フラフラと沖縄2015(12)那覇 泊と若狭

散歩でとまりんへ

雨が上がっていたので、散歩に出た。実は先日読谷を調べる中で、那覇の港が泊という名であることを知る。泊とは港の意味だから、特に普通の名だとは思うが、2年前に行った富山県の朝日町、バタバタ茶の伝統を残す街の駅の名前も泊だったことを何となく思い出す。ちょうど良いので歩いて行ってみる。

 

雨が降りだし、かなり難儀した。途中にはなぜか中国東方航空のオフィスがあったりする。ゆいレールより海側を歩いたのは初めてだった。あとで知ったのだが、この付近が久米という場所、久米三十六姓と呼ばれる中国福建省から移住した中国人が多く住んだところだった。今は中国的な場所は残っているのだろうか。次回は少し歩き回ってみたい。それにしても華人というのは必ず港の近くに住むものだなと思う。

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かなり歩いていくと船員会館というビルがあった。ここに泊まるのもよい、と思ったことがあったな、と思い出す。昔は船員さんが泊まっていたのだろうか。その向こう側に船が停まっており、港があった。泊港は今はとまりんと呼ばれている大きなフェリーターミナルになっている。

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とまりんは渡嘉敷・座間味・粟国・渡名喜・久米島・南北大東など離島各地へ向かうフェリーが出発する場所。大きなバッグを持った観光客、中には釣竿をもった外国人もいた。私もいつか、ここから船で離島へ行ってみたいと思う。港にはいくつかの定期船が静かに停まっていた。

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実はこのあたりの地名にも注目していた。『若狭』という町名が付けられている。若狭と聞けば、今の福井県を思い出すが何故ここにその地名が付いているのだろうか。調べてみると近畿地方あたりから大量の移民がやって来て、ここに住み着いたらしい。恐らくは船の航路でも、江戸時代の北前船のように、若狭から日本海側を沖縄までやって来る船もあっただろう。実はバタバタ茶に使われるお茶は、元々福井県で作っていたという話がある。そういえば沖縄にはブクブク茶という振り茶がある。どこかに接点はないだろうか。今のところ、全く見出せないが、興味深い繋がりだ。

 

気楽な居酒屋で

そのまま歩き続ける。かなり歩いてロワジールという立派なホテルまで来てしまった。雨を避けるためホテルに入ると、ロビーには中国人、台湾人がソファーに座って中国語を話していた。そのまま抜けると裏手に出て、海が見えた。少し小高くなったところに三重城(みーぐすく)という場所があったので行ってみた。倭寇を見張るために16世紀にできたという。当時は砲台も設置されていたとか。御嶽があり、神聖な場所であると書かれている。

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今晩は急に知人に紹介された人と待ち合わせで、近くの居酒屋に来た。しろま、と書かれたその店に入ると、お客は誰もいなかった。おばさんとおじさんがやっているらしい。待ち人から『遅れる』との連絡があり、座敷の奥に上がり込み、取り敢えずビールを頼んで飲み始めた。私としては珍しい。おばさんがすかさずつまみのオーダーを取り、持ってくる。何だかいい雰囲気だ。

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彼女、Mさんは小さな息子とやってきた。何と大学の後輩に当たるが専攻はフィリピン語だとか。我々の頃にはなかった言語だ。それでも中文大学に留学し、中国語の方に興味が行き、台湾で就職し、台湾人と結婚したという。そして職場の関係で沖縄に来た。出身地は沖縄ではない。更には日本と関係のなかったご主人も台湾から連れてきたという。彼は日本語がほとんどできなかったというから、なかなかすごい。上の子は幼稚園だが、何と台南のおばあちゃんのところへ一人で行って、1か月だけ地元の幼稚園に通っている。下の子も2歳にして、日本語と中国語を理解している。

 

ゴーヤチャンプルなどを頼み、食べる。おばさんお勧めの自家製のスーチカー、丁寧に作られている感じが良かった。酒のつまみとしていくらでも食べられる。この店、おふくろの味、という感じで、とても良かった。いつの間にか店は満員となっており、カウンターにはMさんの会社の人もやって来ていた。帰りも雨が降っていたが、歩いて帰った。何となく気分が良い晩だった。

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4月29日(水)

朝早く起きて、リビングの鍵を置いてチェックアウトした。オーナーともう一度お茶をしたかったが、何しろ台北行きのピーチは8時半発だから、難しい。6時過ぎに駅に行き、ゆいレールで空港へ。LCCターミナルにはあまり買い物できるところがないのを知っていたので、コンビニでおにぎりを買い、お土産物も買い、バスで移動。このシャトルバスがなかなか来ない上に、乗客はかなり多くて長蛇の列、結局乗り切れない。この辺がLCCのゆえんか。

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フライトは全く定刻に台北に向けて飛び立った。ピーチには日本人もある程度乗っていた。国際線ターミナルとはかなり違う雰囲気があったが、勿論主流は台湾人。大量の土産物を持ち込んで乗っている。買い物が目的だから、朝早い便でも問題ないのだろう。沖縄の旅は確実に変わってきている。

2 thoughts on “フラフラと沖縄2015(12)那覇 泊と若狭

  1. 泊の付いた地名は日本全国港町に沢山在りますね。那覇の泊は1980年代私の拠点でした。泊ターミナルと国道を挟んだ前のビルで約9年間商売をしていました。それ以前60年代には久米や若狭に住んだ事もありました。船員会館もJICAの太平洋漁業研修で利用しました。そこから遠くない若狭には「三郎」と言うイセエビ料理の有名店が在ります。

    1. 突然のコメントすいません。
      那覇市在住の者です。
      実は人を探していまして、「菅久雄さん」という名前なのですが、もしかしてと思い投稿させて頂きました。同姓同名かもしれませんが…。
      私の探している「菅」さんは首里金城町在?(住んでいる?住んでいた?)方でお歳は80歳超えていると聞いています。
      お心当たりは無いでしょうか?

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