インド アユルベーダの旅(1)インドで健康診断?

《インド アユルベーダの旅》 2014年1月15日-29日

 

アジア放浪の旅に出てから、もうすぐ3年が経とうとしていた。我ながらよくこんな旅が続けられている、と思う日々。疲れが溜まってきている気がする。またなぜか最近は腹回りがちゃぷちゃぷしている。その辺をインドの大家A師は見逃さない。2013年初めのインドの旅の頃から『インドでアユルベーダを受けてはどうか』と耳元でささやき始めた。

 

私は拠点を移したバンコックで人間ドックを受けることを検討したので、答えを曖昧にしていた。何しろバンコックの人間ドックは日本語で出来、そして費用も安いらしい。にも拘わらず、A師からのお誘いは続き、バンコック在住の共通の知人数人からもA師の伝言として、アユルベーダという言葉が出てきた。

 

そして11月、バンコック郊外のヨーガキャンプに参加したところ、A師が『今はインドでもネット予約です』と自身のタブレットで予約を始めてしまった。これはもう仕方がないと観念し、インド行を決める。

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12月に東京に戻った際、インドビザを申請した。これまで4回インドを訪問しているが、ビザではトラぶっていた。今回も1年前と申請方法が変更になっており、全てオンライン事前申請、その後茗荷谷のインドビザセンターに書類を持ち込んだ。すると、書類に一点不備があるとして、受理されず、おまけに写真も5×5㎝という特殊サイズしか認めない。やっぱりインドだ、と思うしかない。最終的に2度目の申請後、4営業日でめでたくビザが取得できた。

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1月15日(水)

  1. プネーまで

バンコック封鎖

バンコックは昨年からデモが起こっていた。そして年明けからこれが本格化し、何とスクンビットなど主要道路をデモ隊が封鎖するという暴挙に出た。いくら主張したいことがあると言っても、天下の公道、それも主要道路の真ん中を封鎖してしまう、そしてそれを排除することなく黙認してしまう国、それがタイである。これはこれで凄い。1₋2日はどうなることかと緊張していたが、実際は何も起こらなかった。ただ通勤や通学に大きな影響が出ただけ。

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インドへ行くため、空港へ行かなければならない。果たしてタクシーなど捕まるのだろうかと危惧していたが、我が宿泊先付近は全くの平穏で、ただの日常風景が広がるだけだった。運ちゃんも1₋2日なら仕事も休めるが、稼ぎが無ければ食えない。ほんの一部の場所以外は通常営業だ。このデモ、結局割を食うのは一般庶民という構図。タクシーは簡単に拾え、空港には予想より早く着いた。デモのお蔭で道も空いている。

 

インドのLCC スパイスジェット

今回初めてスパイスジェットというインドのLCCを利用する。これまでプネーに行くにはデリー経由か、ムンバイで降りて車で行くか、どちらにしてもかなり不便だったのだが、バンコック-プネー直行便が就航し、A師などは大喜びだった。

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空港で東京から来るHさんと合流、飛行機に乗り込む。機体は比較的新しく、機内はインド人乗客が多い。LCCと言っても普通の飛行機と変わらず、快適。ただ飲み物は水が配られるだけ。私は好奇心からベジサンドイッチにトライしてみたが、量はほんの少しでその割にはかなり高かった。まあこの飛行機代自体が片道、1.2万日本円程度で格安。やむを得ない。

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飛行時間の4時間はちょっと目をつぶっているとすぐに過ぎた。ちょっと気になったのは意外と空いていることだった。案の定、このフライトは僅か3か月で運行停止となり、プネーからバンコックへ行くのはまた昔の道を辿ることになる。

 

プネー空港はとても小さな空港だった。イミグレもスムーズで荷物も比較的早く出てきた。だが外へ出てみても迎えの姿はない。今日はH師とラトールさんが来てくれているはずだが。Hさんの日本の携帯などを使ってみたが、電話は繋がらず、その辺にいるインド人の携帯を借りて電話してみるも、誰も出ない。これは困った。今は午後1時過ぎだからまあいいが、これが夜ならちょっと心配になるところ。

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どうしようかと相談しているところへ、何事もなかったようにゆっくりとA師が現れた。そしてラトールさんが買った車に乗り込む。聞けば、インドに25年も住んでいるA師でも居留の届けなど、いまだに面倒な手続きをしているらしい。さすがインド。

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