《昔の旅1987年‐激闘中国大陸編》蘇州ー寒山寺で厄払い

〈5回目の旅-1987年1月1日蘇州〉
―厄払い

1.上海のデモ
クリスマス休みがやってきた。何故か旅行の計画も立てず、ぶらぶらしていた。この時期本当に人生に迷っていたかもしれない。忘れもしない12月25日のクリスマス当日、私は何か美味しいものでも買おうと町に出ようとした。我が復旦大学からバンドと呼ばれる市内までバスで1時間ほど掛かる。距離にして10km程度だが、バスは小刻みに止まり、多くの乗り降りがあるため時間が掛かる。特に出入り口付近の人間は一度降りたら2度と乗れないといった形相で必死に手摺につかまる為、乗り降りがスムーズなわけが無かった。

その日も満員のバスの車内に立ち、何気なく外を眺めると、前の方に大勢の人が歩いている。どうやらデモのようだ。そういえば最近復旦のキャンパスにも何やら張り紙やビラがあったような気がする。横を通り過ぎると各隊が旗を持っている。復旦あり、同済あり、上海外語あり、この付近の大学が皆参加している。

多分友諠商店と和平飯店あたりで用事を足して、さて戻ろうとしたがタクシーは1台も大学方面には行かないという。デモを嫌っている。仕方なしにご愛用の55番バスを探したが、デモが収まるまで走らないらしい。とうとう歩いて帰る決心をした。歩いて帰るのは初めてだ。

外白渡橋、昔租界時代犬と中国人は通るべからず、と立て看板があった橋を渡り、四川北路から虹口公園(現魯迅公園)に向かう。このあたりは日本租界だった。魯迅を匿った内山書店(神田神保町に今もある)もこの辺りにあった。しかし12月だ。北風は冷たい。それを北に向かって歩くのはかなり難儀だ。四平路に出ると建設中の建物が多く、遮る物が少ない。愈々吹き曝しだ。

2時間ぐらい掛けて宿舎に辿り着く。もうクタクタだ。倒れ込むようにベットに横になる。この頃は既に一人部屋を確保しており、そのまま翌日まで寝てしまった。翌日熱が39度以上となる。苦しくて何も食べられない。昼間は1度下がるが夜は39度。これが何と4日も続く。この時は本当に死ぬのではないかとさえ思った。食べ物は1日1度粥を食べた程度。唯一の救いは、恥ずかしいがフィアンセ(現かみさん)が送ってくれた松田聖子と中森明菜のテープ。繰り返し繰り返し聞いた。これが日本だった。1度は遺言も書こうとした。兎に角当時医者には行けなかった。大学の医務室などに行こうものなら、どうなるか分からない。肝炎でもないのに医者に行き隔離され、本当に肝炎になった日本人もいたのだから。

4日目、H君が来る。まさか居ると思っていなかったようで酷く驚いて何くれと無く世話をしてくれた。これで何とか回復した。大晦日には蕎麦も食べた。本当に有難かった。

2.蘇州へ
蕎麦を食べながら、今回の熱は何かの祟りかと冗談を言った。そうだ、厄払いに行こう、蘇州の寒山寺の鐘を突きに行こう。初詣の気分になる。

タクシーをチャーターし、1月1日に蘇州に向かった。H君の他,家庭教師をお願いしている日本語学科の徐さんも一緒だ。彼女は日本語学科4年生で主席(成績が一番)、日本語はべらべら。赤川次郎の小説は2時間で読むし、源氏物語も読んでいる。私が受けた最初の質問が『松尾芭蕉の奥の細道の文中の古文法』であった事を見ても実力の程が分かる。正直言って質問には答えられなかった。彼女の実家が蘇州ということで里帰り同行となった。

蘇州への道は、途中から小さな橋を飛び跳ねる感じで越えて行く。周りは水郷地帯である。1時間半ぐらいで到着。徐さんを実家で降ろし、我々は寒山寺へ。

寺には何と日本人の団体がいた。やはり鐘を突くためにである。50人の団体全員が鐘堂の前で入場券をもぎるおじさんに『ニーハオ』と言う。これにはおじさんも面食らっている。止むを得ないとはいえ、日本人の柔軟性の無さを感じた。

50人の後ろについて、鐘を突いた。生まれて初めてで、且つダウンジャケットが厚手でうまく突けなかった。いや実際は病み上がりで体力が無かったのかもしれない。鐘を突く意味は分からないが、兎に角日本人らしく仕事をこなした。

蘇州の印象はかなりこじんまりした街。古都であり、色が無い街。国営工場からは煙がモクモク出ている。古い庭園がいくつかあったが、あまり深く印象に残っていない。

昼はホテルのレストランで食べた。麻婆豆腐を頼んだところ、甘い物が出てきた。あのまるみやの麻婆豆腐の味である。以前行った無錫もそうだったが、このあたり料理は比較的甘く、日本的だ。

食後徐さんを拾いに行った。ちょっと家に入れてもらった。初めて中国人の家に入った。聞いてはいたが、広くなかった。6畳2間といった感じ。家族3人(徐さんは勿論一人っ子)でどうやって寝ていたのかと思えるほど家具がある。日本なら布団を敷くわけだが、こちらはベッド。ソファーも夜はベッドになるのだろう。徐さんの母親が甘い団子の入ったスープを出してくれた。これは旨かった。

帰りは皆寝てしまった。正月早々疲れてしまったのは、なぜだろう。

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