が長期不在のためか、いい話し相手が来た、という感じで、実に様々な話をしてくれた。

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ここは元々農村だったが、都市化が30年近く前に始まった。一応家は建ったが生活は農村に近い。そして人々の概念も農村に近い。ゴレ夫人は日本で言えば民生委員の様な仕事をしており、近隣の人々の為に様々なアドバイスをしている。このような場所にはゴレ教授夫妻のような知識人はいない。貴重な存在だ。

 

公共バス

今日はどのように過ごそうかと思っていると、夫人が『私はこれから親戚の所へ行くが、一緒に行くか』と聞く。公共バスに乗るというので付いてくことにした。インドでバスに乗ったことが殆どなかったからだ。確かラダックで尼さん達と乗ったきりだ。出掛ける時、2匹の犬は『我々も連れて行け』とばかり、泣き叫ぶ。そして悲しげな目を向ける。

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先ずは近所のパン屋さんを見学。薄暗い場所で朝からパン作りが行われていた。お父さんが始め、今は息子たちが作っているという。インドでは身内しか信じない傾向がある。このような商売も身内のみで経営し、店を広げる場合も兄弟の誰かが行って経営する。あるところに工場を設け、販売店は市内に作る、などという考えはないようだ。作り立てのパンを近所に届ける、これはいい。この辺りにはこのような家内工業的な生産基地が細々と多数存在している。

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街外れの大きな道でバスを待つが、大勢の人が待っている。夫人はリキシャを拾い、バスの始発駅まで行く。インドのバスもいつ来るのか分からないようだ。始発と言っても目的地への直通バスはなく、乗り換えるらしい。バスは古く、きれいとは言えない。車掌が料金を集めに来た。15rだった。バンコック並か。すぐに先ほどのバス停に着いたが、その頃にはバスは超満員になっており、乗り切れなかったかかもしれない。我々はゆっくり座っていけてよかった。

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市内を30分ぐらいで走り、乗り換えた。乗換と言ってもバス停は離れており、人に聞きながら進む。これは普通の外国人では乗るのに無理がある。更にはどのバスに乗るのかは車掌に聞かないと分からない。慣れていないとインド人と言えども一苦労だ。

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ようやく目的地近くでバスを降りたが、これまた訪ね先が分からない。夫人も始めてきたようだ。結局リキシャに乗り、案内を乞う形で、あるアパートに到着。そこには夫人の親族が集まっていた。どうも親族の人が手術をするらしい。その為の祈祷、プージャが奥の部屋で行われていた。それが終わると皆にタピオカご飯が配られ、儀式が済んだ。居間と台所、それに寝室が2つのアパートに10数人が来ていた。ここにもインドの親族主義の一端を見ることが出来た。

 

懐かしのシュレイヤホテルでターリー

夫人は用事を済ますとすぐに部屋を出た。そして『ホテルへ行こう』という。何でホテルへ行くのか分からなかったが、付いて行く。またバスに乗り、どこかわからない場所でおり、それからそのホテルを探し回った。彼女もあまり市内には来ないらしい。

 

人に聞きながら歩いて行くと、何となく懐かしい雰囲気になってきた。この辺りには既視感がある。そして着いたところは、何と5年前私が初めてインドに来て最初に泊まったシュレイヤホテルだった。それにしてもなぜホテルへ?どうやらインドでは宿泊以外でホテルと言えば、レストランへ行くことを指すらしい。

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このホテル、5年前と特に変わっていないように見えた。1階の食堂に入り、ターリーを注文。ターリーは丸いお盆に様々な料理が少しずつ盛られ、食べる。お替り自由でなくなるとボーイがまた入れてくれる。わんこそばの様でもあり、取りにいかないビュッフェともいえる。これは香港のインドランチにもあったが、本当に腹一杯になる。見た目より遥かにボリュームもある。美味しく頂く。どうやらゴレ家はこのホテルと関係があり、わざわざここまでやってきた。『老人には割引があるのよ』と笑いながら支払いをしてくれた。夫人は実に茶目っ気のある人だ。今回の私の訪問を面白がっている。

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