夕方の火葬場
それから昼寝をした。と言っても寝られるわけではない。暑いのだ。それでもベッドに横たわる。涼しいムナールからこの暑いバラナシへ来るとかなり堪える。キツイ。やはり耐えられない。仕方なく、ニュークミコハウスへ向かう。ここにはWIFIがあり、そしてクーラーもある。それほどクーラーが効いている訳でもないが、あるのとないのでは大違い。部屋の電気は消えており、皆昼寝をしている。
夕方までダラダラして、河沿いを歩いて見た。火葬場を見たいとは思わなかったが、『有名なガートは500rpのお布施を要求するけど、反対側の火葬場は無料だ』と久美子さんに教えてもらい、何となく歩いて行く。河岸に降りるとクミコハウスの建物が眼前にそびえたつ。やはりすごいロケーションにあるのだ、この宿は。
各ガート間の距離はかなり短いが、歩くのは面倒だ。平らに歩けるようにはなっていない。一々階段を上り下り。まだ暑さが残っている夕方、結構堪える。それでも若者たちはこんな斜面でクリケットに興じている。誰がいい当たりをすると球は河に落ちる。それでもみな平然としており、誰かが河に飛び込む。
観光用のボートが停泊している場所もある。ガンジスの朝陽、夕陽を見るためにボートに乗る人たちがいるのだろう。ガイドブックにも決して騙されないように、と書いてあるが、騙されないようになどできそうにない。インド人でも恐らくは騙されて、いや過剰な料金を支払って乗っている。それも神の思し召し、だと思えばよい。
沢山の牛が水浴びしていた。牛だって暑いだろう。とても気持ちよさそうで、思わず私も入りたくなる。が、水を眺めれば一遍でその気は失せる。ドロドロとした水面、なかなか厳しそうだ。だが子供たちはお構いなしに楽しそうに水浴びをしている。その無垢な姿に感じるものがある。
西洋人の女性が階段に腰かけている。すると犬が一匹非常に親しげに近づいて行く。彼女は追い払うことをせず、犬はどんどんスキンシップを図る。キスしようとしているように見える。あれは前世の恋人だろうか。こんな所でないと考えないようなことを考えている。
ケダーガートという所にヒンズー寺院があった。そろそろ火葬場だろう。と見ると火を焚いているところがあった。特に見ている者もなく、ひっそりと行われている。これが本来だろう。この聖なる河、ガンジスで燃やされる、この人にとって最上の喜び。
熱風の夜
夕日が沈む前、宿に戻り屋上からガンジスを眺めた。残念ながら夕陽は見られなかったが、良い眺めであることに変わりはない。ずーっと眺めていたかったが、やはり暑さがこみ上げてくる。
もう一度外へ出た。相変わらず道は分かり難い。ベンガルトラと言われる小道を行けばよいのだが、どうもこの道は苦手だ。何とかもう一つ大きな道へ出ようともがくが、なかなかうまくいかない。最終的に道に出た時にはクタクタに疲れている。そこで何とか冷たい水でもゲットしようと探すのだが、生憎と冷蔵庫などを使っている店は少なく、見付からない。
道端でチャイを売っていたので1杯飲む。5rp、これは美味い。暑い時には熱いチャイに限る?暗くなると更に道に迷うので早々に戻るが、また真っ直ぐは帰れない。最近歳のせいか方向感覚が著しく鈍っている。
食欲もなく、8時頃にはベッドに入る。天井のファンを回して暑さを凌ごうとしたが、これは完全な間違い。熱風をかき混ぜているだけで、寝ている私の体を直撃しているだけ。更に暑さを感じて寝ることなどできない。蚊が入るのを嫌い、閉めていた窓を1つまた1つと開けるがどうにもならない。
天井を回るファンを見つめながら『これは修行なんだ』と言い聞かせる。バックパッカー経験者には皆こんな体験があるのだろう。ただ50歳も過ぎて何故こんなことをしているのだろうか、との疑問はこのような時に炸裂する。昔バックパッカーだった人にとって、この聖地クミコハウスは懐かしい場所だろうが、私にとっては特に思い入れはない。ではなぜ?これは偶然ではなく、必然なのだ、と考えるしかない。羊を数えるより遥か簡単なことをつらつら考えている内に何とか寝入る。